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婚約破棄された私、王宮の女官全員に有給休暇を出しました  作者: 白川 透


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12/18

時間どおり

 ルシアン殿は、約束の刻限ちょうどに公爵邸の門をくぐった。


 ちょうど、というのは、門番が鐘を数え終えたのと同時だったという意味だ。私は二階の窓からそれを見ていた。彼は門の外でしばらく立ち止まり、懐中時計を二度確かめていた。


 客間では、父がすでに待っていた。


「フェルツ殿。よくおいでくださった」


「本日はお時間をいただき、ありがとうございます、閣下」


 挨拶は滑らかだった。ルシアン殿は、自国の使節団が来たときの手配のこと、こちらでの滞在のこと、任地が変わる可能性について自分が言えることと言えないことを、父の問いに一つずつ答えていった。言えないことを言えないと言うときの言い方まで、よく整っていた。


 父は頷きながら聞いていて、ときどき質問を足した。私が口を挟むところは、どこにもなかった。


 それなのに、ルシアン殿は茶碗に一度も手をつけていなかった。


 卓の上には、茶と一緒に皿が二つ出ていた。一つは塩をきかせた薄い焼き菓子。もう一つは、私がよく知っている形をしていた。小麦の生地を揚げて、蜜と砂糖をたっぷり絡めたもの。


「リディアの好物だと聞いてね。市の屋台と同じものを、今朝、買いに行かせた」


 父が皿をルシアン殿のほうへ押した。


「どうぞ。この子は昔から、これを見ると素通りできない」


「存じております」


 ルシアン殿は揚げ菓子を一つ取って、一口かじった。


 それから、ゆっくりと噛んだ。


 私はその噛み方を知っていた。市の屋台の前で、一度見ている。


「乳母がこっそり買ってきてくれた、と娘は言っているでしょう」


 父が言った。


「ええ、伺いました」


「あれは、私が乳母に銅貨を渡していたんです。この子は小さい頃から、私が買ってやろうと言うと、お行儀が悪いからいりません、と断る子でね。乳母がこっそり、なら食べた」


 私は茶碗を持ったまま止まった。


「お父様」


「もう時効だろう」


「二十年近く、黙っていらしたんですか」


「乳母が黙っていたから、私も黙っていた」


 ルシアン殿が、揚げ菓子を持ったまま私を見た。それから父を見た。口の中のものは、まだ半分も片づいていない。


「では、閣下が」


「三日に一度くらいかな。多すぎると、旦那様に見つかったら叱られます、と娘の前でふりをするのが大変だと、乳母がこぼすので」


 ルシアン殿は、ようやく飲み込んだ。それから、心からおかしそうに笑った。


「それは、知りませんでした」


「知らないでいてもらわないと、困るのでね」


 二人とも笑っていた。私の話で。


 私は塩の焼き菓子の皿を、そっとルシアン殿の手元へ寄せた。彼は揚げ菓子の残りを皿の端に置き、焼き菓子を一枚取った。父は見ていなかった。見ていなかったと思う。


「ところで、輪投げで娘に負けたそうですな」


 父が言った。


「はい。最初の市で」


「木の鳥を、まだ机に置いていますよ。ときどき向きが変わっている」


「お父様」


「掃除の者が言っていた」


 ルシアン殿は、少しだけ背筋を伸ばした。


「先日の市で、再戦いたしました」


「ほう」


「今度は、私が」


 父が私を見た。


 ルシアン殿の声は控えめだった。控えめに言おうとして、控えめにしきれていなかった。


「栗鼠でした。三列目の杭の」


「三列目」


「二列目より、景品の格が一つ上でして」


 父はゆっくりと私のほうへ向き直った。


「お前、それは言っていなかったな」


「聞かれませんでしたから」


「鳥の向きの話はしたのに」


「それは、お父様が勝手に」


 ルシアン殿は焼き菓子を食べていた。とても落ち着いた顔で、食べていた。


「次の市で、三戦目をお約束しています」


「では、次はどちらが勝つか、また聞かせてもらおう」


 父はそう言って、立ち上がった。


「フェルツ殿。今日のように、またいつでも。娘が負けた話は、娘からではなく、あなたから聞いたほうが早そうだ」


 玄関まで送ると、ルシアン殿は外套を受け取りながら、小さな声で言った。


「閣下は、どうお思いになったでしょう」


「さあ」


「何か、失礼はなかったでしょうか」


「一つだけ」


 ルシアン殿の手が、外套の留め具の上で止まった。


「お茶に一度も手をつけていらっしゃいませんでした。あれは父が自慢にしている茶葉です。次にいらしたとき、お味はいかがでしたと聞かれますよ」


「それは」


「答えられませんね」


 彼は息を吐いた。それから、少しだけ恨めしそうに私を見た。


「揚げ菓子は、半分残しました」


「見ていました」


「歯は、溶けませんでした」


「それはよかったです」


「あなたが皿を寄せてくださらなかったら、溶けていました」


 外套の留め具が、ようやく留まった。


「父は、見ていなかったと思います」


「閣下は、見ていらっしゃいました」


 ルシアン殿は門のほうへ歩き出しながら言った。


「私が焼き菓子を取ったあと、閣下は揚げ菓子の皿を、ご自分の側へそっと引き寄せていらっしゃいました。私の手の届かないところまで」


 私は玄関の扉の内側で、しばらく立っていた。客間の卓の上で、揚げ菓子の皿がどのくらい減っているか、確かめに戻るのはやめた。

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