故郷の煮込み
服が上がったという知らせは、注文から十二日目に届いていた。受け取りに行けたのは、父への挨拶の翌日だった。
マルタの店の奥で袖を通すと、鳩羽色は、端切れで見たときより少し青く見えた。鏡の前で腕を下ろすと、手首から肘へ、貝のボタンが斜めに並んでいる。外側に寄せた列は、正面から見るとちょうどよく目に入った。
私は鏡の前で、腕を下から前へ伸ばした。
「ここでは投げないでください」
マルタが言った。
「投げていません」
「後ろに棚があります」
振り返ると、確かに、反物の棚がすぐ後ろにあった。私は腕を下ろした。袖はどこにも引っかからなかった。棚にも当たらなかった。
店の入口で、別の客が待っていた。マルタは私に代金の受け取りを書きつけてから、すぐにそちらへ行った。ベアトリスは今日はいなかった。王宮で勤めの日だという。
その服を着て、ルシアン殿と出かけたのは、三日後だった。
待ち合わせの広場で、彼は私を見ると、一度だけ足を止めた。
「その色は、よくお似合いです」
そう言ってから、目が袖口へ下りた。
「ボタンが、外側に」
「腕を前に出したとき、内側に何も当たらないように寄せてもらったんです。並びは少し短くなりましたけど、正面から見えるのは、もともと外側ですから。それに、肘の手前で止めてあるので、腕を振っても」
私は、下から前へ、腕を伸ばしてみせた。広場の真ん中で。
ルシアン殿は、私の腕の動きを最後まで目で追った。
「……三戦目のための服ですか」
「外出用です」
「外出先で、輪投げがあるかもしれない」
「あるかもしれません」
ルシアン殿は、しばらく私の袖口を見ていた。
「公邸の裏庭に、もう一本、杭を立てようと思います」
「執事が止めます」
「今度は、説得します」
彼が連れていってくれたのは、川向こうの、職人の家が並ぶ通りの奥にある食堂だった。
扉を開けると、知らない香草の匂いがした。壁に、見たことのない文字の札が掛かっている。彼の国の文字だった。店主は彼を見ると、私には分からない言葉で何か言い、ルシアン殿も同じ言葉で返した。彼がその言葉で話すのを聞くのは、初めてだった。
席は長椅子で、隣り合って座る形だった。昼どきで、すぐに隣の卓も埋まった。肩と肩のあいだが、少しずつ狭くなった。私は詰めなかったし、離れもしなかった。
「煮込みを、ぜひ」
ルシアン殿は品書きを開く前に言った。
「肉を香草と一緒に、朝から煮るんです。香草は三種類で、そのうち一つはこちらでは手に入りにくいので、店主が国から取り寄せています。故郷では冬の料理ですが、この店は一年じゅう出していて、季節によって香草の割合が少し」
「ルシアン殿」
「はい」
「まだ、来ていません」
ルシアン殿は口を閉じた。それから、少しだけ笑った。
煮込みは、深い皿で来た。脇に、薄く焼いたパンが何枚も重ねてある。
ルシアン殿は、パンを一枚ちぎると、当たり前のように煮込みの汁に浸して口に入れた。考えてする動作ではなかった。
私は煮込みを一匙すくった。肉は匙で崩れるほど柔らかくて、香草の匂いが、後から鼻に抜けた。おいしかった。
それから、パンを一枚、何もつけずにかじった。
焼いた生地の端が、少し焦げて、香ばしかった。中はもちもちしていた。
「どうですか、煮込みは」
「おいしいです」
私はパンをもう一枚取った。
「こちらも」
「パンですか」
「パンです」
ルシアン殿は、少しだけ寂しそうな顔をした。それから店主に向かって、彼の国の言葉で何か言った。
しばらくして、パンの追加と一緒に、小さな皿が一つ来た。蜂蜜だった。
私は頼んでいなかった。
ルシアン殿は、煮込みの話の続きをしていた。季節によって香草の割合が少し違って、と。蜂蜜の皿については、何も言わなかった。
私はパンを蜂蜜に浸した。故郷の人が見たら怒るかもしれないと思ったけれど、店主は厨房の奥から、首を振りもしなかった。
「煮込みも、本当においしいです」
「パンほどではない」
「パンほどではないです」
ルシアン殿は、今度は笑った。
食事のあいだ、次にどこへ行くかの話になった。
「次も、近くにしましょう。あまり遠いと、お疲れになるので」
ルシアン殿が言った。
「そうですね。半日くらいの」
私も言った。それから、二人とも黙った。
前の外出も、その前の外出も、私たちはどちらも、相手が疲れないように、と言っていた。
「ルシアン殿は、本当は、どこか行きたいところがあるのでは」
「あなたは」
「私が先に聞きました」
ルシアン殿は、少し迷ってから言った。
「王都の北に、古い庭園があります。若い頃に読んだ本に出てきて、いつか見たいと思っていました。馬車で、半日では帰れません」
「行きましょう」
「お疲れになりませんか」
「疲れたら、馬車で寝ます」
ルシアン殿は懐から手帳を出した。私も、鞄から手帳を出した。二人とも、同時に、春の頁を開いていた。
侍女が、少し離れた卓で、見なかったふりをして茶を飲んだ。
庭園の花の見頃は、春の半ばだと彼は言った。そのころには、ローデン家の祝いの支度も、いちばん忙しい時期に入っている。私は手帳の、空いている日を指でたどった。
帰りの馬車の中で、私は窓の外を見ながら、別のことを考えていた。
西門の坂の途中に、二年前から入りそびれている店がある。窓に、蜜を塗った林檎の焼き菓子が並んでいた店だ。
次は、あそこへ連れていきたい。
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