第2話 罰ゲーム
それでも俺は、早苗への声かけをやめられなかった。
よそよそしくなった態度の理由が分からないまま、俺はただ、以前のような何気ない会話を取り戻したくて、朝の教室で、昼休みの廊下で、下校時の昇降口で、機会があるたびに彼女に話しかけ続けた。
「昨日の続き、読んだ?」
「……うん、少し」
「あの武将、結局どうなったんだっけ」
「……調べてみて」
返ってくる言葉は日に日に短くなっていった。以前のような、たどたどしいなりの熱を帯びた相槌は、もうどこにもなかった。俺と目を合わせることすら避けているようにも見えた。
それでも、あの図書室での午後の記憶があったから、俺はどこかで期待をやめられなかった。あれは間違いなく本物のやり取りだったはずだ。だからきっとまた戻れる。そう思い込もうとしていた。
*
二学期のある放課後、俺は思い切って早苗を呼び止めた。他に生徒のいない、昇降口の隅だった。
「最近、なんか避けられてる気がするんだけど。俺、何かした?」
できるだけ軽い調子で聞いたつもりだった。けれど早苗は、俺の顔を見ないまま、しばらく黙り込んでいた。上履きの先を見つめ、何度か言葉を探すように口を開いては閉じ、そして、ようやく絞り出すように言った。
「……冬野くんみたいな人が、私なんかと普通に話すの、最初はずっと、罰ゲームか何かだと思ってた」
一瞬、意味が理解できなかった。
「罰ゲーム、って」
「クラスの誰かに、からかい半分で『あの子に話しかけてこい』って言われてるんだろうな、って。……だって、そうじゃないと、説明つかないじゃないですか」
早苗の声は、責めるようでいて、どこか怯えているようでもあった。彼女の中で、俺という存在は最初からそういう位置づけでしかなかったのだと、そのときようやく理解した。
俺の顔が良いことも、周りにちやほやされることも、俺自身が選んだことじゃない。それなのに、その「顔」のせいで、早苗にとって俺は、最初から対等な人間としては見られていなかった。純粋に本の話をしたくて話しかけただけの俺の言葉さえ、彼女の中では「イケメンが物好きで構ってやっている」という文脈でしか受け取られていなかったのだ。
「そんなつもりじゃ、なかった」
それだけ言うのが精一杯だった。早苗は何も答えず小さく頭を下げると、逃げるようにその場を去っていった。
その日から卒業式までの間、俺たちは一度も、まともに口をきくことはなかった。廊下ですれ違っても、目が合う前に互いに視線を逸らす。それだけの関係になった。
卒業式の日、体育館を出たところで、俺は一瞬だけ早苗と目が合った。何か言おうとして、結局何も言えないまま、彼女は友人たちの輪の中へ紛れていった。それが、俺と小野早苗との、最後のやり取りだった。
――
実を言うと、この時期にはもうひとつ、思い出したくない出来事があった。
麗奈だ。
早苗との一件から少し経ったころ、麗奈は帰り道の途中、人気のない公園に俺を呼び出した。断る理由を用意する間もなく、彼女は俺の腕を強く掴み「好きなの、付き合ってよ」と、有無を言わさぬ調子で迫ってきた。「なんで即答してくれないの、私じゃ不満なの?」――困惑して一歩下がろうとした俺の手を麗奈はさらに強く握り直し、逃がすまいとするように距離を詰めてきた。
その圧の強さに、俺は生まれて初めて、女子という存在そのものに、ある種の恐怖に近い感情を抱いた。好意というものが、時にこんなにも一方的で、相手の意思を踏みにじる形で向けられることがあるのだと、そのとき身をもって知った。
なんとかその場を丁重に断って離れることはできたが、それ以来、俺の中で「女子の好意」という言葉には、うっすらとした警戒心がまとわりつくようになっていた。
小野早苗には、顔のせいで最初から対等に見てもらえなかった。麗奈には、顔のせいで一方的な欲望をぶつけられた。ベクトルはまるで違うのに、行き着く先はいつも同じだった。俺の「顔」が、俺自身よりも先に、俺の人間関係を決めてしまう。
それ以来、俺は勉強にだけ打ち込むようになった。
*
卒業後は、家からそう遠くない、そこそこ名の知れた進学校に進んだ。だが、新しい環境でも俺の顔は相変わらず注目を集めた。入学して間もない頃、見知らぬ先輩の女子に呼び出され、案の定「付き合ってほしい」と告げられたこともある。俺は淡々と「ごめん、今はそういうの考えられなくて」とだけ返した。理由も、感情も、何も乗せない言葉だった。相手が傷ついた顔をしていたことには気づいていたが、それ以上何かを言う気にはなれなかった。
話しかけてくる女子には、当たり障りのない返事だけをして、必要以上に踏み込ませない。友人と呼べる相手も、自然と男子ばかりになっていった。
高校生活は、そうやって淡々と過ぎていった。
あの日――俺の人生を大きく変えることになる、あの事故が起きるまでは。
その朝も、いつもと変わらない通学路のはずだった。少し肌寒い、秋の始まりの空気。俺はいつものように、イヤホンで音楽を聴きながら、歩き慣れた歩道を歩いていた。
前方の交差点で、誰かの甲高い声が響いた。
「危ない――!」
その声に顔を上げた瞬間、視界の端で、小さな影が車道に飛び出すのが見えた。




