1020話
3月10日(木曜日)
午後になり凱央達が帰宅してから、雄太は春香と子供達を連れてトレセンの根岸厩舎に向かった。
21日にインポータントデイと阪神大賞典に出場する事が決まった事を春香達に伝えたからだ。
春香と子供達が目をキラキラさせてジッと見詰められて、雄太は一瞬固まった後、思いっきり吹き出したのだ。
(春香も子供達もデイに会えるの待ってたんだな)
と言うのも、ここのところインポータントデイの鞍上は雄太ではなかったからだ。
鞍上ではないのに会わせて欲しいとは雄太も言えないし、春香も言わなかった。競走馬の所有者は馬主であると分かっているからだ。
だから、今回も別の騎手に依頼が行くのだろうと思っていたら、早々に依頼があったから、春香達に伝えた結果が今日の訪問になった。
「あ、そうだ。騎乗依頼もらった時にデイの様子を見に馬房に行ったら、あいつ俺の顔を見てキョロキョロした後、そっぽ向いたんだぞ」
「え?」
雄太を見た後、フイッと顔を反らせたインポータントデイの姿を想像してしまった春香はケラケラと笑った。
「笑い事じゃないんだからな? あからさま過ぎて唖然としたんだぞ」
「うん。でも……ふふふ」
春香の笑い声に凱央達が立ち止まり振り返る。
「何でもないぞ。ほら、前を見て歩かないと転ぶからな」
子供達は頷いて、また歩き出した。
凱央は俊洋の手を握り、悠助は美理愛の手を繋いでやり楽しそうに歩いている。
その背中を見てほのぼのとしていた雄太の耳に届いたのはガッガッガッと言う音だ。
「あいつ……、また」
「え? あ……」
その音に心当たりがある雄太は子供達を連れて大仲に挨拶に向かい、春香は馬房へと向かった。
「デイ、デイ。落ち着いて」
春香が声をかけながら馬房を覗き込むとインポータントデイは脚をピタリと止めた。
そして、春香のほうに首を伸ばしてきて、春香が顔を撫でてやると更に大人しくなった。
「お前……。何だよ、そのデレデレしただらしない顔はぁ……」
挨拶を終えた雄太と子供達が歩いて来ると、インポータントデイは耳をピコピコと動かしていた後、また春香の手に顔を押し付けた。
「お前マジであからさまだな……」
やれやれといった感じの雄太と、久し振りにインポータントデイに会えて目をキラキラさせている子供達との対比がおかし過ぎて、一緒に馬房に来た根岸は涙を浮かべて笑っている。
「調教師、笑い事じゃないですよ?」
「ははは。すまん、すまん。あまりの違いが面白くてな」
春香はインポータントデイから手を離して、深々と頭を下げた。
「根岸調教師、お邪魔してます」
「ああ、春香さん。デイが気持ち良く走れるように目一杯甘やかしてやってくれ」
「はい」
春香の手が離れた事に気づいたインポータントデイは首を上下にして催促をした。
「はいはい。デイは甘えん坊さんだね」
春香が笑いながら鼻面や鼻筋を撫でたりしているのを見ていた子供達が揃って雄太を見た。
「パパ。デイ、元気そうだね」
「パーパ、デイナデタイ〜」
「パッパ、ハヤク〜」
「ジェイ、ナデルノ」
「分かった、分かった。順番だからな?」
子供達は久し振りのインポータントデイとの触れ合いを十分楽しんだ。
鼻面を撫でる度に唇で手をフニフニとされ、子供達は満面の笑みを浮かべていた。
「春香さん」
「はい。なんでしょう?」
「ずっと鞍上が鷹羽くんじゃなかった事、何か思うところはあったりしたか?」
「いえ。雄太くんが先に依頼をもらっていたり、馬主さんのご意向だったりするのは分かってますから」
同じ馬にずっと乗れるとは限らない事は雄太と付き合い始めた頃に聞かされていた。
「そうか。鷹羽くんは今や引っ張りだこだからな。ガッツリ捕まえておきたいが、人気者はそうはいかん」
「そうですね。たくさんの調教師や馬主さんに信頼してもらえてるのは、私も嬉しいです」
子供達と楽しそうにしている雄太は、どこからどう見ても良いパパだ。
たくさんの依頼を受けている騎手には見えないが、そう言うところにもベタ惚れしている春香はニコニコと笑顔を浮かべていた。




