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第6話 築かれる名声

 水車の一件から、俺の日々は大きく変わった。


 それまでは書庫に籠って知識を蓄えるだけだった俺に、父は「試してみるといい」と、屋敷の裏手にある古い工房をひとつ与えてくれた。前世の記憶にある技術のうち、この世界の材料と技術水準でも再現できそうなものを、俺は片端から形にしていった。


 水はけの悪かった畑には、簡単な排水路と、てこの原理を使った揚水の仕組みを導入した。収穫期には、荷車の車軸に工夫を加え、同じ馬の数でより多くの荷を運べるようにした。冬場、暖房用の薪の消費を抑えるための、煙道を工夫した炉も作った。どれも前世なら教科書レベルの知識でしかなかったが、この世界では、ちょっとした奇跡のように扱われた。


 六歳の頃、領内を巡回していた王立学院の老学者が、たまたま俺の作った揚水の仕組みを目にして、驚いた顔で何度も図面を見返していたことがあった。


「坊や……いや、若君。これを、独学で?」


 俺が曖昧に頷くと、老学者はしばらく黙り込んだ後、「この国の技術は、あと十年は遅れていたようだ」と、独り言のように呟いていた。その一言が、後々まで屋敷の中で語り草になった。


 七歳のときには、水車小屋の隣に小さな製粉所を新設し、水力を歯車で伝えて複数の石臼を同時に動かす仕組みを組み上げた。前世の記憶にある、産業革命以前の初歩的な機構をなぞっただけのものだったが、この世界の職人たちにとっては、まるで魔法のような代物に映ったらしい。工房に見学にきた職人頭が、歯車の噛み合わせをいつまでも飽きずに眺めていたのを覚えている。


「若君のお作りになるものは、いつも道理が通っておりますな。魔法とは違う、確かな理屈というやつが」


 職人頭のその一言は、俺の胸に、想像していた以上に深く刺さった。魔法ではなく、理屈。誰にでも説明でき、誰にでも再現できるもの。それこそが、前世で俺が学びたかったものの正体だった気がした。


 八歳の頃には、領内の街道にかかる橋の設計にも関わらせてもらえるようになった。老いた大工頭は最初、幼い俺の提案に半信半疑だったが、実際に組み上がった橋が、以前よりずっと軽い荷重で頑丈に保つのを見て、以後は何かにつけて俺の意見を求めてくるようになった。


 こうして、アイゼンハルト男爵領の実入りは、年を追うごとに目に見えて増えていった。近隣の貴族たちの間でも、「アイゼンハルト家の跡取りは、たいそう聡明であるらしい」という噂が、少しずつ広がり始めていた。


 九歳になったある日、王都から一台の馬車が屋敷にやって来た。王家の紋章をつけた、正装の役人だった。


「此度、陛下におかれましては、貴領における治水及び農地改良の功績を、大変喜ばしくお聞き及びであらせられます」


 役人が読み上げたのは、国王からの直々の言葉だった。父は緊張した面持ちでそれを拝聴し、俺は少し離れた場所で、大人たちのやり取りを眺めていた。


「――かの功績、単なる幸運にあらず。アイゼンハルト家の若君の才によるものと聞く。末永く、その才を国のために役立てられよ」


 役人が去った後、父は俺の肩に手を置き、これまで見たことのないほど誇らしげな顔をした。


「ヴォルフ。お前は、我が家の誉れだ」


 その一言に、俺は柄にもなく、胸が熱くなるのを感じた。


 顔ではなく、成し遂げたことで評価される。国王という、この世界で最も高い場所にいる人間からも、その評価が届いた。前世でどれだけ足掻いても手に入らなかったものが、今、確かに俺の手の中にあった。


 ――今度の人生は、悪くない。


 そう思えるようになるまでに、そう長くはかからなかった。


     *


 だが、そんな順調な日々の中で、俺はあることに気づき始めていた。十歳を過ぎたあたりから、屋敷に出入りする女性たちの様子が、どうにもおかしいのだ。


 新しく雇われた若い侍女は、俺と目が合うたびに、なぜか顔を強張らせて視線を逸らした。取引で訪れた商人の娘は、俺に挨拶をする段になって、明らかに一瞬、体をこわばらせた。最初は人見知りか、貴族の子への緊張だろうと思っていた。


 決定的だったのは、父の古い友人だという伯爵家が、幼い娘を連れて屋敷を訪れた日のことだ。挨拶をしようと俺が一歩近づいた瞬間、その少女は小さく悲鳴を上げ、母親の背中に隠れてしまった。


「まあ……ごめんなさい、この子ったら」


 母親が慌てて取り繕い、少女も気まずそうに謝ってきたが、その目には、はっきりと怯えの色が浮かんでいた。まるで、恐ろしいものでも見てしまったかのように。


 その夜、俺は自室で一人、昼間の光景を反芻していた。あの子の反応は、単なる人見知りにしては、あまりに強すぎた。思い返せば、似たような反応は、これまでにも何度かあった気がする。ただ、あまりに些細なことだったから、気にも留めていなかっただけで。


 男の使用人たちや、父の取引相手の男たちは、そんな態度を一切見せない。むしろ「若君はたいそう賢い」と、好意的な視線を向けてくることの方が多い。年配の女性たちも、俺を見て特に怯えたりはしない。おかしいのは決まって、俺と歳の近い、若い女性たちだけだった。


 女性の反応だけが、明らかに違う。


 その違和感の正体に、俺はまだ気づいていなかった。

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