1062話
「デイ……、拗ねんなって。仕方ないだろ? 春香は仕事なんだよ」
雄太が馬房の奥に話しかけるが、インポータントデイは奥に引っ込んでいて、『うるさい』と言わんばかりにピシッと尻尾を振った。
「ふむ。こりゃあ、盛大に拗ねとるな」
「父さん……。感心してる場合じゃないんだけど……」
「すまん、すまん。あんまりにも分かりやすい拗ねかただなと思ってな」
週末にジャパンカップを控えた月曜日。インポータントデイを激励すべく根岸厩舎へと来たのだが、春香が急患でいない事でインポータントデイがヘソを曲げたのだ。
「デイ。こっちむいてよ」
「デイ。おいで」
「デイ〜。デイ〜。コッチキテヨォ〜」
「デイ、デイ。ネェ、デイ〜」
子供達が馬房の外から一生懸命に呼びかける。インポータントデイはフイッと首を上げて、ほんの少し振り返った。
子供達の事は気になるようだが、やはり春香がいない事でご機嫌は治らないようだ。
「本当に困った奴だな、お前は……」
雄太は苦笑いを浮かべながら馬房の奥のインポータントデイの尻を眺めている。
その時、雄太の携帯電話が鳴った。ポケットから携帯を取り出し耳に当てる。
「もしもし。あ、春香」
電話をかけてきたのは春香だった。雄太が春香というのを聞いたインポータントデイは耳をピンッと立てて、勢いよく振り返った。
「え? あ、うん。分かった。うおっ⁉」
『え? え? 雄太くん? どうしたの?』
馬房に背中を向けていた雄太の肩口と携帯を持っている腕の隙間にインポータントデイが鼻面を突っ込んだのだ。
雄太の耳にフンフンとインポータントデイの荒い鼻息が聞こえる。
「デイ……、お前なぁ……」
『雄太くん、大丈夫? てか、それってもしかして……デイの鼻息……?』
「正解……」
どうやら春香にもインポータントデイがフゴフゴと鼻を鳴らしているのが聞こえたようだ。
雄太は少し馬房から離れると、背後から『お前、どこに行くんだ』と言わんばかりのインポータントデイの鳴き声がする。
笑いを堪えながら通話を終えた雄太は慎一郎に話しかけた。『春香』と言うとインポータントデイが反応するので、内緒話をするようにした。
慎一郎はうんうんと頷き、馬房前から離れた。
「パパ。ジィジ、おむかえに行ったの?」
「ああ」
状況を察した凱央はインポータントデイに分からないように話す。
「良かったね。すねたままじゃパパもこまるし」
雄太は頷いて、慎一郎が戻って来るのを待った。しばらくすると、施術服を着た春香が走って来た。
「デイ、遅くなってごめんね」
息を切らしながらも馬房前に走って来た春香に、インポータントデイの尻尾と首が激しく動く。
『遅かったじゃないか。待ってたんだぞ』
雄太は耳にそんな声が届いた気がして、また苦笑いを浮かべた。
ようやく春香に会えて、目一杯撫でてもらえたインポータントデイはご機嫌を治し、子供達も順番に撫でさせてもらってご機嫌になった。
「ん〜」
「どうしたの? 雄太くん」
美理愛が雄太と寝るとゴネたので、雄太の隣には美理愛が寝ていて、春香はその向こうにいる。
「デイの奴、凱央達を見ると春香がいるの当たり前って思うようになったんだなって思ってさ」
「ふふふ。私と子供達ってセットで覚えてるんだね」
春香は笑っているが、あのインポータントデイの拗ねかたを思い出すとカームマリンとダブってしまい、雄太はどうしたもんだかと苦笑いを浮かべるしかない。
「ダービー馬があんな拗ねかたするのかって思ったら、また笑えてきた」
「デイ、そんなに拗ねてたの? 大袈裟じゃなくて?」
「拗ねまくってたぞ。壁に向かってイジイジって感じで」
想像した春香は口元を手で押さえクスクスと笑った。
「マジで笑い事じゃないって思ったんだからな?」
「うん。でもおかしくって」
「分かるけどさ」
なんにせよ春香が施術終わりに電話をしてきてくれて良かったなと雄太は思った。
(デイのご機嫌も治ったし、ジャパンカップ頑張らなきゃな)
雄太はジャパンカップが待ち遠しく思った。




