1073話
12月26日(日曜日)
中山競馬場 9R 第44回有馬記念 G1 15:20発走 芝2500m
中山競馬場は詰めかけた15万人近い観客の熱気は師走の寒さを吹き飛ばすようだ。
ダービー馬であり、ジャパンカップ覇者のインポータントデイのラストランと言う事もあるのだろう。
(これで……、デイの背中も最期か……)
周りの騒がしさは雄太の耳には届いていなかった。
雄太はそっとインポータントデイの鬣を一撫でした。そして、大きく息を吸い込むとゆっくりとゲートに向かった。
(雄太くん、デイ。頑張ってね。悔いがないように……)
春香は胸がいっぱいで油断すると涙が出そうになる。
「パパっ! がんばれっ! デイっ! がんばれっ!」
「パパっ! デイっ!」
「ガンバレ〜、ガンバレ〜」
黄緑色と黄色とトマトレッドのポンポンがシャカシャカと音を立てている。
凱央はスカイブルーのポンポンを膝の上に置いて、春香の横でジッとテレビの画面を見詰めている。
(真剣な顔してるなぁ……)
雄太によく似た横顔に笑みがこぼれる。
「パパ……。デイ……。がんばれ」
凱央は小さく呟いていた。
ゲートが開いてスッとスタートを切ったインポータントデイは最後方に控えた。
出遅れた訳でもなかったのに前に行かないインポータントデイの姿に場内はざわついた。
根岸からの指示だったのだろうと思うが、それを理解出来ていない人も多いので、一周目のスタンド前を過ぎてもざわつきは収まらない。
インポータントデイは最後方のまま3コーナー過ぎまで、位置をキープしていた。
(デイ……)
最後方を走るインポータントデイの様子を春香はジッと見ていた。
調子が悪かったのだろうか?
体の何処かに違和感があるのだろうか?
不安が心の中に広がっていく。
「ママ。だいじょうぶだよ」
「凱央……」
「パパとデイがビリで終わるなんてないから」
大人びた凱央の言葉に春香は小さく頷いて、テレビに向き直り両手をギュッと握り締めた。
ゴウゴウと唸る風とバチバチと飛んで来る芝や土の音が耳に届く。
前にいる13頭をグッと雄太は見詰めた。
(行けるか……? 行くしかない……)
雄太が手綱を少し緩めるとインポータントデイはグングンと順位を上げ始めた。
画面の中、一頭一頭追い抜かして行くインポータントデイの姿に、子供達は歓声を上げた。
「がんばれぇ〜! がんばれぇ〜! パパァ〜っ! デイ〜っ!」
「ガンバレッ!」
「パパァ〜! デイ〜!」
尻尾をなびかせて順位を上げていくインポータントデイはもう見られない。
そう思うと春香の胸は締め付けられる。
(デイ……。お願い頑張って……。雄太くん、頑張って……)
涙が浮かびそうになるがグッと堪えた。
(泣くのはデイがゴール板を越えてから。最後まで諦めずに走っているデイにも、勝つと信じてる雄太くんにも失礼だもん)
『俺は最期の最後まで諦めない。そりゃ無理に追えば良いってもんじゃないけど、ほんの少しでもチャンスがあるなら勝たせてやりたいんだ。一頭でも多く、引退した後の道が良いものとならせてやりたい。俺は馬の所有者じゃないけどさ』
いくら乗っても、どんなに勝ち鞍を上げても競走馬は馬主のものである。決して鞍上のものにはならない。
(デイ……。デイ……頑張って!)
外に持ち出したインポータントデイの姿が画面に映る。
また一頭、また一頭と追い越し順位を上げていく。
「デイっ! がんばれっ!」
凱央の声が雄太へ伝わったかのようにインポータントデイは先頭の二頭に並んだ。
写真判定を待つ時間が長く長く感じた。
(どっちなんだろう……)
何度も何度も掲示板に目をやった。インポータントデイと競り合ったのは先輩の騎乗馬だ。
何度かお互いの顔を見合わせた時、掲示板に確定の順位が点った。
(二着……。もう少し……、いや今はやめよう)
インポータントデイから下りた雄太は共に駆け抜けた相棒の首筋を撫でた。




