992話
健人が眉間に皺を寄せながらスタンドで座っていた。目の前には、すっかり冷めてしまったうどんがあった。
「健人?」
何とも言えない雰囲気を醸し出している健人に気づいて純也が声をかけた。
だが、健人はジッとうどんの丼を見詰めていて、純也が声をかけた事にも気付いてなかった。
「け・ん・とっ!」
「あわわわわわっ!」
健人はビックリして椅子から転げ落ちそうになってしまって、慌てて純也がガシッと健人の腕を掴んだ。
「どうしたんだよ?」
「あ……あ……うん」
もう少しで転げ落ちてしまいそうになったと分かった健人は助けてくれた純也を見上げた。
「ありが……とう……。純也……先輩」
「いや、良いけど。何かあったのか?」
「えっと……」
純也は健人の前の席に腰かけた。
「ここじゃ言い難い事か?」
「ん……まぁ……」
「んじゃ、場所変えようぜ」
健人がうどんの丼を手にした時、純也がその手を握った。
「貸せ」
「え?」
目を真ん丸にした健人の手から丼を奪った純也は、うどんを一気食いを……というか、一気に飲み干した。
「うどんは……飲み物じゃ……」
「んん〜っ! プハァ。食べられずに捨てられるなんてうどんが可哀想だろうが」
『うどんが可哀想』と聞いて、健人はらしいなと思った。
「捨てたらもったいないなら分かるけど」
「まぁ、な」
純也はうどんの丼を店のおじさんに手渡して、健人を連れてスタンドを後にした。
純也は健人の話を聞こうと考えて、一旦寮に戻り車を出した。
健人が場所を変えたいと思っているという事は、トレセン関係の人間には聞かれたくないだろうと判断したからだ。
(どこに行くんだろ? てか、調整ルームに行く以外で純也に車乗せてもらうの初めてだ)
騎手の移動にかかる交通費は自腹だ。まだまだ収入が少ない新人は先輩達の車に同乗させてもらったりしている。
健人も同じ競馬場に行く先輩にお願いをしたりしていた。賞金や調教料などもあるが、トレーニングウェアを買ったり鞭や鐙、鞍などを買うと結構な出費になるかるだ。
(社会人になって親に金出してもらうとかしたくないし)
それは健人なりの親からの独立という気持ちからだ。
健人は色々と考えながら、窓の外をボーッと眺めていた。
純也の車は近江大橋を渡った。そのまま北上して行く。
(マジでどこまで行くんだ……?)
純也が車を停めたのは、レンガ造りの洒落た店の前だった。
「着いたぜ」
「純也、普段からここまで来てんだ?」
トレセンからかなり離れた場所まで来たからか、健人の口調はすっかり普段通りになっていた。
その事を純也は全く突っ込まずに、スタスタと店に入った。店内に入ると良い香りが漂っている。
「ここのハンバーグは絶品なんだぜ」
ハンバーグと聞いて、うどんを食べそびれていた健人の腹がグーっと鳴った。
純也は吹き出しながら、店員に案内された奥まった席に座った。健人は向かいの席に座ってメニュー表を見ると、それなりに高い金額に目が点になった。
(え? ヤベェ……。財布の中いくら入ってたっけ?)
そもそも相談相手として純也が適任なのかと、かなり失礼な事も思ってしまったのは誰にも言えないなと思った。
気づけば純也は店員に注文を終えていて、店員は頷いて厨房のほうに向かって行っていた。
「え……あの……」
「適当に頼んどいたぞ。お前、何も言わねぇから」
「あ、うん」
しばらくして鉄板に乗った大きな大きなハンバーグが純也と健人の前に置かれた。ジュウーと良い音と良い匂いが健人の食欲を刺激した。
「とりあえず食おうぜ。話はそれからだ」
「うん。いただきます」
肉汁が溢れるハンバーグをパクリと食べた健人は、目を見開いた。
(うま……。スゲェ美味い……。食い意地の張った純也は美味い店知ってんだな)
かなり失礼な事を思いながらハンバーグをペロリと平らげ、健人は純也に思い悩んでいた事を話した。
「あのさ……」
「分かってる。誰にも言わねぇよ」
健人が純也も頼りになるのだと認識し、憎まれ口を叩きながら尊敬した。




