1029話
5月1日(土曜日)
明日は天皇賞春に出場する雄太の部屋には純也と梅野がコーヒーを片手にやって来ていた。
「雄太。凱央の特番って5月5日だっけ?」
「ん? そうだぞ。こどもの日特番なんだってさ」
凱央の騎手を目指すという話から決まった特番は、乗馬教室の姿や普段の姿だけでなく、何度かトレセンでも撮影があった。
凱央が生まれた時から可愛がってくれているトレセンの面々もチラリと出演してくれていたが、本編で放送されるとは限っていない。
「あんなに小さかった凱央がテレビで特番組まれるぐらいに大きくなったんだもんなぁ〜」
「それって『俺も歳をとったなぁ〜』ってヤツっすか?」
「純也ぁ〜。お前、何て事を言うんだよぉ〜」
梅野が純也の両肩に手を掛けて、前後にブンブンと揺すった。
「だ……だって……梅野さんって……春さんと……同い年でしょ……? しかも……春さんの子供は……小学生なのに……梅野さんは……独身で……ついしみじみしたのかとぉ〜」
グラグラと体が揺れる所為で途切れ途切れの純也の言葉に、雄太はゲラゲラと笑っていた。
「雄太ぁ〜。笑ってんじゃねぇ〜」
「あはは……。すみません、つい」
「お前、『すみません』って言いながら笑ってんじゃないかよぉ〜」
口を尖らせながら文句を言う梅野に純也がニコニコと笑いながら、ふと思い出したように言った。
「俺、この前美理愛にほっぺにチューされたんすよ」
「な……なんだとぉ〜っ⁉」
ニマニマと言う純也に梅野が再び肩を掴んだ。
「俺のマイスイートエンジェルがかぁ〜っ⁉」
「雄太ん所でトレーニングさせてもらった後、美理愛と遊んでやってたら『ジュンヤニイタン、スキ〜』ってほっぺにチューって」
梅野がガックリと肩を落とした後、床に崩れ落ちた。
「俺の……俺のマイスイートエンジェルがぁ〜。こんなのに……」
「ちょっ! こんなのってなんすかっ⁉」
「頭りんご飴でチャラい奴にぃ〜」
純也と梅野のやり取りは相変わらずで、雄太は笑いが止まらなくなる。
「雄太ぁ〜。お前、我が娘のほっぺにチューを止めなかったのかよぉ〜」
「俺、その時は地下で凱央が木馬に乗るのを見てたんですよ。だから止めようがなかったんですよね」
むくれる梅野にまたまた純也がニヤリと笑う。
「残念っすね、梅野さん。もう、美理愛にほっぺにチューはしてもらえませんよ?」
「何でんだよぉ〜」
「春さんが『もうほっぺにチューは、しちゃ駄目よ』って言ってからっす」
ガーンと効果音が聞こえるかのような梅野の顔が見られて満足したのか、純也は床に置いていた缶コーヒーを飲み干した。
「雄太ぁ……。美理愛は春香さんの言う事は……」
「厳守しますね。ママの言う事は守らなきゃ駄目って、お兄ちゃん達にも言われてますから」
絶望的な状態に梅野はシクシクと泣き真似をする。
「マイスイートエンジェルぅ〜」
「まぁ、元気出してください。明日の騎乗に響くっすよ」
「明日、俺が勝てなかったら純也の所為って事にするからなぁ〜」
「何でっすかっ⁉」
恨めしげに上目遣いで純也をジトォ〜と見る梅野とキャンキャンと叫ぶ純也は明日揃って天皇賞に出る。
(本当にもう……。俺の部屋は緊張感なさ過ぎだろ)
デビューした時も、初めて重賞に出る時も、初めてG1に出る時も、緊張感の海に溺れそうにならずに済んだのは、気心知れた純也と気の良い先輩達がいてくれたからだ。
(それは本当に凄く感謝してるけど、緊張感なさ過ぎなのはどうなんだろな。まぁ、今更だけど)
純也が梅野にジャレつくのは、梅野が寮を出てしまったからだろう。
なんだかんだとデビューから面倒を見てもらい、寮でも梅野の部屋で寛いでいたのが日常茶飯時だったのだから、同じ競馬場の調整ルームにいるとジャレたいのだ。
「あ、思い出した。雄太ん家のサクランボどうなってんだ? この前、見ようと思って忘れてたんだよな」
「え? ああ、今年はバッチリ実ってんだよ」
「マジか。楽しみだな」
泣き真似をしていた梅野も肘をついてニコニコと笑って見ている。
きっと純也とジャレるのが嬉しいのだなと思った雄太だった。




