幕間 吉田という男
ひよりと澪を乗せた車。
運転するのは、ひよりの側付き吉田だ。
吉田は一条家の傍流に生まれた男だ。
二十年以上前。当時二十代だった彼は妖鬼の群れとの戦闘で右手と左目を失った。
もともと格闘経験もあり、妖魔だろうが悪霊だろうが一対一であれば問題なく戦えていた。ゆえに妖魔を舐めてしまった。
それが路上の喧嘩でもリングの上の試合でもなく、妖魔という魑魅魍魎との《《殺し合い》》だという認識を完全に失念していた。
結果が、右手と左目の喪失だ。
新宿タワーで冒険者として戦っていれば、魔力を高める事もできたかもしれない。あるいはモンスターと戦う事で経験を積めていれば話も変わったかもしれない。
だが、あの当時、退魔師たちはまだ新宿タワーの有用性に気づいていなかった。
新宿タワーでモンスターと戦おうが、どこかの路上で妖魔や悪霊と戦おうが同じだと考えられていたのだ。
新宿タワーの有用性に気づいたのは吉田が再起不能になった後の話だ。
それから数年。
吉田は大ケガのせいで精神的に腐っていた。
前線で戦える人間が少しずつ削られていく日々の中、本来戦うはずの自身が戦えなくなってしまった事が悔しかった。
まだ義手も現代ほど精密なものがなかった時代だ。
左目もそうだが、右手がない事を心底呪い、そして腐っていった。
周囲に怒鳴り散らし、不甲斐なさから嗚咽を吐く。
そんな日々が続いた。
そんな中、一条ひよりが生まれた。
生まれながら、退魔師として戦う事が運命づけられた少女。
まだ赤子だった彼女を見た時の衝撃を、吉田はきっと生涯忘れないだろう。
ひよりの母は、右手を失った吉田にひよりを抱かせた。
「手を失った乱暴者に抱かせようとするな!」と叫びたいが、赤子の前で叫ぶわけにはいかない。
生まれたばかりの天使の前で吠えるほど、堕ちていない。
慌てて左手でひよりの頭を支え、義手となった右手でバランスをとった。
今まで赤子なんて抱いた事がない。
左腕で壊れ物をそっと包むこむように持つ。
あったかくて、ミルクの匂いで包まれた天使。
抱っこしながら天使を眺めていた、その時だ――
赤子だったひよりの手は、何を思ったのか右腕を掴んだ。
「あらあら。ひよりったら、吉田のことが気に入ったのかしらね」
涙が出た。
右手がなくなった程度で、左目がなくなった程度で何を腐っているのか。
この無垢な天使を目の前にして、腐ったままでいるのか。
この日より吉田は心を入れ替えた。
ひよりが退魔師になった時、自身を側付きになれるよう、ひよりの両親に申し出た。彼女が退魔師として前線で戦う事を運命づけられているというのなら、彼女が万全で戦えるようにする。その為に「この命を賭す」と心に決めた。
ひよりは、今や次代の退魔師として注目の存在となった。
こと戦闘だけで見れば、年上の退魔師以上の才能を見せる剣姫となった。
そうして今に至っている。
今日、初めて生でサイの姿を見た。
ひよりと澪が先生と慕う男性。
一条家で調べた限り、三十年行方不明で『海外にいた』という――渡航履歴も記録もない――虚偽の可能性がある報告をする身元の怪しい人物。
しかし、その力量は本物だ。
『Tower Tube』の映像を見る限り、吉田より少し年下であろうか。
彼が新宿タワーで戦う姿は配信で何度も見ている。
四十を超えているというのにソロで戦う姿に痺れた。
羨ましさと悔しさが混ざった感情だ。
元来、暴力家である自身の身体の衰えは、誰でもなく自分がよく分かっている。
サイがあの年齢であれほど動けている理由は努力を積み重ねた結果だ。
努力を積み上げられた事に羨ましく思う。
努力を重ねられなかった自身を悔しく思う。
吉田の運転する車の後部席には、今、主人たるひよりと相棒の澪が座っている。
防具として借りたという男性もののアクセサリー類を見ながら、あれこれと話している。
正直、最初の一瞬ギョッとした。
防具の話をしていたのに、なぜアクセサリーが出てくるんだ、と。
だが、吉田は前線で戦えない身なれど退魔師だ。
そこいらの人の何倍も霊感がある。
その霊感が、あのアクセサリーがすごい装具だと告げていた。
ふたりの会話から矢避けの術式や魔法系の防御や耐性など、そういったものがあのアクセサリーに付与されているとわかった。
日本にもそういった効果を持つ装具がある。
古来より伝わり、現代では作り方の消失した道具類だ。今、新しく見つけようとしたら、新宿タワーで見つける他ない逸品だ。新宿タワーで見つかると言っても、十階層以上ではないとアクセサリー系の装備はめったに出ないと聞いた事がある。
更に求めた性能のものが出てくる可能性の低さは語るまでもない。
それを弟子とはいえポンと貸し出す精神。
サイという男性がどんな経歴の人間か。
主人のひよりからは知らされていない。
けれど、かなりの実力者である事は明白だ。
「俺も教えを受けた方がいいのかねぇ……」
ふと。そんな事を思った。
昨今の退魔師業界のスローガンは『強くなれ』だ。
現在、若い退魔師ばかりを前線で戦わせてしまっている状況に吉田ぐらいの世代の男性は忸怩たる想いを抱いている。
せめてもうちょっと自分たちが戦えるようになったなら。
ひよりたち若い世代ばかりに重荷を背負わせる状況を変えられるのではないか。
そんな思いから、ふと漏れた言葉だった。
「ん、どしたの吉田さん」
「いえ、なんでもありやせん。お嬢」
後部座席のひよりが吉田に声をかけてきた。
吉田は慌てて誤魔化しを入れる。
「よくわかんないけど、吉田さんは私のサポートに徹してくれたら嬉しいよ」
ふと、ひよりがそう言った。
「そうですよ。吉田さんがいらっしゃらなかったら、ひよりがバカな真似をした時、私だけで止める事になります」
澪もそんな事を言う。
ばっちりひとり言を聞かれた上、真意に気づかれていた。
だが、彼女たちはそれでも和気あいあいと会話を重ねる。
「そんな暴走してないもん!」
「こっそりケーキ爆喰い未遂事件……それと深夜の妖魔退治のあと、よりにもよって大二郎系ラーメン屋に突撃しようとした時……」
「わぁあああ! それはいいじゃん! 戦った後お腹、減るでしょ!?」
「あの時、私は吉田さんが傍にいてくれて、どれだけ助かったか……」
「へい。側付きとして当然のことをしたまでで」
「ひどい! 吉田さんまで!」
「ふふふ」
「もう、ふたりともひどい!」
考える事は自身のことではない。
今夜、彼女たちは中級クラスの、これまで相手した事のない強い妖魔と戦闘する。
これから死闘を繰り広げるだろう彼女たちを思うのなら、せめてこの和やかな空気が壊れないようしたい。
側付きである自身の役目は、彼女たちの補佐だ。
万全に戦えるよう、少しでもできる事を積み上げるのだ。
そして願う。
――彼女たちにケガがないよう。健やかに成長するよう――
吉田は祈るのだった。
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