998話
11月1日(日曜日)
東京競馬場 11R 第118回天皇賞(秋) G1 15:35発走 芝2000m
晴れた東京競馬場に観客席は大盛り上がりをしていた。
「ゲイル。いつも通りで行くぞ」
パドックでメイゲイルに跨った雄太は艶々と輝く鬣を撫でた。メイゲイルはキリリとした顔をしてパドックを周回している。
メイゲイルの前のG1では雄太は他に騎乗依頼がり鞍上を務められなかった。だから、メイゲイルとの初G1を獲りたいと思っていた。
(ゲイル……。良い馬だなぁ……。あの逃げについて行くのは無理だし、自分の馬がつられたり、リズムを崩さないようにしなきゃな)
同じく天皇賞に出場する純也は、雄太とメイゲイルを見てから深呼吸をしていた。
「ア、ゲイルダァ〜。ゲイル、ゲイル。ガンバレ、ゲイル〜」
黄緑色と白のポンポンを大きく振って、悠助はテレビに向かって精一杯の声援を送っている。
(パドックで歩いてるのを見るだけであんなにはしゃぐんだもんなぁ〜)
メイゲイルがレースに出た日の悠助はいつもより早寝をしてしまうのがよく分かると春香は笑った。
(雄太くん。ゲイル。頑張ってね)
テレビの画面の中で、秋の日差しを受けてキラキラと輝くメイゲイルの馬体を見詰めていた。
ファンファーレが鳴り響き、競馬場内には大きな大きな歓声が湧いた。
メイゲイルの最終オッズは1.2倍と圧倒的な一番人気だ。多くの人々がメイゲイルの華麗なる大逃げに期待を寄せているのだろう。
十二頭のゲートインが終わり、全馬が落ち着いたタイミングでゲートが開いた。スッとゲートを出たメイゲイルは一気に先頭に立ち、グングンと加速していく。
テレビの画面にはメイゲイルだけが映っている。二番手の馬が映らないぐらいにメイゲイルは先行していた。
(凄い……。後ろの馬がついていけてないよ……)
『圧倒的な強さ』というのは、こういう事だなと春香は思った。悠助はガンガン応援しているのだが、春香は言葉をなくしていた。
「パパ〜っ! ゲイル〜」
「パッパ、パッパ〜」
「パー。ゲイユ。パー。ゲイユ」
凱央も俊洋も美理愛も各々の好きな色のポンポンをフリフリしながら、雄太と単独で先頭を走るメイゲイルを応援している。
メイゲイルの綺麗な尻尾が真後ろにたなびいていた。他馬を一切寄せつけない、美しさと強さを見せつけているようだった。
残り800mを過ぎ、4コーナーの手前に差しかかった時だ。
それまで快調に駆けていたメイゲイルの馬体がガクンと揺れた。雄太がグッと手綱を曳いている。
後ろから来る馬がメイゲイルを追い越していく。
(え? ゲイル?)
テレビを見ていた春香は思わず立ち上がった。画面の中、メイゲイルは明らかにおかしい足の動きをしていた。
「ゲイユ? エ? ゲイユ、ドウシタノ?」
悠助は手にしていたポンポンを手離し、テレビの前に駆け寄った。
画面はメイゲイルを追い抜いた馬達が映るだけで、メイゲイルが映る事がなかった。
(あれは……何かあったんだ……。足を痛めたとかだ……)
春香は全身が心臓になったかのような気がしていた。
ドクン……ドクン……
自分の鼓動が耳に聞こえるような気がして立ち尽くしている春香に、悠助が駆け寄ってきた。
「マーマ、マーマ。ゲイル、ハシルノヤメチャッタノ? ドウカシタノ?」
春香に縋り付いている悠助は目にいっぱい涙を浮かべている。
凱央達も次々と春香の近くにやってきて、不安そうな顔を見せていた。
春香はしゃがんで悠助と視線を合わせた。
「ママにもよく分からないの。怪我しちゃったんじゃないかなって思うだけで……」
「ゲイル、ケガシチャッタノ?」
「ママは分からないから、パパが帰ってきたら訊いておくね?」
「ウン……」
テレビから流れてくる音声は、優勝した馬と騎手を称えるものと判明している着順だけだ。
(ゲイル……。雄太くん……)
今の春香に分かるのは、鞍上の雄太が無事だった事だけだった。




