1067話
月曜日の夕方に乗馬教室へ行く前の凱央達を連れて、雄太はインポータントデイに会いに行った。
前と同じように門をくぐった時から春香は口をつぐんだ。
(デイと会えるのも、後……。ううん。考えちゃ駄目。会える時に目一杯甘えさせてあげよう。思いっきり撫でてあげよう)
引退させるのは馬主の意思なのだから、鞍上の雄太はもちろん調教師である根岸にもどうする事も出来ない。
そんな事はカームマリンと出会った時から雄太に聞かされている春香はキッと前を向いて歩いていた。。
春香がなにやら考え込んでいるのは雄太には分かっていたが、何も言わずにいた。
(多分、デイと会えなくなる事だろうな。でも、ゲイルと違って北海道に行けば会えるんだって春香も分かってるけど、淋しい気持ちは理屈じゃないもんな)
雄太は根岸厩舎の大仲へ挨拶をしに入り、春香はそっと馬房のほうを覗き込んだ。
(デイ、馬房の奥にいるのかな? 顔出してないな)
その時、外を見るように顔を出したインポータントデイと春香の目が合った。また激しい前搔きをしたら止めさせないとと思ったが、インポータントデイは大人しく待っている。
ただ、右脚は宙に浮いていて春香はクスクスと笑ってしまった。
(あ、前に言った事を覚えてるんだ。デイは頭が良いんだなぁ〜)
子供達もインポータントデイが顔を出している事に気づき、春香達はゆっくりと馬房の前に足を運んだ。
「デイ、ジャパンカップお疲れ様。凄く格好良かったよ。おめでとう」
そこに挨拶を終えた雄太がやって来て、『おて』を待っている犬のような格好のインポータントデイを見て目が点になってしまった。
「デイ……。お前、やっぱり犬だったのか……?」
「前搔きしないで待っていられたんだから褒めてあげてよぉ〜」
呆れ顔をする雄太に、春香は頬を膨らませた。ついて来た当番厩務員は必死で笑いを堪えている。相変わらずの光景だ。
「デイ、疲れはありますけど飼い葉は食べてますよ」
「え? あ、私そんな心配してる顔してました?」
子供達が順番に撫でながらデイの健闘を讃えているのを見ながら、当番厩務員は春香に小さな声で告げた。
春香は苦笑いを浮かべながら、鈴掛と同年代ぐらいの厩務員を見上げた。
「ええ。子供を見守る母親のような、身を案じているような感じに見えますよ」
「ふふふ。私もそれなりの年齢ですから。ついデイの行く末を考えてしまうんです。デイの成績だと種牡馬として期待されて大切されるのは理解しているんですけどね」
夫の雄太が鞍上を務めた馬は、もう数えるのが大変になってきている。
デビューは出来たが一勝も出来ずに引退した馬や重賞に出るチャンスにも恵まれなかった馬のほうが多い。
そういう馬と比べれば、種牡馬としての余生をすごせるインポータントデイは幸せなのだろうと思う。
「種牡馬として生活出来るのが絶対幸せとは言えないかも知れないですけどね。馬は言葉を話せませんから」
当番厩務員は自身の半分ぐらいの年齢に見える春香を見て、見た目と考えている事のギャップに目を丸くする。
(この人は……、本当分からない人だな。見た目で判断しちゃいけないというのは、こういう人というんだろうな)
そして、同じく年齢相応に見えず若い頃からトップに立ち続けている雄太に視線を向けた。
(ん〜。似た者夫婦ってのは、鷹羽さんトコをいうんだな。うん)
インポータントデイを順番に撫でさせてもらった子供達が馬房の外で待っていた春香に近寄る。
春香はにこやかに笑うと、もう一度馬房に入りインポータントデイに手を伸ばした。
「デイ。次走るの楽しみにしてるね。早く疲れ取れると良いね」
春香は優しく優しく鼻面を撫でてやると、インポータントデイはうっとりとした表情を浮かべているような感じがしている。
(予定だと後一走しかないんだよな……。有馬……獲りたいよな。デイのラストランだしな。……え?)
ダービーとジャパンカップを勝たせてくれたインポータントデイは、春香の顔を舐めまくっていて、雄太を膝から崩れ落ちる程に呆れさせた。




