第7話 嫌悪の視線
十一歳になる頃には、その違和感はもう、見て見ぬふりができないところまで育っていた。
屋敷を訪れる若い女性の、ほとんどが同じ反応を示す。俺と目が合った瞬間に強張る表情。距離を詰めると、さりげなく後ずさる足。挨拶の言葉に応じる声は、決まってわずかに震えていた。侍女たちの中には、俺の給仕を露骨に避けたがる者までいた。長く仕えてくれている年配の乳母だけは変わらず接してくれたが、それ以外の、若い女性使用人はことごとく、俺のことを苦手としているように見えた。
最初のうちは、気のせいだと思い込もうとした。前世でもさんざん顔のことで振り回されてきたのだ、少しばかり周囲の反応に敏感になっているだけだろう、と。だが、そう思い込もうとするたびに、新しい違和感の証拠が積み重なっていった。
決定打になったのは、隣領の子爵家との会食の席だった。
同席していたのは、俺と同い年くらいの令嬢だった。挨拶のために俺が椅子から立ち上がり、彼女の方へ向き直った瞬間――彼女は、隠す間もなく顔をしかめた。
「――っ」
それは、恐怖ではなかった。もっとはっきりとした、生理的な嫌悪の色だった。まるで、腐りかけた食べ物でも見せられたかのような。令嬢は慌てて表情を取り繕おうとしたが、一度浮かんだその色は、簡単には消えなかった。
場が一瞬、気まずい沈黙に包まれた。父は何事もなかったかのように取り繕い、話題を変えようとしたが、その耳が微かに赤くなっているのを、俺は見逃さなかった。
子爵夫人が、娘の腕をそっと叩いて咎めるように囁いた声を、俺は聞き逃さなかった。
「――こら、あからさますぎます。いくらアイゼンハルト家の若君のお顔立ちが、殿方にしては、その……繊細でいらっしゃるからといって」
「だって、お母様。あんな、女性みたいに整いすぎたお顔……見ているだけで、なんだか落ち着かなくて」
小声のつもりだったのだろう。だが、その言葉は、はっきりと俺の耳に届いた。
――女性みたいに整いすぎた顔。
頭を殴られたような衝撃があった。同時に、ばらばらだった違和感の破片が、音を立てて一つに繋がっていく感覚があった。この世界では、男らしい、精悍な顔立ちこそが美しいとされている。俺のような、繊細で線の細い顔立ちは、男性としては――むしろ、生理的な不快感の対象になるのだ。
前世では、整った顔のせいで、望みもしないのに女性たちにちやほやされ続けた。小野早苗には「罰ゲームだと思っていた」と拒まれ、麗奈には一方的な好意を押し付けられ、傷を負えば手のひらを返され、傷が治ればまた擦り寄られた。そのすべてに、うんざりして死んだはずだった。
それなのに、今度は真逆だ。整った顔のせいで、今度は嫌悪され、遠ざけられる。方向が逆になっただけで、「顔」というたった一つの要素に、自分という人間の扱われ方の全てを決められてしまう構図は、何ひとつ変わっていない。
――結局、俺は、どちらに転んでも「顔」から逃れられないのか。
死ぬ間際に願った「顔で評価されない世界」とは、こういうことだったのか。誰にも顔で判断されない世界などではなく、ただ、判断される向きが逆転しただけの世界。そんな皮肉に、笑うことすらできなかった。
*
会食が終わった後、父が一人、俺の部屋を訪ねてきた。何か言いたげに口を開きかけては、結局何も言えずに閉じる、というのを何度か繰り返した末に、父はようやく絞り出すように言った。
「……お前のせいではない。この土地の美醜の基準は、少し特殊なのだ」
言うべきかどうか、ずっと迷っていた――父の顔には、はっきりとそう書いてあった。
「本当は、お前がもう少し大きくなるまで話すまいと思っていた。いや……できることなら、一生気づかせずに済ませてやりたかった、というのが本音だ。だが、こうなった以上、隠し通すのも、かえって酷だろう」
父はそこで一度言葉を切り、迷うような間を置いてから、噛んで含めるように続けた。
「男には男の、女には女の、望ましいとされる顔立ちがある。男は精悍で、意志の強さを感じさせる顔立ちほど美しいとされ、女は逆に、柔らかく愛らしい顔立ちほど美しいとされる。……つまり」
父は、言いにくそうに一拍置いた。
「お前の顔立ちは、その物差しで測れば、並みの女性よりもなお女性的に映ってしまう。男でありながら、この世界でいう『女らしい美しさ』の極みに近いところにある……それゆえに、男としては、最も外れた――言ってしまえば、最も醜いとされる部類に見えてしまうのだ」
その言葉で、ようやく全体像がはっきりと見えた。ただ美醜の基準が逆になっただけではない。男女それぞれに真逆の理想像があり、自分はその両方の物差しの、最悪の交点に立たされている。整っていればいるほど、この世界の男としては不釣り合いに映る。逃げ場のない構図だった。
その言葉に、悪意がないことは分かっていた。それでも、慰めにはならなかった。悪くないのに拒まれる、という状況そのものが、前世からずっと変わっていないのだから。
その日の夜、自室に戻った俺は、久しぶりに鏡の前に立った。映るのは、繊細で整った、この世界の基準で言えば「美しすぎる」顔だった。前世でどれだけの女性を悩ませ、そして今、どれだけの女性を怯えさせているか分からない、皮肉な顔。
込み上げてきたのは、怒りでも、悲しみでもなかった。もっと乾いた、冷え切った諦めだった。
*
その夜から、俺は屋敷の中でも、必要以上に人前に出ることをやめた。食事も自室で済ませ、来客がある日は、体調が悪いと偽って顔を出さないことも増えた。
ある晩、母が心配して部屋を訪ねてきた。
「ヴォルフ、最近、あまり食も進んでいないようですが……何か、悩みごとでも?」
その声には、紛れもない気遣いがあった。だが、俺は俯いたまま、「大丈夫です、少し疲れているだけです」と、それだけを返した。本当のことを話したところで、何がどう変わるわけでもない。むしろ、母を困らせるだけだ。
母はしばらく俺の顔を見つめていたが、それ以上は何も聞かず、静かに部屋を出ていった。扉が閉まる音を聞きながら、俺は自分がまた一つ、誰かの優しさを拒んでしまったことに気づいていた。
誰にも、何も期待しない。誰にも、心の内側を見せない。
俺の中で、静かに、しかし確実に、何かの扉が閉じていく音がした。




