885話
分娩準備室に春香の苦しげな声が響く。
「んん……くぅ……。ハァ……ハァ……。何度経験しても痛いのは慣れないね……」
「春香。お茶飲むか?」
「うん……。ありがとう」
雄太はペットボトルの蓋を開けて春香の手に持たせた。
一口二口飲んで、ハァーと息を吐き出す春香の額には汗が滲んでいる。雄太がタオルで拭ってやると春香はニッコリと笑う。
コンコン
軽いノックの音がして、扉がほんの少し開いた。
「マッマ……」
「俊洋? 入ってきて良いよ」
扉を開けてもらい俊洋はテッテッテとベッドに近づく。扉を押さえていてくれる慎一郎と理保に、春香はニッコリと笑って頭を下げた。
「俊洋。来てくれてありがとう」
「ウン。アカタン、イイコイイコ。ボク、マッテユヨ」
精一杯背伸びをして俊洋は一生懸命に春香の腹を撫でた。
「もう少ししたら会えるよ。待っててね、お兄ちゃん」
「ウン。マッテユヨ」
続いて悠助が入ってきて、春香の手をしっかり握った。
「マーマ、ガンバッテ。ボク、マッテルカラ」
「うん。悠助、俊洋と良い子で待っててね」
「ウン」
春香は痛みに耐えながら、必死で笑顔で二人の頭を撫でてやった。
扉が閉まると同時に、春香は体を丸めて息を吐き痛みを逃がそうとしていた。雄太は腰を擦ってやるが、春香は声を出す事も出来なくなっている。
「春香。収まったら分娩室に行くわよ?」
春香は小さく頷いた。
「マーマ」
「マッマ……」
悠助と俊洋は分娩室の扉をジッと見詰めていた。
理保は悠助の肩を抱いてやり、直樹は俊洋を膝に乗せて抱き締めてやっていた。
フャア……フャア……
微かな泣き声が聞こえた。
「アカタン、キチャ〜。ウースケニイタン。アカタンキチャヨ」
「キタネ。トシヒロ、オニイチャンナッタンダヨ」
悠助と俊洋がパァーと顔を輝かせる。
慎一郎と理保は顔を見合わせる。
「り……理保。あの声は……」
「女の子は可愛い声ですね、あなた」
「ああ……」
直樹は何も言えず、俊洋を抱っこして立ち上がり扉をジッと見ていた。
四人目の孫の誕生に胸がいっぱいになっていた。
真っ白なバスタオルに包まれた小さな小さな宝物に、雄太は目を潤ませていた。
「良い子だな……。俺がいる時に産まれてくれてありがとうな」
初乳を飲んでいる小さな小さな指をそっと撫でる。
「春香。ありがとう」
「うん」
ゲップをさせて、春香は雄太を見上げた。その意味が分かっている雄太は、そっと抱き上げる。
「ああ……。可愛いな……」
「ふふふ。顔がとろけてるよ?」
「え? だらしない?」
雄太と反対側にいた里美がクスクスと笑う。
「気持ちは分かるわよ。でも……いつの間にか直樹に似てて……。ふふふ」
義父に似ていると言われて、頬をヒクヒクと引きつらせるしかなかった雄太に、春香は口元に手を当てて忍び笑いをしていた。
新生児室のガラスに張り付いているのは悠助と俊洋は口をポカンと開けている。
「チッチャクテ、カワイイネ」
「アカタン……。カァーイイ」
何度も何度も口に出るあたり、二人は雄太に似ているのだろう。
直樹と慎一郎は目尻を下げまくっている。
「ああ……。可愛いですな……」
「可愛いですね……」
里美と理保は夫達の語彙力が逃亡してしまっているのを顔を見合わせて笑っている。
「毎回、毎回もう。呆れちゃうわ」
「語彙力が出張しちゃって帰って来ないみたいね」
そう言いながらも、里美も理保も嬉しくてたまらない。
小さい小さい手をフリフリしていたかと思っていたら、アフアフと欠伸をしてそのままスースーと眠ってしまった。
ベッドに横になった春香は雄太の手を握っていた。
直樹達が新生児室に行っている内に体を拭いてもらい、新しい寝間着に着替えたのだ。
「お疲れ様、春香」
「雄太くんが一緒だったから嬉しかったよ」
「ああ」
出産という命がけの大仕事を無事に終えた春香は綺麗だなと思った。
新しい家族を迎えて、雄太はますます頑張らねばと思い、皆が戻るまで春香と二人っきりの時間を堪能していた。




