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婚約破棄された私、王宮の女官全員に有給休暇を出しました  作者: 白川 透


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第8話 休めました

 ベアトリスからの手紙が届いたのは、B班の休暇が明けた朝だった。


 娘の店は予定どおり開きました、とあった。看板は少し曲がって掛かったけれど、娘がそのままでいいと言うので、そのままにしたこと。開店の日に女官仲間が三人冷やかしに来て、一着ずつ注文していったこと。店に来た仲間の話では、ニナが妹の髪紐の話ばかりするので、控え室ではもう誰も聞いていないこと。今月から増員の募集が始まり、王宮で受ける行事には数の上限が設けられたこと。


 最後の一行は、こうだった。


 休めました。


 お礼の言葉は、どこにも書いていなかった。私は手紙を二度読んで、二度とも同じところで笑った。


 昼前、父が書斎から顔を出し、社交の筋から聞いた話だと前置きして教えてくれた。伯爵家のほうから、殿下との結婚の話はしばらく見合わせたいと申し入れがあったらしい。殿下の行事の制限と費用のことは、王妃様の書状にあったとおりだという。


 父はそれ以上の噂を口にしなかったし、私も尋ねなかった。


 机の上には、もう一通届いていた。以前に祝宴の運営を手伝ったことのある子爵家から、来春の催しの調整役をお願いできないかという打診だった。丁寧な文面で、条件もよかった。


 返事の期限は、来月の末とある。


 私は期限の日付を確かめてから、少しお時間をいただけますか、と返事を書いた。断るのでも、引き受けるのでもなく。封をしてしまっても、思っていたほど落ち着かなくはならなかった。


 菓子店の扉には、今日は何も貼られていなかった。


 中に入ると、焼いた生地と蜜の匂いがした。窓際の席に案内され、侍女は入口近くの離れた席に座った。


 品書きを見て、私は迷わず看板の揚げ菓子を選んだ。蜜に漬けた、いちばん甘いものだ。ルシアン殿は品書きの上で指を三往復させてから、何も塗らない焼き菓子を頼んだ。


「相変わらず、甘いものから逃げますね」


「前回の教訓です。歯は大事にしませんと」


 運ばれてきた揚げ菓子は市場のものより一回り大きく、蜜が皿にまで流れていた。私が一口かじると、ルシアン殿が少し身を引いた。


「見ているだけで甘い」


「美味しいですよ」


「それは疑っていません」


 彼は自分の焼き菓子を割りながら、ふと思い出したように言った。


「ところで、輪投げの件ですが」


「覚えていたんですか」


「忘れるはずがありません。あれから考えたのですが、私の敗因は、最初に理屈を語りすぎたことです。次は黙って投げます」


「黙っても、外れるときは外れますよ」


「では、次の外出で確かめましょう」


 次の外出。彼はそれを、当たり前のことのように口にした。


「ええ。確かめましょう」


 私も、当たり前のように答えた。


 皿が空になり、お茶が二杯目になったころ、私は言った。


「今日、お誘いしたのは」


 ルシアン殿が顔を上げる。


 用件を言おうとして、何もないことに気づいた。頼みたいことも、相談したいことも、報告すべきこともない。王妃様のことも殿下のことも、もう片づいている。


「用があったわけではないんです。ただ、お会いしたかったので」


 言ってしまってから、耳が熱くなった。


 ルシアン殿はしばらく黙っていた。それから茶碗を置いて、まっすぐに私を見た。


「私もです」


 低い声だった。


「二年前から、あなたを尊敬していました。でも、今はそれだけでは」


 彼は一度言葉を切り、茶碗の縁に指をかけて、また離した。


「あの日、帰ってからも、次はいつ会えるだろうと考えていました。紙を出して、日付を書きかけて、やめて。次の約束を、輪投げの再戦だけで終わらせたくありません。これからは、恋人として会っていただけませんか」


 答えるのに、予定表は要らなかった。


「はい」


 卓の上に、ルシアン殿の手が差し出されていた。少し迷ってから、私はその手を取った。大きくて、思っていたより温かかった。


「父には、そのうちご挨拶にいらしてください」


「そのうち、必ず」


 窓の外で、四の鐘が鳴った。


 馬車と約束した刻限だった。ルシアン殿が懐中時計を確かめ、そろそろ、と言いかける。


「もう少し、一緒にいたいです」


 ルシアン殿は、虚を突かれたような顔をした。


「お疲れになってはいけないと思って、早めに切り上げるつもりでいたのですが」


「疲れていません」


「でしたら、私のほうには、何の用事もありません」


 店を出て、広場で待っていた御者に、出発を四半刻ほど遅らせてもらえないかと尋ねた。御者は構いませんよと笑って、馬に水をやりに行った。侍女にも伝えると、彼女は心得た顔で、少し後ろを歩きますと言った。


 川沿いの道は、前に歩いたときより水かさが増していた。


 並んで歩きながら、次に会う日を決めた。輪投げの屋台が出る、次の市の日。ルシアン殿は懐から紙を出しかけて、私と目が合い、そのまま懐に戻した。私は笑って、日付は覚えておきます、と言った。


 広場の屋根が見えてきた。もう少しで、四半刻が終わる。


 私は少しだけ、歩く速さを落とした。ルシアン殿も何も言わずに、それに合わせた。

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