1001話
翌朝、春香はいつも通り子供達の朝食を作っていた。
昨夜、純也から聞いた事を子供達にどう伝えれば良いのか分からなかったのだ。
(何て言えば良いんだろう……。悠助……、理解出来るかな……? しばらく黙っていたほうが良い……? 大好きなゲイルともう会えないなんて……。でも、黙っていても『会いたい』って言われたら誤魔化しきれない……)
ショックを受けるだろうと思う。競走中止をした事でさえ、かなりショックが大きかったのにと思うと、春香の心は乱れに乱れていた。
「ママ」
キッチンに入り洗い物をしようとしていた春香に、自分と美理愛の食器を持ってきた凱央が小さな声で話しかけた。
「あ。なぁに?」
「今日は、ぼくがゆうすけをようちえんにつれて行こうか?」
「凱央……。大丈夫よ。学校と幼稚園じゃ始まる時間が違うしね。バァバにお願いするから」
いつの間にか母親の心の乱れを察する事が出来るようになった凱央は、食器をシンクに置いた。
「ありがとう、凱央」
「うん」
春香は成長した凱央の心遣いが嬉しくて、凱央の頭を撫でた。
春香は洗い物を終えてから慎一郎宅に電話をかけた。理保に、まだ雄太が帰宅していない事で悠助を幼稚園に送ってもらう事は出来るかと訊ねた。
理保は快諾してくれて、悠助を幼稚園へと連れていってくれた。
10時を過ぎ、電話が鳴った。雄太からかと思って電話に出た春香の耳に届いたのは純也の声だった。
『春さん。今から帰るっす』
「うん。あの……雄太くんは?」
『まだ話す気力はないみたいで……』
「そう……。気をつけて」
『うっす』
まだ元気のない雄太を思うと春香の胸はキリキリと痛んだ。
悠助を送って行ってくれた理保にお迎えもお願いをして、春香は雄太の帰りを待っていた。
インターホンが鳴り、春香は門扉の解除ボタンを押して玄関へと走った。
玄関ドアを開けた雄太の髪はボサボサで顔色も悪く憔悴しきっているのが一目で分かる。
(雄太……くん……)
雄太は虚ろな目で春香を見ると膝から崩れ落ちかけ、春香は雄太を支えた。
雄太は震える指で春香の腕に縋り付いた。
「春……香……。ゲイルが……。俺……ゲイルに何もしてやれなかった……。あいつを……助けてやれなかった……」
「うん……」
春香の背中に腕を回して、雄太は絞り出すような震える声で話し出す。春香は雄太の背中に腕を回して、雄太を包み込んだ。
「ゲイルと……G1獲りたかったんだ……。もう……もう二度とゲイルと……走る事が出来ないなんて……。もう会う事も出来ないなんて……」
「パーパ……。ゲイルニアエナイッテ、ドウイウコト……?」
雄太と春香は顔を上げた。玄関ドアの所で、悠助は理保の手を握り締めて立っている。
「悠助……」
「パーパ。ゲイルハドコニイルノ……? ドコニイッチャッタノ……?」
悠助の目に涙が浮かんでいる。雄太は悠助ほうに向き直り、小さな手を握り締めた。
「悠助……。ゲイルは……天国に行ってしまったんだ……」
「テンゴク……? ゲイル……シンジャッタノ……?」
幼稚園で飼っていたウサギが死んでしまった時に、幼稚園の先生が『ウサギさんは天国に行ってしまいました。これからは、皆をお空から見ています』と聞かされた時にも、悠助は泣いていた。
『死』というものをどこまで理解出来ているのかは分からないと春香は思っていたが、天国に行く事が死んでしまったのだと悠助は分かっていたのだ。
「ゲイル……シンジャッタ……。ゲイルニ、モウアエナイ……」
悠助の目からポロポロと大粒の涙が溢れた。その涙が悠助の手を握っていた雄太の手に落ちた。
その涙に気がついた雄太は悠助の顔を見た。
「悠助……」
「ウ……ウ……ウワァーン。ゲイルゥ……、ゲイルゥーっ!」
悠助は大きな声を上げて泣いた。理保も泣いていた。
俊洋と美理愛も訳が分からないまま泣き出した。
「俊洋……、美理愛……」
春香は二人を抱き締め、雄太は悠助を抱き締めて静かに涙を流していた。
しばらくの間、雄太宅の玄関には泣き声が響いていた。




