1059話
東京から帰った雄太を春香は思いっきり抱き締めた。
「お帰りなさい。おめでとう、雄太くん。格好良かったよ」
「ただいま、春香。ありがとう」
雄太も抱き締め返した。
メイゲイルの事が頭の中に甦り、不安な気持ちがあった事を分かっていて優しく励ましてくれた最愛の妻の思いを込めた抱擁が嬉しい。
(俺、本当に春香と出会えて良かった……。何があっても乗り越えられるって信じられるんだ……)
ひんやりとした夜の空気が包んでいるはずなのになぜか温かい。
様々な困難が何度も何度もあった二人はお互いを信じ支え合い、手を取り合って歩いてきた。
「マッサージするね」
「ああ、頼むな」
もう一度、雄太はギュッと春香を抱き締めた。
「ん? 今日は俊洋は自分の部屋か?」
「うん」
凱央も悠助も部屋が出来たら喜んで部屋で寝るようになったのに、一番ヤンチャな俊洋が殆ど春香の部屋で寝ていたのだ。
だから、春香の部屋にはまだベッドが二つ並んでいる。
「自分の部屋がぁ〜とか、乗馬教室がぁ〜とか言ってたのに、なんで春香の部屋で寝たがってたんだろな?」
「どうなんだろね。幼稚園で遊んだり、帰ってリビングとかで遊んでて疲れて二階に行くのが面倒……とか?」
「ない……とは言えないな」
笑いながら俊洋が使っていたベッドでうつ伏せになると、春香の小さいが優しい手がそっと背中に触れる。
グッグッと押されると、疲れていたんだなと思える。
「あ〜、そこそこ」
「雄太くんがとれだけ頑張ったか分かるよ」
春香のマッサージで筋肉がゆるゆるととろけるような感じがする。
それと共に眠気が雄太を包み込んでくる。
「あ!」
「え? え? ど……どうしたの?」
雄太は眠りの沼に落ちそうだなと思った瞬間、ハッとして思わず声が出た。
美理愛を起こしてしまったかと思い春香のベッドを見ると、スースーと寝息を立てて熟睡していてホッとした。
雄太は体を起こして、春香と向き合って座った。
「あのさ……」
「うん」
雄太は話そうとして一瞬言葉を飲み込んだ。
(ちょっと待てよ……。凱央や悠助みたいな子供ならまだしも、俺みたいないい歳した大人がこんな話をしたら笑われないか……?)
話そうとした雄太が固まってしまい、春香はキョトンとした顔で見詰めていた。
(いや、春香は馬鹿にしたりしない。どんなブッ飛んだ話でも、春香はちゃんと聞いてくれる)
雄太は春香の両手をギュッと握った。
「これから凄く驚くような事を言う。俺も他人から聞かされたら『こいつ大丈夫か?』とか思うけど、春香には聞いて欲しい」
春香は真面目な顔をして頷いた。
「俺な、3コーナーを過ぎた後……、去年の事を思い出したんだよ」
春香は雄太が去年の天皇賞での出来事を少なからず引きずっているのは分かっていたから、思わずゴクリと息を飲んだ。
「そしたらさ、声が聞こえたんだよ」
「声? 他の騎手のかたの?」
「違うんだ。……その……ゲイルの声が聞こえたんだ」
春香の目が大きく見開かれた。
「ゲイルの……?」
「ああ」
「ゲイルは何て言ってたの?」
雄太はゲイルが言っていた言葉を春香に伝えた。春香はうんうんと何度も頷いている。
「俺さ……。凱央と悠助のは夢の話だって思ってたんだ。でも、俺はレース中だったのにって」
「そう……」
春香の目が潤んだ。
「良かったね、雄太くん。ゲイルにゴール板の先を見せてあげられて」
「ああ。俺が乗ってたのはデイなんだけどさ、ゲイルと一緒にゴール出来た気がして……。本当に嬉しかったんだ」
メイゲイルと越えられなかったゴール板をインポータントデイと一着で越えられた。そして、メイゲイルは満足したように空へ駆け上がっていった。
「きっとゲイルも心残りだったんだなって」
「ゲイル、本当に走るのが大好きだったんだね」
「それは俺も思ってた。悠助にも言ったけど、天国で思いっきり走り回ってるよな」
「うん。誰もついていけてないかも」
春香は雄太の話をスッと飲み込んだようで、雄太はホッとして悠助にもメイゲイルの声の話を聞かせてやろうと思った。




