第23話
新宿タワーでの指導が終わり、ひよりと澪がお風呂に入っている頃。
サイはひとり散歩をしていた。
行き先は決めていない。
せいぜい行った事のない道を行ってみようぐらいの心持ちだ。
目的としても三十年分の変化を楽しむというものである。
道路を見ると車と電動のキックボードが走っていた。
子どもの頃にあった足漕ぎのキックボードが、三十年経った現代では電動のキックボードになっている。流行りが一周したようなものなのだろうか。
車の方は恰好よく見えた。三十年前からどれほどの進化があったのか、異世界帰りのサイはわからない。けれど、昔の車は今より角ばったデザインが多かったように感じる。
内装などもきっと進化しているのだろう。
「……そういえば俺、免許取れるんだよな」
車の免許は、たしか十八歳からだ。サイなら取得できる。
あれば何かと便利だし、時間を作って運転免許を取得するのも悪くない。
日本に帰ってきてからというもの、異世界にいた頃より時間を自由に使えている。
取っておけば、移動が便利になるだろう。
……現状、自宅以外だと新宿タワーと一条ひよりの道場ぐらいしか移動しない男が「移動が便利になるかも」なんて考えてどうする、と脳内のサイがツッコむ。
けれど、子どもの頃「大人になったらドライブを楽しむもの」と教わった。
やってみるのも手だ。
そんな事を思いながら、プラプラと歩く。
ふと気配を感じた。
――魔の気配だ。
視線を向ける。建築中のビル、養生シートの隙間から妖鬼が見えた。
「妖鬼……餓鬼、か?」
異世界では見かけなかったモンスターだが、日本人であるサイには馴染みのあるモンスターだ。
日本ではまだ大気の魔力――マナが少ないせいか、ああいった存在を一般の人々は見る事ができない。だが一定以上に魔道覚が養われている人なら、現状でも妖魔や悪霊の類を見る事ができる。
退魔師であるひよりや澪が見えているのが、その証左とも言える。
「処理しておくか」
サイは、周囲の気配を確認し、人々がこちらに注目していない事を確認する。
そっと手の中に聖属性の魔力弾を小さく生成する。
建築中のビルの中に入ったら怒られるだろうから、ホーミング性を高め、シートの隙間から発射する。
「ギャ!」
見事に命中し餓鬼が消滅していく事を確認する。
妖魔にせよ悪霊にせよ、彼らは魔力で身体を構成している。
あの程度の存在だと死ねば塵も残さず消えてしまう運命だ。
「問題は、普段どれぐらいの頻度で出てくるかなんだよな……」
魔道覚を強化して周囲を見渡すと、他にもいくらか魔の気配を感じた。
異世界の都市部では結界のおかげで、低級悪霊の発生率は低い。
長期間稼働を続ける結界は時として綻びを生むため、そのタイミングで出現するという経緯だ。そういった際は教会の神父か騎士、あるいは冒険者が出張って対処している。
日本の場合はどうか?
そもそも報連相のフローはどうなっているのか。
一般人は退魔師の実在すら知らないというし……。
「とりあえず、今度会った時ひよりと澪に相談するか」
そう決めて、気配を感じた残りの餓鬼もぱぱっと処理して回った。
一方。新宿タワーより北へ数キロ程離れた雑居ビルの屋上。
サイの行動を見ている者たちがいた。
いずれも異形の姿をした妖魔だ。
「雑種をやったのは彼奴か……」
「よわそーなヤツ。ザコ相手にイキってるとか!」
ひとりは精悍な肉体をした男性の妖魔だ。
しかし腹の部分が大きな口のようになっており、頭部には奇妙な面と異形な角を生やしていた。
もうひとりは和風の衣装を着た女性の妖魔だ。
妖艶なスタイルに見えるが、全身が毛に覆われており、半獣半妖。
見るものが見れば狐の獣人のような印象を受ける。
「存外、弱そうなのは見かけだけやもしれぬぞ」
「アタシらみたいに力抑えてるってコト? キャハ! んなコトねーよ! ありゃ、ザコでしょ♪」
隠れ潜む餓鬼を見つけた技術と最小の攻撃で処理しきった手腕から、あるいは……とも男性の妖魔は感じる。
しかし、女性の妖魔の言うとおり餓鬼を倒した男から霊的な気配は感じない。
何より仇敵たる奴らの匂い――過去に戦った退魔の一族とは違うだろう。
「期待外れもありえるか」
屋上のドアがガタンと大きく鳴った。
「おい! 禁雅に慮狗雅よ。面白いもんがおったぞ!!」
筋骨隆々の赤い大男が立っていた。鼻の部分がごっそりと削れた面貌をしており、その手は瀕死のサラリーマンの首根っこを掴んでいた。
「争雅、大声で喋んないで! うっさい!」
「慮狗雅よ、すまんすまん!」
「で、そやつは?」
「おう禁雅。こやつが俺たちの事を見張っとったぞ」
争雅と呼ばれた大男は、サラリーマンを雑に放り投げた。
既に両足は折られ、身体中がアザだらけで瀕死に見える。
このような状況であるのに喋る事もできず、呻き声しか発せない。
「はぁ、このオヂ。ちょーくっせーっんスけど!」
「こやつ退魔の一族だな。この血の匂い覚えがある」
「殺すか」
半笑いだった慮狗雅から表情が消え、手が上がったその瞬間。
禁雅がその手を止めた。
「止せ」
「おい、なに止めてんだよ」
「これが退魔の一族であるなら、良い使い道がある」
禁雅は理性的な声で語る。
しかし、腹の口が大きく裂け、ニヤけた時のような口元となっていた。
「久しぶりの現世だ。文のひとつも出してやらねば」
「ガハハハ! ざっと三百年ぶりだもんな! 挨拶のひとつもせねば!!」
「あ~、そーいう? 理解したわ♪」
いずれの妖魔も、残忍そうな笑みを浮かべた。
彼らは新宿タワーを見ている。
「此奴を使って宣戦布告だ。それからあの塔だな。あの人の手ならざる気配。神代からのものであろう、アレをいただくとしようか」
禁雅の腹にある大きな口が嗤っていた。
新宿タワーができて以来、神秘が現実に帰ってきた。
オカルトとはフィクションの一部であり、科学的に解明できない事象に理屈をつける存在であり、現代で言えば創作のための存在とされていた。
しかし、オカルトの一部は真実だった。
未だ科学による解明はできていないが、スキルや魔法の存在がその証左となった。
超自然的な存在……モンスターの実在も明確になった。規則を破らない限り、新宿タワーから出てこないが、一般の耳目に晒された。
では、霊的事象はどうか?
新宿タワー内に悪霊と呼ばれるモンスターが出てくる事は確認している。
だが。例えば日本であればお盆の時。祖先は自分たちの家に帰ってくるのだろうか? あるいは成仏できない霊は、町中を徘徊しているのだろうか? ビデオテープに悪霊が取り憑くという事は現実に起こりえるのか?
これらの話は、新宿タワーができて間もなく話題になった話だ。
連日テレビやネットをにぎやかし、世界中の宗教観に変化を生んだ。
大きな混乱が続いたが、結局の結論は「いたとしても、俺たちには見えない」という事だった。
そんな中、ごくごく一部。政治経済の中心部に近い人々は、それまでの関係から、とある人々に接触を図っていた。
当時、拝み屋として繋がりのあった家々である。
二〇〇〇年代初期、世界的な変化と混乱の中、一般市民に知られる事もなく、しかしダイナミックに立場を変えたのが一条家とその一派だ。
平安時代より続く退魔師の家系と言われ、それを売り文句として拝み屋をやっていた一条家は『悪霊祓い』が生業のひとつだった。
当時はただの儀式。あるいはゲン担ぎ程度のものとされていたが、一条の悪霊祓いは真実だったのだ。
政府は一条家を含む退魔師を生業としていた人々に密かに接触をはかった。
当時、新宿タワー出現による大混乱から世間はかなりピリピリした状況だったが、それでも市民が平静を保てたのは「ルールを守る限り、モンスターは新宿タワーから出てこない」とされていたからだ。
もし悪霊や妖魔といった存在が実在し、新宿タワー以外でもモンスター的存在が跋扈しているとしたら。それがもし表沙汰になったとしたら……。どのような問題が起こるか想像に難くない。
これ以上の混乱はなんとしてでも避けたかった日本政府(及び、各国の政府)は、悪霊や妖魔の存在を秘密裏に処理する事を決定した。
その結果、生まれたのが日本政府より支援を受けて立ち上がった組織『日本退魔連合』だ。
彼らの存在は秘匿され、活動を公表しない事が義務づけられている。
サイが妖鬼退治をした翌日。早朝。
日本退魔連合の関東支部の入っているビル。
そんな場所に、今ひとり。サラリーマン風の男が入ろうとしていた。
入口のすぐ横に管理人室がある。
彼がロックを解除しないと上の階へは行けない仕組みなのだ。
「はい、どちら様で……ああ、矢代さん」
「うぅ……」
「今開けます。少々お待ちを」
ロックを外した。
矢代と呼ばれた男性は、呻くだけで何も言わず上に向かっていった。
管理人は、この時スマホに夢中で矢代の顔をまともに見ていなかった。
もし見ていれば、目の焦点がおかしかった事にも気づけただろうに。
関東支部の人間だからと気にしていなかったのだ。
ただ口調から、ちょっと調子が悪そうだなぐらいにしか認識していなかった。
それから五分後。
そのビルの三階にて大爆発が起こった。
騒乱が始まる。
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