1004話
翌日、雄太は調教終わりに江川厩舎を訪れた。
「江川調教師」
「ん? ああ、鷹羽くん」
「えっと、お願いがありまして」
雄太は昨日悠助に頼まれた事を江川に話す。江川は時折頷きながら雄太の話を聞いて、小さく息を吐いた。
「そうか……。悠助くん、そんなにゲイルを……」
「ええ」
「分かった。良いよ。連れてきてあげて、最期のお別れさせてやってくれ。何もない馬房だけど、それで悠助くんの気持ちの整理をつける事が出来るんなら良い事になるだろうしな」
「はい」
雄太は自宅に電話をして、春香に江川厩舎に来られるようになったと伝えた。
夕方、雄太は悠助をはじめ春香達を連れて江川厩舎を訪れた。
空っぽの馬房を見詰めると雄太も胸が苦しくなる。
悠助は春香が買って来てくれた百合などの真っ白な花束を馬房にそっと置いた。その横には幼稚園から帰ってきてから一生懸命に描いたメイゲイルの似顔絵を置いた。メイゲイルが色とりどりの花が咲き乱れる草原を駆けている絵だ。
「ゲイル……。イッパイタベテネ」
絵の手前に丸ごとのリンゴやバナナ、人参を置いた悠助の目に涙が溜まっていく。悠助はグイッと手の甲で涙を拭った。
「ボクネ、ゲイルガダイスキダヨ。コレカラモ、ズットズットダイスキダヨ。ゲイル……。ボク、ゲイルノコトゼッタイニワスレナイカラネ……」
悠助の震える声に江川も担当厩務員も涙ぐんでいる。
春香も涙を流しながら手を合わせ、凱央達は慎重な面持ちで手を合わせた。
「悠助くん」
「ハイ、エガワセンセ……」
「ゲイルを可愛がってくれてありがとうな。ゲイルをいっぱい応援してやってくるてありがとうな」
真っ赤な目をした江川が膝をついて悠助の小さな両手を握りながら話す。
「ゲイルは悠助くんと出会えて幸せだったと思う。もちろん、悠助くんのパパに乗ってもらえて優勝出来た事もな」
「ハイ」
悠助が頷くと涙がポタポタと落ちた。
「ゲイルの事、大好きだった悠助くんが悲しいのは分かる。でも、いつまでも泣いてたらゲイルが悲しむぞ」
「ゲイルガ……カナシクナッチャウ……?」
「ああ。ゲイルは悠助くんの笑顔が大好きだったからな」
江川はそう言って悠助の涙を無骨な指で拭ってやった。
「悠助くん。ゲイルとの思い出を涙で悲しい思い出にしないで、楽しく笑顔の思い出にしてやってくれないか。今は難しいとは思うが、ゲイルのお願いだと思って……。な?」
「ウン。ボク、ガンバル。ゲイルニカナシイカオサセナイ」
悠助はそう言って江川に抱きついた。
子供達が寝静まった後、雄太と春香はリビングのソファーに座り、悠助とメイゲイルの写真を見ていた。
「雄太くん」
「ん?」
「いつかゲイルのお墓参りがしたいな」
「そう……だな」
まだメイゲイルの墓碑が何処になるなど詳しい事は決まっていない。だが、たくさんのファンがいるメイゲイルの墓碑を望む声はあがるだろう。
「私ね……、こういう事もあるんだって、ちゃんと考えてなかった……。子供達と馬を触れ合わせてやれて良かったとしか考えてなかった……。馬と仲良くさせるって事は、こういう別れの時にショックを与えるんだって、想像してなかった……」
春香の声が震えた。そもそも、寿命が長くない馬に思い入れを持たせる事が、子供達に良い影響だけでない事を失念していたのだ。
「春香の気持ちも分かるけど、人も馬も他の動物だっていつ死ぬかなんて分からないだろ? 別れに怯えて一人で生きるなんて出来ないんだから」
春香は目元を拭いながら、小さく頷いた。
「明日どうなるか分からないから一瞬一瞬を大切にしようって思って生きようって思えば良いんだ。俺も……ゲイルと巡り会えて良かったって思う。まだ、心の中に抱えるものは正直ある。ゲイルの子供に乗りたかったって思ってるんだ」
雄太は春香の肩を抱いた。春香はメイゲイルの写真をジッと見詰めた。
「ゲイル……。雄太くんを守ってくれてありがとう。あなたが転倒してたら、今雄太くんは病室だったと思う」
「ああ。ありがとな、ゲイル」
二人は互いの手を握り締めながら天国のメイゲイルを思った。




