1002話
玄関で大泣きをし、泣き疲れて眠ってしまった悠助を雄太は抱き上げて地下の自室へ連れて行った。
そっとベッドに寝かせた悠助は眠りながらも涙を溢していた。
(悠助……)
競走馬の骨折のアクシデントは予兆がないのだ。
江川も『騎手がどうこう出来る事じゃない』と、目を真っ赤にしながらも言っていた。
(俺に何か出来た訳じゃない……。けど……けど……)
悲しくて悔しくて胸がギリギリと締め付けられる。爪が掌に食い込むほど握り締めた。
(ゲイル……。痛かったよな……。ごめんな……。一緒にゴールしたかったんだ……)
コンコン
ノックが聞こえ、そっとドアが開いた。
「雄太くん……」
「春香……」
「タオル絞ってきたの」
春香の手には温タオルがあった。それを一本雄太に手渡して、もう一本でそっと悠助の顔を拭ってやっている。
「雄太くんも少し休んで。夕飯食べられそう?」
「軽い物頼むよ……」
「うん」
雄太はホカホカと温かいタオルで顔を拭った。そのタオルの温かさが春香の温かさのようで少しホッとした。
春香はタオルを手に部屋から出て行き、雄太は悠助の隣に体を滑り込ませ目を閉じた。
リビングに戻った春香は二人で遊んでいる俊洋と美理愛を見た。
父親の雄太と兄の悠助が泣いていた姿を見てつられて泣いていた二人だが、いつもの元気はなかったが仲良く遊んでいる。
(凱央が帰って来るまでにオヤツを作って置いてあげよう。お腹すいたままだと乗馬する時に力が入らないもんね)
春香は時計を見てからエプロンを着けキッチンに入った。
学校から帰ってきた凱央の姿を見て俊洋と美理愛は元気が出たようで、一緒にオヤツを食べた。
オヤツを食べ終わった俊洋と美理愛はまたリビングで遊びはじめ、春香は凱央に今朝の事を小さな声で話した。
「そうだったんだ……」
「うん……」
「ママ。今日はぼくジィジと教室に行くよ」
凱央はコクンとホットミルクを一口飲んだ。
「凱央……」
「ゆうすけ、今日は無理だと思うんだ。パパも……」
「そうね。ありがとう、凱央」
凱央はニッコリと笑った。
(いつの間に、こんなに大人になったんだろう……。凱央だってゲイルと触れ合ってたから淋しいって思ってるよね……)
春香には、凱央が悲しそうな顔をする瞬間がある事に気がついていた。
それでも、弟や妹の面倒を見てくれて、雄太の事を気遣えるようになった事が嬉しかった。
乗馬教室に行く時間になり、慎一郎は凱央を迎えにきてくれた。
春香は雄太の事を慎一郎はどう思うのか気になっていた。
「春香さん」
「はい」
「今日は雄太を頼む。騎手としてメイゲイルのような事があるのは悲しいかな避けられん。一々凹むなと言いたい気持ちがない訳じゃないが、雄太が背中を任されるようになって開花した馬だと思うと、簡単に切り替えろとは言いたくないんだ」
慎一郎は雄太もだが、悠助の事が心配で堪らなかったのだ。
「悠助がメイゲイルを可愛がっていたのも、メイゲイルが悠助に心を開いていたのも聞いとる」
慎一郎の目も淋しそうに見えると春香は思った。
「けどな、いつまでも悲しんどっても時間は巻き戻らん。冷たいように感じるかも知れんが、これが競馬という仕事に就いた者の宿命のようなものだ」
「分かっています……。それでなくとも馬の寿命は人より短いですから」
春香は北海道で暮らしているカームマリンやゾルテアレックス、ハーティグロウを思った。
今は種牡馬として元気に暮らしている馬達もいつか別れの時が来るのだと覚悟をしておかなければならないのだ。
(寿命なんて、誰にも分からない……。いつか別れるって思うなら、もっともっと大切に関わっていこう……)
玄関で凱央と慎一郎を見送りながら、春香は北海道にいる懐いてくれた馬達を思った。
(会いに行ける時に会いに行こう……。会えなくて後悔したくない。せっかく出会えたんだから)
遠く離れた北海道のカームマリン達を思ってから、地下の雄太の自室にいる雄太と悠助を思った。




