1063話
11月27日(土曜日)
小倉でのG2CBC賞で優勝を飾った雄太は、着替えの入ったバッグと紙袋を手にして、ジャパンカップが開催される東京競馬場の調整ルームに到着した。
「お、雄太ぁ〜」
「ソル。土産物の菓子買って来たぞ」
「サンキュー、雄太」
30歳を越えても菓子好きな純也の尻に、ブンブンと振られている犬の尻尾が見える気がしたのは何度目だろうかと思った。
純也は雄太が差し出した紙袋を受け取りホクホク顔で歩き出した。
「お前さぁ〜、明日ジャパンカップカップに乗るんだろ? 菓子はそこそこにしておけよ?」
「ん? まぁな」
『まぁな』と言いながら、歩きながら食べ出しそうだと雄太は苦笑いを浮かべていた。
「子供かよ」
「うるせぇ。俺は雄太より先にジャパンカップを勝ったんだぞ。ジャパンカップの先輩なんだからな」
フフンと鼻を鳴らした純也に、雄太はニヤリと笑った。
「それを言うなら、俺はダービーの先輩だからな」
「ぬぉ〜。そうだったぁ〜」
歩きながらも繰り広げられるいつものじゃれ合いに、すれ違う先輩も後輩もゲラゲラと笑っている。
雄太がドアを開けると、当たり前のように部屋に入る。
「え? お前、自分の部屋に行けよ」
「えぇ〜。良いじゃねぇかよぉ〜。なんで雄太がいるのに、俺一人で部屋でゴロゴロは淋しいじゃねぇかよぉ〜」
純也はスタスタと先に部屋に入り、床にペタンと座り込んだ。そして、ガサガサと紙袋に手を突っ込んで菓子の箱を取り出す。
雄太はバッグを床に置いて、コートを脱いでハンガーにかけた。
「で、なんで今回は洋室な訳?」
「ん? なんとなくベッドが良いなって思っただけだぞ?」
「俺はまだ和室に布団だな。実家の癖が抜けねぇんだよな」
雄太は頷きながらベッドに腰掛けた。
「俺はずっとベッドだったからなぁ〜」
「だよな」
「あ、もしかしてソルが俺のベッドの下で転がってたのって……」
「そう。なんか畳の上に転がってんのが落ち着くんだよな」
子供の頃からの付き合いで初めて知った純也の癖が大人になり分かって、雄太はうんうんと頷いた。
「あ、そうだ。鈴掛さんの話聞いたか?」
「え? 何?」
「聞いてなかった? 鈴掛さん、引退するって言ってた」
「えぇ〜っ⁉ い……い……引退っ⁉」
雄太は大声を上げてしまった。
「ここんとこ、鈴掛さんと話す機会がなかったんだよ……。すれ違いばっかで……」
「そっか。鈴掛さんも忙しかったって言ってたし」
「う……うん……」
雄太は一気に頭の中がグルグルしてしまった。
「い……引退して……」
「うん。調教師になるって」
「鈴掛さんが……調教師……かぁ……」
いつまでも騎手を続ける事は出来ない事は仕事のキツさから分かっている。
父の慎一郎も自分で納得出来る騎乗が出来なくなったから引退したと言っていた。
いつか自分も引退するだろうとは思うが、まだ想像もしていない。
「鈴掛さん、まだ気力も体力もあるけど、馬を育てて騎手を育てるほうに集中したいって思ったんだってさ」
「そっか……」
後輩を面倒みたりしている鈴掛ならば、調教師となり若手を育てる事に長けているだろうと思うが、やはり淋しさがある。
「それで、いつって言ってた……?」
「来年、調教師試験受けるって」
「じゃあ、それまでは一緒にレース出られるんだな」
「ああ。調教師試験ってかなり難しいから一発合格出来るかは分からないってさ」
真面目な鈴掛だから、調教師試験の勉強はしているだろう。
慎一郎が調教師試験の勉強をしていた頃、雄太は競馬学校にいたから直接見てはいない。
「てかさ、なんで鈴掛さん雄太に言わなかったんだろ?」
「ん〜」
たまたま忙しくて話せるタイミングを逃していたからかも知れない。律儀な鈴掛の事だからこそ、電話とかではなく直接伝えるつもりだろうとは想像出来た。
「なんにせよ鈴掛さんが騎手じゃなくなるのは淋しいな」
「だな。調教師になれば仕事場は一緒だけど、立場が変わるってのはちょい複雑なんだよぁ〜」
あからさまに態度を変えるような鈴掛ではないとは思うが、雄太と純也は複雑な思いを抱えていた。




