第29話 新宿魔人戦線⑥
敵は圧倒的だった。
前線のサポートに来たひよりの側付き吉田と退魔連の桜庭は、暗澹たる有様に目を覆った。多くの退魔師が倒れ、前線部隊の隊長は息をしていなかった。
赤い大男――否、鼻を切られているが相手は天狗だ。
仙道を極めし天狗が嗤っているのだ。
「カカカカカ! 小娘ども、良いぞ! よく耐えておる!」
ひよりと澪は連携し、天狗に対抗しようとするも単純な暴力に連携を崩され、殴られ続けていた。
「お嬢!」
「ひよちゃん、もういい! 逃げろ!」
少女たちが暴力に打ちのめされる。
戦えない大人たちはただそれを見守るしかないのか。
「おい、桜庭。俺が壁になるから、そのうちにお嬢たちを回収してやってくれ」
「わかった! 死ぬなよ!」
「お嬢と約束している!」
吉田はもはや戦える身体ではない。右手は義手で、左目は義眼。
足は両足ともあるが、走れるような足ではない。筋を傷めているのだ。
だが、その苦痛に耐えて吉田は走った。
否、まともに走れているとは言えない。
だが、守るべき主とその相棒を助けるためなら、自身の命など軽いものだ。
そうして吉田と桜庭は、ひよりたちの近くまでやってきた。
ひよりはフラフラと立ち上がっている。
澪は未だ倒れている。
「お嬢! お逃げください!」
「……やだ」
まさかの拒否に、吉田の頭が沸騰する。
叫ぼうとした瞬間、隣にいた桜庭が声を荒げる。
「バカな事言ってんな! ひよちゃんが死んで、どうするんだ!」
「あと、ちょっとなんだ……。それより、ポーションある……?」
「こちらに……! 最後の一本です!」
ふらつきボロボロの身体で引きずるように歩いてくる。
ひよりは吉田から中級の回復ポーションを奪うように受け取った。
そして、一口だけ飲み、澪の方へと向かう。
最後の一本であれば、相棒たる彼女にも回復が必要だ。
「お嬢、何やってんすか!?」
「……黙ってて、吉田さん」
この時、吉田は主の言い分に混乱した。
逃げない主に反抗してでも止めるのが、本来側付きとして正しい対応だ。
だが、吉田の主は。ひよりは今も瞳を爛々とさせていた。
死にそうな身体であるはずなのに、今も意思が燃えている。
こうなった時、止まれない事を誰でもなく吉田がよく分かっている。
若かりし頃戦い続けた自身と、目の前の少女を重ねてしまう。
今、止めたら、止めてしまったら……!
桜庭がひよりに向かって走ろうとする。
だが吉田がその動きを止めた。
桜庭はたまらず叫ぶ。
「おい、吉田ぁ! 何してんだ、てめえ!」
「お嬢が戦おうとしてんだ! 止められるか!!」
吉田は歯を食いしばり、涙を流し、ひよりの後ろ姿を見つめた。
ひよりは澪の方へ向かい、胸元に少し垂らしてから口元へポーションを流す。
澪は血を吐いたものの、息を吹き返した。
争雅はその光景をニヤニヤと見ていた。
一条ひよりは、こと妖魔との戦闘において無類の強さを誇っている。
一対一であれば完勝続きであったし、相棒の九里澪と共により強くあろうとした。
強くなければ、勝てなければ……いつかの日に日本が滅亡すると知っているから。
妖魔との戦闘で頼れる大人は想像以上に少ない。
現に前線部隊で今立っているのは、ひよりと澪だけだ。
だからこそ、澪と共に強さを求めた。
サイに師事を仰ぎ、たったの二ヶ月でここまで強くなれた事に感動もした。
これならば、いつか大妖が現れようと立ち向かえる。
そう思った矢先、争雅を名乗る魔人――天狗が現れた。
鼻はなくなっているが、真っ赤な肌に筋骨隆々の体躯。
目の前にいる魔人は、仙道を極めし天狗だ。
大妖とまではいかないが、上級の妖魔と区分してしかるべき存在だ。
なぜか仙術を使ってこないが、その恐るべき膂力だけで全てを蹂躙してくる。
なぜ、これほどの妖魔が現世に出現しているのか。
天狗は、サイと同じ強さを持っている。
否、手加減せずに打ち込んでくる分、模擬戦の時よりもダメージが酷く、身体中が悲鳴を上げている。事前にサイより借りた簡易シールドを張る指輪と回復ポーションのおかげでなんとか立ち向かえているが、肉体の疲労限界はとうに超えていた。
「……澪ちゃん、いける?」
「ひよりこそ……いきますよ」
ふたりとも肉体は既にボロボロだ。だが、まだ目は死んでいない。
姿勢を整えると、争雅もまた構えをとった。
澪が魔法杖の棍で突きを放つ。
「カカカカ! そのやり口は先ほどやったろう!」
突いた棍を、天狗は最小の動きで剛腕に抱える。
動きを止めた争雅に対して、続けてひよりが首元めがけて愛刀『白祓』を振りぬく。だが、奪った棍を巧みに操り、刀の軌道を変え、刀はあらぬ方向に刃を走らせる。
そうして、ご丁寧に棍を澪の傍に放り投げる。
戦いを楽しんでいるのだ。この天狗は。
この時、遠くで爆発する音が聞こえた。
だが、ひよりと澪は眼前の敵にだけ集中していた。
「む?」
争雅が爆発した方向に顔を向けた。
「チャンス!」
なぜかわからないが隙が生まれた。乾坤一擲のタイミングが生まれたのだ。
ひよりと澪は同時に争雅に向けて魔力弾の連弾を放った。
「ガハハハハ! 残りはワシだけか!」
ひより達には天狗が何を言ってるのかわからなかったが、この時、争雅は禁雅の消滅に気づいたのだ。
「嘘でしょ……」
争雅は魔力弾に対して避けもせず、受け止めきった。
まるで手ごたえがなかった。
「さて、次はワシの手番じゃな!」
争雅は、ひよりと澪に一撃ずつ拳を放った。
ひより達は、この戦いが始まって何度目かの失神をするのだった。
「……おい、ひよちゃん!」「お嬢!」
遠くからひよりたちを呼ぶ声が聞こえる。
ひよりはそれで目覚める。
重い体を、刀を支えに立ち上がる。
気づけば澪も魔法杖の棍を使って立ち上がっていた。
「……もうよせ、ひよちゃん! 澪ちゃん! 限界だ!」
遠くから桜庭と吉田の声が聞こえるが無視する。
もう少しで何か掴めそうなのに、うるさい。
あと少しで掴めるのに。
ひよりは、そんな事を考えていた。
この時、誰かがひよりと澪の近くにやってきた。
頭は朦朧としたままだが、誰かが近くに来たのがわかった。
桜庭か吉田か、あるいは他の退魔師か。
ひよりは、正直に言って邪魔だと感じた。
今ここで負けたらいけないのに。戦わないといけないのに。
「ふたりとも大丈夫か」
ひよりの傍に立つ者は、サイだった。
いつからいたのか。あるいはどこかで戦っていたのか、サイも傷を負っていた。
だが、いずれもかすり傷程度のものだ。
ダメージ量でいえば、ひよりや澪の方が重傷だ。
「あとちょっとでアイツ……魔人やっつけるから」
「見ててください、先生」
「だが、そのダメージじゃ……」
せんせまで、私たちを止めようとするのか。
あと少しで倒せそうなのに。
朦朧とする意識の中、それでもひよりの中の闘争の火は消えていない。
「黙って見ててよ……っ!」
「倒します……」
ひよりは叫ぶように、澪は静かにけれど強く言い放つ。
もはや身体中が悲鳴を上げているのに、なお心は戦えと叫んでいる。
一種のトランス状態なのかもしれない。
サイはふたりの身体を見た。
冒険者の鎧と貸し出したアクセサリー類のおかげか、致命傷は負っていなかった。
ただ身体は限界だった。
死にはしないが、ギリギリだと見抜いた。
一番の問題は、今ここで止めたら、彼女たちの冒険が終わるという事だ。
仮にサイがあの天狗とやらを倒したら、この先彼女たちはまともに戦えなくなる。
今後の戦闘時、ピンチになったらあきらめる事を覚えてしまう。
冒険者として戦士として一番必要な才能『あきらめない』が出来なくなる。
それが痛いほどにわかった。
自身より圧倒的に強い相手に立ち向かい、勝利する。
それができるかもしれない状況なのに、それを遮られるのは悔しいのだ。
だからこそ、サイは彼女たちにできる事をやる事にした。
「わかった。とはいえ、そんな状況じゃ倒すものも倒せないだろう。ほら、まずはこれを飲め」
そう言って、ふたりにそれぞれ渡したのは上級の回復ポーションだ。
ふたりの体力と傷をまずは完全回復させる。
だが、それでも意識は未だ朦朧と――否、過集中状態だ。
サイが見ていない間に何度なく打ちのめされたのだろう。
ふたりが回復ポーションを飲んだ事を確認する。
「ひとつだけアドバイスだ。分かっていると思うが、戦い方を工夫しろ。教えた事、使える手を全て出して、相手の動きの先を読め」
五感集中して相手を視て、直感で相手の先を読む。
そして、魔力制御の神髄に気づけば……《《あの程度》》、倒せるはずなのだ。
わかっているのかいないのか、ひよりと澪はふわっと答える。
「そっか……。うん……わかった……」
「もっと引き出して……」
ふたりは、もはや相手の天狗しか見えていない。
アドバイスも届いているか否か。
だが今のふたりならば、あるいは……。
サイがふたりにアドバイスをしていると、争雅が口を出してきた。
「ガハハハ! お前か! 禁雅を倒したのは! 小娘らはもう良い! お前が戦え!」
「てめえは黙って、このふたりの相手をしてろ」
争雅は、この時、これまで感じた事のない怒気に一瞬たじろいだ。
天狗である自身が一歩後退した。
その事実に喜びを感じた。
「カカカカ! 小娘どもは次で終いだ! その後で相手してもらうぞ!」
「うるせえ。俺の弟子を舐めんな」
そう言って、サイは争雅を睨む。
「ふたりとも行ってこい!」
「「はい!」」
ひよりと澪は、争雅の前に立つ。
新宿魔人戦線、最後の攻防が始まる。
ひよりと澪は、これまで見た事のない表情をしていた。戦士の顔だった。
対する争雅は、未だ大した傷を負っておらず、この後に来るご馳走を考えて嗤っていた。
最初に仕掛けたのはひよりだった。
聖属性の魔力弾を放ちつつ、愛刀『白祓』を抜き、走り出す。
流れるようにひよりは争雅に剣戟を放つ。
争雅にとって、この戦いで何度も見た動きだ。
地を這う動きしかしないのだ。争雅にとって退屈な動きだ。
「カカカ! その動きは何度も見ておる!」
争雅は剛拳を放った。
この拳で何度となくひよりを殴り倒した。
剛拳は今回もこれまで同様、ひよりの胸に突き刺さ――らなかった。
「なんと!?」
殴ったはずなのに異様な感触に防がれた。
「……そうやって殴ってくるの、《《知ってたよ》》」
ひよりはここにきて師の教えどおり『直感を作り』、争雅の動きを読んだのだ。
そして剛拳を受け止める異様な感触の正体、それも師が教えてくれた万能の盾だ。
この極限状態の中、ついに習得せしめたのだ。
争雅は驚愕する。
動きを読まれた! だが、それでも人の目では我が剛拳は捉えられぬ。
一体どうして!
この戸惑いが、大きな隙を呼んだ。
目の前のひよりに集中しすぎたのだ。
この時、澪はひよりの後ろにいた。
そして、気づけば争雅の大きな体躯の真上にいた。
「飛んでおるだと!?」
見るものが見ればわかるだろう。
ヘクサシールドだ。ヘクサシールドの上に澪は立っていた。
師に救われたあの日の憧憬のまま、万能の盾の上に立つ事を決めたのだ。
澪の持つ棍は、魔法杖だ。
異世界では中級レベルの魔法杖で、かつてサイが使っていたという魔法杖。
「うああああああああああ!!!」
澪は叫びながら、最大火力を魔力弾に乗せ、争雅の頭上に放った。
自身が内包する魔力を制御できるのだ。
ならば、ひとつの魔法に通常以上の魔力を込める事も可能だ。
一撃に十ではなく五十、あるいは百の魔力を乗せたらどうなるか。
これまでにない一点集中、特大の魔力弾が争雅を襲う。
「があああああっ!!?」
争雅はダメージを負いつつもかろうじて逃げる。
「なぜ飛んでおる! 仙術の類でもあるまい!」
慌てて構え直す。
この時、いつの間にか目の前に立っていた澪が、棍を振りかぶっていた。
振りぬくタイミングで、棍を掴む。
これもこの戦いで何度となく見せた流れだ。
そのせいか、争雅は棍を掴もうとした。
が、棍は飛んでこなかった。ただのフェイントだ。
それを争雅は読み取れなかった。
動きの読み合いを澪は制した。
「ぬっ!?」
そして。
「奥義抜刀『白祓一閃』!!」
争雅の背中から、ひよりの奥義を放つ声がした。
争雅が次に気づいたのは、自身の頭部がひよりの奥義により地に落ちた事だった。
「ぬおおおおおっ!?」
ひよりは、争雅が澪に集中した刹那を五感集中で見抜き、背後から奥義を放ったのだった。
「カカカカカ! まさか小娘どもにやられるとは! なんと、わが身の不覚よ!」
頭部だけとなったにも関わらず、争雅はなお笑っていた。
ほんの少し前まで殺し合っていたというのに、毒気の抜ける笑い声だった。
ひよりと澪は、ある意味陽気な魔人に呆れる。
「だが、今宵の戦いは良かった! お前らが強くなった事を言祝ごう!」
ネームドの妖魔というのはサイが禁雅にやったような魔法を使わない限り、魂が幽世に戻るだけだ。
そして、今他の退魔師も見ている中、サイがその魔法を使うわけにはいかないし、なにより、ひよりと澪が為した大金星にケチをつけたくなかった。
「天狗の言祝ぎって、それは悪くないけど、もう二度と戦うのはごめんかな」
ひよりの言葉に、澪は無言でウンウンと頷いた。
「カカカ! そう言うな! いずれまた会おうぞ、小娘どもよ!」
少しずつ争雅の身体と頭部が消えていく。幽世に帰ろうとしているのだ。
「いかんいかん! 小娘ども、名を聞いておらなんだ! 一条の娘としかわからん!」
「一条ひより」
「九里澪」
最初に名乗ったはずなのに忘れている。
戦闘の楽しさのせいか、完全に相手の名前を忘れたのだ。この天狗は。
「一条ひよりと九里澪か! 相分かった! その名、この身に刻んでおこう! 我が真名は……」
真名とやらを答えようとするが、争雅の頭部が消えた。
身体も消え去り、幽世に帰っていった。
この時、新宿魔人戦線が終結した。
お読みいただき、ありがとうございます。




