三分の予定
冬が過ぎた。
ローデン家の祝いの支度は、冬のあいだに少しずつ進んだ。招待状は二度刷り直した。一度目は人数が増えたから。二度目も、人数が増えたからだった。
祝いまで、ふた月を切っていた。
ローデン家の客間で、エルナは原稿を両手で持って立ち、咳払いを一つした。子爵と夫人は長椅子に並んで座り、私はその向かいの椅子にいた。卓の上には、茶と、榛の入った焼き菓子が出ている。
「では、読みます。三分の予定です」
「三分」
子爵が言った。
「三分です、お父様。お客様は立って聞くんですから」
エルナは読みはじめた。
「本日は、父と母の結婚二十五年のお祝いにお集まりいただき、ありがとうございます。二十五年前の春、二人の婚礼は、この家の庭で始まりました」
「始まったのは昼過ぎだったな」
「始まったのは昼過ぎでした、と言ったら長くなるでしょう」
「長くはならないだろう、一言だ」
「その一言が、あと三十くらい出てくるのよ」
エルナは父親を見ずに続けた。
「ところが、食事の途中で雨が降り出し、皆で広間へ移ることになりました。そのとき父は、肉の皿を両手に一枚ずつ持って、庭から広間まで走ったそうです」
「三枚だ」
子爵が言った。
「二枚です」
夫人が言った。
「いや、三枚だった。両手に一枚ずつと、腕に一枚」
「腕に掛かっていたのは、ナプキンよ。肉のお皿は二枚」
「いや、腕にも皿があった。重かったのを覚えている」
「重かったのは、雨を吸ったナプキンです」
エルナは原稿から目を上げずに、二枚か三枚、と書き込んだ。
「そして、その一枚を母も食べました」
「全部は食べていないわ。半分」
「お母様、前は一枚食べたって」
「一枚もらった、って言ったのよ。食べたのは半分。残りの半分は、ハイネの叔父様が持っていったの」
「ハイネの叔父様が」
「あの人、自分の皿は庭に置いてきたのよ」
子爵が、そうだった、と膝を打った。
「あれはひどかった。私が走っているあいだに、あいつは傘を差して、悠々と歩いていた」
「傘を差していたのは、私の父です」
「いや、ハイネだ。お前の父上は、私の後ろで帽子を押さえて走っていた」
「父は走りません」
「あの日は走った」
夫人が黙った。何か思い出している顔だった。
「……走ってたわね。帽子を押さえて」
私は、焼き菓子に伸ばしかけた手を止めて、続きを待っていた。待ってから、自分が待っていることに気づいた。
エルナは原稿を胸に当てて、しばらく天井を見ていた。
「お祖父様が帽子を押さえて走った話、入れたい」
「エルナ」
「入れたい。お祖父様の話は誰もしたことないもの。ハイネの叔父様のは、別にいいけど」
「ハイネのは入れなくていいのか」
「叔父様は毎年、自分で話すでしょう。お祖父様はもう話せないんだから」
エルナは原稿の余白に、小さく何か書きつけた。それから、三枚目の話も、と言った。
「それは入れなくていいだろう」
「入れます。二枚か三枚か、お客様に決めてもらいましょう」
「三枚目は皿だ」
「だから、お客様に決めてもらうんです」
三分の原稿は、たぶん六分を超えていた。窓の外で、鐘が一つ鳴った。予定より、四半刻遅れている。
「エルナ様。原稿を拝見してもよろしいですか」
エルナが、余白の埋まった原稿を差し出した。二枚か三枚、半分、帽子、三枚目、ハイネの叔父様(不要)。最後の括弧だけ、少し字が大きい。
「壇の上でお話しになるのは、一つだけにしてはいかがでしょう。残りは、旦那様と奥様にお渡しする手紙に書いて、当日の夜にでもお二人で読んでいただく」
「一つだけ」
「どれを話すかは、エルナ様がお決めください」
私が選ぶ話ではなかった。どの話が本当なのかも、私には分からない。二枚なのか三枚なのか、一枚なのか半分なのか。
エルナは原稿を見下ろしたまま、長いこと黙っていた。子爵と夫人は、どちらも口を出さなかった。出したそうではあった。
「……帽子にします」
「お祖父様の」
「三枚目は手紙。お母様の半分も手紙。ハイネの叔父様は、書きません」
「書かないのか」
「書きません」
エルナはもう一度、最初から読み直した。雨が降り出し、皆で広間へ移ったこと。祖父が帽子を押さえて走ったこと。普段は決して走らない人だったこと。
読み終えて、エルナは顔を上げた。
「何分でした?」
「三分と少しです」
嘘ではなかった。少しの中身については、言わなかった。
夫人が、ハンカチで目元を押さえていた。子爵は、焼き菓子をもう一つ取った。
「やっぱり、三枚だったと思うんだがな」
「二枚よ」
エルナは原稿を畳んで、手紙の分の余白に、三枚(父の主張)、と書き足した。
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