1003話
重苦しい胸の痛みと軽い頭痛を感じて雄太はゆっくりと目を開けた。
(ん……? あ……頭……いてぇ……。あれ? ああ……。ここ……俺の部屋か……)
薄明かりの間接照明に照らされていたのは見慣れた自室の天井だ。隣から聞こえる寝息に気がついてそちらを見ると、瞼が腫れた悠助が小さく体を丸めていた。
(悠助……)
まだまだ幼い悠助にはメイゲイルの死は大き過ぎる衝撃だっただろうと思う。
(あんなに仲が良かったんだもんな……。もう二度と会えないなんて……)
目を閉じるとパドックでキリッとした顔をしていたメイゲイルが思い出された。
(俺は騎手だ……。こう言う事もあるって分かってたはずだったのに……。分かってても……キツいな……)
大きく息を吸い込み、大きく吐き出す。
(週末にはまたレースがあるんだ。切り替えろ、俺)
頭がはっきりとしてくると掌の痛みに気がついた。握り締め過ぎて爪の形に血が滲んでいた。
(あ……。そこまで酷く出血してる訳じゃなくて良かった。手綱握ったら痛むかな……? 大丈夫か……)
普段色々と気をつけて行動していた雄太にとって、仕事に関わる事に迂闊になる事は殆どなかった。
自分の迂闊な行動で週末の騎乗に影響が出てしまう事を案じた。
その時、モゾモゾと悠助が動いた。
「パーパ……」
「悠助、起きたか」
「ウン……。ネェ、パーパ」
悠助はそこで黙ってしまった。雄太は、悠助の背中をポンポンと叩いてリラックスするようにした。
「どうした? ゆっくりで良いからな?」
「ウン、アノネ……。ゲイル……ホントウニテンゴクニイッチャッタノ……?」
「ああ……」
数時間前に聞いた話が夢なら良いと思っているのかと雄太は思った。雄太自身が夢ならどれほど良いかと思いながら悠助の髪を撫でた。
そして、雄太は幼稚園児の悠助にも分かるように言葉を選びながらゆっくりと、馬が骨折するという事がどうなるのかを説明した。
「ウン……。ネェ……モウ、ゲイルハイタクナインダヨネ……?」
「ああ。きっと天国の花畑で目一杯元気に走り回ってるぞ」
「ウン……」
悠助の目には、また涙が溢れてきて頬を伝ってきた。
「パーパ……。ボクネ、ゲイルノオウチニイキタイ……。チャント、サヨナライイタイ……」
ゲイルの馬房はもう空っぽだ。それでも悠助にとって大切な場所という事には変わりない。
空になった馬房に、次の馬が入るのはいつになるかは雄太には分からないが、空の馬房にお別れを言いたい気持ちは分かった。
「そうだな。明日、江川調教師にお別れ言いたいからってお願いしておいてやるからな」
「ウン。アリガトウ、パーパ」
悠助は溢れる涙を拭う事なく雄太に縋り付いた。
「凱央」
「なぁに? ジィジ」
乗馬教室での休憩時間に慎一郎は顔を洗い終わった凱央に話しかけた。
「凱央は騎手になるんだよな? メイゲイルの事、どう感じた?」
「すごくかなしいし、すごくさびしいよ。もう、ゲイルには会えないんだって思うとなきたくなるよ」
慎一郎は悲しそうな顔をしながらも、しっかりと答える凱央の頭を撫でた。
「正直、競走中止な上に予後不良ってのはある。儂等調教師が防げる訳でもないし、騎手だってどうしようもない。凱央が騎手を目指すって決めたのなら、日曜日のメイゲイルの事は忘れちゃいけない。分かるか?」
慎一郎は凱央を可愛い孫としてでなく、将来騎手になる子供として話している。
まだ早いのではないかとも思ってはいたが、凱央がちゃんと理解出来ていると感じたのだ。
「うん、ジィジ。ぼくがきしゅになって、もしそういう事になったら、きっと泣くと思う。大好きな馬だったらガマン出来ないと思う。でも、ぼくはきしゅになるよ」
「そうか。ジィジは凱央を応援するからな。良い馬を作って、凱央がG1獲って一緒に口取り写真を撮ろう」
凱央は笑って頷いた。
「じゃあ、もう一頑張りしようか」
「はいっ! ジィジ、かんばります」
「ああ。頑張ろう」
凱央と慎一郎は並んで練習場へと向かった。




