鳩羽色
マルタは生地を私の腕に当てると、一歩下がって目を細めた。
「こちらの鳩羽色なら、昼の光でも沈みません。お顔まわりを明るくなさるなら、隣の若草も悪くないです。それから、この灰青。少し大人びますけど、外套と合わせやすいので」
三枚目が腕に重なった。台の上には、まだ五枚ほど控えている。
ベアトリスの娘の店は、大通りから一本入った角にあった。開店してひと月足らずで、入口の脇にはまだ祝いの鉢が並んでいる。そのうち一つの札の字に、見覚えがあった。女官の控え室で、毎朝の当番表を書いていた字だ。
「鳩羽色で」
「よろしいんですか。まだ型もお見せしていませんけど」
「色は、最初に気に入ったものにします」
色で迷うのは、婚礼の支度で十分にやった。
マルタは頷いて、型の帳面を開いた。外出用で、裾は歩きやすい長さに、身頃はゆったり。そこまでは私の注文どおりだった。私の目は、袖口の絵に止まった。手首から肘に向かって、小さな貝のボタンが斜めに並んでいる。留めるためのボタンではない。並んでいるだけのボタンだ。
「これを」
「飾りボタンですね。可愛いでしょう」
「可愛いです」
窓際の椅子で、ベアトリスが茶碗を置いた。今日は勤めのない日で、女官の外套ではなく、灰色の普段着を着ている。娘の店にいるあいだ、彼女はずっと座っていた。座っているのに、店の中のことはだいたい見ている顔をしていた。
「では、寸法を。腕を上げていただけますか。横に、まっすぐ」
言われたとおり腕を上げてから、私はふと、その腕を前へ伸ばした。下から、こう。肘を固めず、山なりに。
マルタの巻き尺が、私の肩の上で止まった。
「今、何かお投げになりました?」
「いえ。腕が前に出るかどうかを、少し」
「前に、ですか」
「下から、こう」
もう一度やってみせると、窓際から声がした。
「輪投げですね」
振り返ると、ベアトリスは茶碗を手に取ったところだった。
「ニナから聞いております。二列目の杭で、木の鳥だとか」
休暇中の女官のあいだで何が回っているのか、確かめるのはやめた。
マルタは私の腕と型の絵を見比べ、それから飾りボタンの列を指で押さえた。
「それでしたら、これは外したほうがいいです。腕を振ると、ボタンが輪の縁に当たります。引っかかったら、輪より先に袖が杭へ行きますよ」
「残してください」
自分でも驚くくらい早く答えていた。
「動きやすさを、とおっしゃいましたよね」
「言いました」
「飾りも残す」
「残します」
マルタは困った顔をしなかった。帳面に何か書きつけて、もう一度私の腕を見た。仕立て屋の顔だった。
「別の服で投げれば、よろしいのでは」
ベアトリスが言った。
そのとおりだった。外出用の服で輪を投げなければならない理由は、どこにもない。輪投げは外出先で起きるものですから、という反論は、口に出す前に自分で聞いても弱かった。
「お母さん」
マルタが巻き尺を首にかけ直した。
「座ってて」
「座っております」
「口が座ってないの」
ベアトリスは黙って茶をすすった。私が延ばしてきた休暇の日付を一つ残らず覚えていた人が、娘には一言で引き下がる。私はそれを、見なかったことにした。
マルタは待ち針を三本取って、型紙の袖にボタンの位置を写しはじめた。斜めの列を手首の内側から外側へずらし、肘の手前で止める。
「腕を前に出したとき、内側には何も当たらないように寄せます。並びは少し短くなりますけど、正面から見えるのは、もともとこちら側ですから」
仮の布を袖の形に巻いてもらい、待ち針の位置に印をつけて、私はもう一度、下から腕を伸ばした。
何にも当たらなかった。肘の下で、白い印が斜めに並んでいる。正面の鏡には、そのほとんどが映っていた。
「これにします」
「最初からそうすればよかったのでは」
ベアトリスが言った。
「最初は、輪投げのご予定を伺っていなかったから」
マルタは母親のほうを見ずに答え、帳面に私の名前を書いた。
そのとき店の扉が開いて、年配の婦人が裾上げの品を取りに来た。マルタは待ち針を私の袖に刺したまま、そちらへ行った。私の袖は、婦人が裾の長さを三度確かめ終えるまで待った。
戻ってきたマルタは、注文の帳面を一枚めくった。
「仕立ては順番ですので、上がりは十二日後になります」
私は頭の中で暦をめくった。次の市は、九日後だ。
「次の市には、間に合いませんね」
「間に合いません」
「それでも、お願いします」
次の市には、いつもの服で行けばいい。前の市も、それで勝った。
帰り際、ベアトリスが入口まで見送りに出てきた。
「東通りの輪投げの屋台なら、去年は娘と行きました。あそこの主人は、二列目の杭を少し奥に打ちます」
「少し、ですか」
「指一本ぶんほど。娘は三投、無駄にしました」
店の奥から、無駄にしてない、という声がした。
公爵邸に戻ると、机の上に、子爵家からの打診の手紙がそのまま載っていた。返事の期限は来月の末。私はその手紙を、なんとなく目の届くところに置いたままにしていた。
新しい便箋を出して、一行目を書いた。
一度お目にかかって、どのようなお祝いをお考えか、伺えますでしょうか。
下書きをしなかったことに気づいたのは、封をしてからだった。マルタにもらった鳩羽色の端切れを、封筒の横に置いた。
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