第4話 いつものように
朝の支度は、いつもどおりに済んだ。
湯は適温で、シャツには糊がきいていて、朝食の卵は好みの固さだった。アーヴェルは食後の茶を飲みながら、やはり何も変わらないではないか、と思った。休暇だの交代だのと大げさに言っても、王宮は王宮だ。
変わったのは、茶を飲み終えて、上着を替えようと思い立ったときだった。
午後にはミレナが来る。せっかくなら、彼女の薄紅に合わせた礼装で迎えたい。春の式典で一度だけ着た白の上着が、衣装室のどこかにあったはずだ。揃いの飾り帯と手袋を出させて、袖丈を少し詰めさせれば間に合う。
「衣装係を」
侍従が出ていき、すぐに戻ってきた。
「担当の者は、王妃様の午前のご来客の支度に入っております。正午過ぎには戻るとのことです」
「では、別の者を」
次に来た女官は、扉の前で一礼して言った。
「申し訳ございません、殿下。私は十の鐘から王女様のお稽古のお付きでございます。お衣装の件でしたら、正午過ぎに担当の者が伺います」
「礼装を一揃い出して、袖を少し直すだけだ」
「はい。正午過ぎに伺います」
その次は、誰も来なかった。侍従によれば、今は手の空いている女官がいないのだという。今日から三十人が休みに入り、残った十九人にはそれぞれ朝から割り当てがある。アーヴェルが呼んだ回数は、その割り当ての順番を一つも動かさなかった。
嫌がらせか、と言いかけて、やめた。女官たちは皆、申し訳なさそうな顔で、次に来られる時刻を正確に告げていく。正確すぎて、怒る隙がない。
結局、侍従に手伝わせて、手近な上着に着替えた。白の上着がどの箱に眠っているのか、侍従は知らなかった。
昼前、アーヴェルは夜会の件を片づけることにした。
母上は昨夜、渋い顔をしながらも許した。私費で、今いる者の勤めを増やさず、内輪の会食の規模に収めるならば、と。延ばしてはどうかとも言われたが、延ばせば逃げたと思われる。元の婚礼の日に、新しい相手と堂々と客を迎えてこそ意味がある。客は四十人。母上の言う枠には収まっている。
会場の管理係と給仕頭、楽師の取りまとめ役を呼び、アーヴェルは言った。
「三日後の夜、広間で四十人の夜会を開く。いつものように整えてくれ」
一言で済むはずだった。
「卓はいくつ、どの向きに置きましょう。主卓は壇の上ですか、下ですか」
「開始は日暮れでしょうか、七の鐘でしょうか。皿数によって厨房への届けが変わりますので」
「楽はご入場の際にも入れますか。それとも、お食事のあいだだけで。殿下とお連れ様のご入場は、楽の合図に合わせますか」
三人が順に尋ね、それぞれの答えを待つ顔で並んだ。アーヴェルは三人を見比べた。
「いつものように、と言ったのだが」
「いつもは、女官長代理様がまとめてお持ちくださいましたので」
管理係が困ったように言い、ほかの二人も頷いた。
呼ばれて来たオルドが、三人の質問を一枚の紙に書き出した。卓の数、開始の刻、皿数、楽の有無と入場の段取り。
「ここから先は、殿下がお決めになることです」
「おまえが決めればいい」
「卓の向きくらいは決められます。ですが、どなたをどこへお座らせになりたいか、どの曲でお入りになりたいかは、殿下のお望み次第ですので」
オルドは紙を差し出したまま、引っ込めなかった。
午後、アーヴェルは王都の仕出し業者を呼んだ。
金で片がつくなら、それがいちばん早い。業者は手慣れていて、四十人なら卓は五つ、背後は無地の幕で十分、料理は五皿でいかがでしょうと、こちらが迷う前に案を並べた。楽師も同じ業者の伝手で揃った。オルドはその案に目を通し、この規模なら厨房と警備の手配に無理はないと言った。
夕方、試食の皿が並んだ。鴨は柔らかく、ソースはしつこくなく、最後の焼き菓子はフォークを入れるとほろりと崩れた。
悪くない。いや、十分だ。
アーヴェルはフォークを置いて、満足の息をついた。半日で夜会が一つ形になった。結局のところ、調整役などというものは、金と決断さえあれば要らないのだ。リディアはあれほど時間をかけて、いったい何をしていたのだろう。
ミレナが来たのは、試食の皿が下げられたあとだった。
計画を聞かせると、彼女は手を叩いて喜んだ。それから少しためらうように、指先でアーヴェルの袖をつまんだ。
「ねえ、殿下。一つだけお願いがあるの。主卓の私の隣に、母を座らせてもらえないかしら。母はずっと、私がこういう場に立つ日を楽しみにしていたから」
「もちろんだ。君の片側は私、もう片側は母君だ」
「嬉しい」
ミレナが腕に頬を寄せる。その温かさに、アーヴェルは自分の決断が正しかったと改めて思った。
ただ、と彼は考えた。無地の幕に、五つの卓。悪くはないが、いかにも地味だ。破談の噂を聞いた連中は、この夜会がどれほどのものか確かめに来る。新しい恋の始まりを、ありきたりの会食で迎えさせては、ミレナに気の毒ではないか。
「もっと華やかにしよう」
気づけば口に出していた。
「せっかくの祝いだ。君にふさわしい夜にしてみせる」
ミレナが目を輝かせて頷く。アーヴェルは、ついさっき出来上がったばかりの計画書を、もう一度手元へ引き寄せた。
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