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婚約破棄された私、王宮の女官全員に有給休暇を出しました  作者: 白川 透


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9/18

鳩羽色

 マルタは生地を私の腕に当てると、一歩下がって目を細めた。


「こちらの鳩羽色なら、昼の光でも沈みません。お顔まわりを明るくなさるなら、隣の若草も悪くないです。それから、この灰青。少し大人びますけど、外套と合わせやすいので」


 三枚目が腕に重なった。台の上には、まだ五枚ほど控えている。


 ベアトリスの娘の店は、大通りから一本入った角にあった。開店してひと月足らずで、入口の脇にはまだ祝いの鉢が並んでいる。そのうち一つの札の字に、見覚えがあった。女官の控え室で、毎朝の当番表を書いていた字だ。


「鳩羽色で」


「よろしいんですか。まだ型もお見せしていませんけど」


「色は、最初に気に入ったものにします」


 色で迷うのは、婚礼の支度で十分にやった。


 マルタは頷いて、型の帳面を開いた。外出用で、裾は歩きやすい長さに、身頃はゆったり。そこまでは私の注文どおりだった。私の目は、袖口の絵に止まった。手首から肘に向かって、小さな貝のボタンが斜めに並んでいる。留めるためのボタンではない。並んでいるだけのボタンだ。


「これを」


「飾りボタンですね。可愛いでしょう」


「可愛いです」


 窓際の椅子で、ベアトリスが茶碗を置いた。今日は勤めのない日で、女官の外套ではなく、灰色の普段着を着ている。娘の店にいるあいだ、彼女はずっと座っていた。座っているのに、店の中のことはだいたい見ている顔をしていた。


「では、寸法を。腕を上げていただけますか。横に、まっすぐ」


 言われたとおり腕を上げてから、私はふと、その腕を前へ伸ばした。下から、こう。肘を固めず、山なりに。


 マルタの巻き尺が、私の肩の上で止まった。


「今、何かお投げになりました?」


「いえ。腕が前に出るかどうかを、少し」


「前に、ですか」


「下から、こう」


 もう一度やってみせると、窓際から声がした。


「輪投げですね」


 振り返ると、ベアトリスは茶碗を手に取ったところだった。


「ニナから聞いております。二列目の杭で、木の鳥だとか」


 休暇中の女官のあいだで何が回っているのか、確かめるのはやめた。


 マルタは私の腕と型の絵を見比べ、それから飾りボタンの列を指で押さえた。


「それでしたら、これは外したほうがいいです。腕を振ると、ボタンが輪の縁に当たります。引っかかったら、輪より先に袖が杭へ行きますよ」


「残してください」


 自分でも驚くくらい早く答えていた。


「動きやすさを、とおっしゃいましたよね」


「言いました」


「飾りも残す」


「残します」


 マルタは困った顔をしなかった。帳面に何か書きつけて、もう一度私の腕を見た。仕立て屋の顔だった。


「別の服で投げれば、よろしいのでは」


 ベアトリスが言った。


 そのとおりだった。外出用の服で輪を投げなければならない理由は、どこにもない。輪投げは外出先で起きるものですから、という反論は、口に出す前に自分で聞いても弱かった。


「お母さん」


 マルタが巻き尺を首にかけ直した。


「座ってて」


「座っております」


「口が座ってないの」


 ベアトリスは黙って茶をすすった。私が延ばしてきた休暇の日付を一つ残らず覚えていた人が、娘には一言で引き下がる。私はそれを、見なかったことにした。


 マルタは待ち針を三本取って、型紙の袖にボタンの位置を写しはじめた。斜めの列を手首の内側から外側へずらし、肘の手前で止める。


「腕を前に出したとき、内側には何も当たらないように寄せます。並びは少し短くなりますけど、正面から見えるのは、もともとこちら側ですから」


 仮の布を袖の形に巻いてもらい、待ち針の位置に印をつけて、私はもう一度、下から腕を伸ばした。


 何にも当たらなかった。肘の下で、白い印が斜めに並んでいる。正面の鏡には、そのほとんどが映っていた。


「これにします」


「最初からそうすればよかったのでは」


 ベアトリスが言った。


「最初は、輪投げのご予定を伺っていなかったから」


 マルタは母親のほうを見ずに答え、帳面に私の名前を書いた。


 そのとき店の扉が開いて、年配の婦人が裾上げの品を取りに来た。マルタは待ち針を私の袖に刺したまま、そちらへ行った。私の袖は、婦人が裾の長さを三度確かめ終えるまで待った。


 戻ってきたマルタは、注文の帳面を一枚めくった。


「仕立ては順番ですので、上がりは十二日後になります」


 私は頭の中で暦をめくった。次の市は、九日後だ。


「次の市には、間に合いませんね」


「間に合いません」


「それでも、お願いします」


 次の市には、いつもの服で行けばいい。前の市も、それで勝った。


 帰り際、ベアトリスが入口まで見送りに出てきた。


「東通りの輪投げの屋台なら、去年は娘と行きました。あそこの主人は、二列目の杭を少し奥に打ちます」


「少し、ですか」


「指一本ぶんほど。娘は三投、無駄にしました」


 店の奥から、無駄にしてない、という声がした。


 公爵邸に戻ると、机の上に、子爵家からの打診の手紙がそのまま載っていた。返事の期限は来月の末。私はその手紙を、なんとなく目の届くところに置いたままにしていた。


 新しい便箋を出して、一行目を書いた。


 一度お目にかかって、どのようなお祝いをお考えか、伺えますでしょうか。


 下書きをしなかったことに気づいたのは、封をしてからだった。マルタにもらった鳩羽色の端切れを、封筒の横に置いた。

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