第14話
新宿タワーから帰還した、その日。
私――九里澪の心は壊れる寸前だった。
自宅に帰り、ご飯も食べずに「疲れたから休む」とお母さんに伝えて部屋に入り安堵した瞬間、身体が言う事を効かなくなったのだ。
覚醒して魔法が使えるようになって、たくさん努力して、初級魔法と呼ばれるものは使えるようになった。
ひよりに誘われて(お母さんには内緒だけど)退魔のお仕事もやるようになった。
悪霊や妖魔との戦闘は、時々ピンチになる事があった。でも怖くなかった。
経験を積み重ねて、十八歳になって新宿タワーにも行けるようになった。
ケガで痛い思いもした。モンスターの放つ血の匂いで吐き気を覚えた事もある。
お母さん、最初のうちは配信を見て心配してくれたけど、最近は仕事で忙しいのか私の配信を見ていないみたいだ。お父さんが死んでから忙しくなったし、仕方ないよねと割り切れた。
どんな事でも克服できた。
どんな怖い事もツラい事も慣れるのだ。
退魔のお仕事と新宿タワーの冒険のおかげで、順調に魔力を高める事ができて、強くなった実感もあった。
モンスターを倒して手に入れた魔石やドロップ品を売って、学生が持つには高すぎる金額を見て慌てた事もある。
装備や道具に、たくさんのお金を使って更に上階層を目指していって……。
まだ新宿タワーを登るようになって数ヶ月だけど、充実した日々だ。
そして今日、私は死にそうになった。
あのおじさん。山浪彩人さんというおじさんに助けてもらわなければ、ひよりに助けてもらう前に喰い殺されていた。
のしかかってきたグレイウルフの重みと感触が、未だ身体に残っている。
死んでいたのだ。おじさんが来なければ死んでいた。
多分、おじさんが来るタイミングが数秒でも遅かったら、それで死んでいた。
そう気づいた瞬間、身体がおかしくなった。
動かない。震えが止まらない。
これまで、一度も感じた事のない恐怖が私を苛む。
手に持ったガンロッドが手から離れない。もう壊れて使い物にならないのに、それでも手から離れない。なんでかわからないのに身体が縮こまっていく。足がカタカタと笑いつづけている。
「なんで、こんな……」
そうして震える身体が更に縮こまり、武器を抱えこむ手が身体に触れた瞬間、私はおじさんに抱っこされた時の感触を思い出した。
そうだ。おじさん。私を助けてくれたおじさん。あのおじさんを見よう。
そうしたら、少しは動けるようになるかも。
震える身体をなんとか動かしてスマホを持ち、帰り際に教わった『山浪彩人』という名前を頼りに検索を始める。
彼のチャンネルはすぐに見つかった。
配信のアーカイブは二つしかない。つまり新宿タワーに入った回数はまだ二回という事だ。話には聞いていたけど、本当だったんだ……。
初回の配信から確認していく。
拳闘士とでも言えばいいのだろうか、殴ったり蹴ったりして力強くモンスターを倒していく。その腕は鍛え上げられた大人の男性のソレだ。
私は抱き上げられたのだ。この力強い腕で。
アーカイブを見ていくと、随所で魔法を使っている姿が見られた。
拳闘士かと思ったら魔法戦士だったようだ。
無属性の魔力弾を放ち、飛行系のモンスターを倒していく。
威力はちょっと弱く感じるが、それでもモンスターは確実に倒されていく。コントロールも百発百中。相手から吸い込まれるように魔力弾を放っていく。
とても二回目の攻略とは思えない。
魔法を使う事に慣れた手つきだった。
おじさんの姿を見て、少しずつ恐怖が薄れていく事に気づいた。
若い男性が助けられる姿を見て、私と同じように抱っこされている姿を見て、自分に重ねてしまう。
そうしたら恐怖に浸された身体が元に戻っていった。
今日の配信……おじさんにとっては二回目の冒険も見る。
おじさんの戦う姿を見ていたら、なんだか安心する。
心もだんだんと落ち着いていった。
強いおじさんを見て、心が安心するって変なの。
でも、おじさんのおかげで私は、いつもの私に戻れた。
そのまま配信を見続けていると、別の小さな違和感が生まれた。
なんだろうか、山浪さんの魔法を見ていると、変な感じがする。
何度も見ていてようやく違和感の元に気づいた……魔法使いたる私が見逃してはいけない。それほどのインパクト。
「なにこれ……」
私はスマホの配信アーカイブから目が離せなくなっていった。
翌日、朝。
一条ひよりは、自身が通う高校の教室にいた。
冒険者であり退魔師である彼女だが、普段は麗らかな女子高生なのだ。
「昨日は大変だったね」「大丈夫!?」などとクラスメイトが声をかけてくる。能天気におちゃらけた感じで「ほんとマジヤバかったよ」なんて、そんな風に返事する。
確かに昨日の一件は澪と組んで以降、一番のピンチだったかもしれない。
だが退魔のお仕事の時、もっとピンチだったこともあったせいか、お気楽に考えている。けれど澪は、本当にギリギリだった。
なにもケアせず自宅に帰してしまったのは失敗だったかも、と考えていた。
だが、そんな話をクラスメイトには話せない。
話してどうにかなるものではないし、いらない心配をかけさせるだけだ。
九里澪が登校してきた。
彼女の顔を見て、ひよりは大きく焦った。澪の目が虚ろでクマもひどい。
足取りも、いつもの彼女らしくない。普段のスマートさがまるでない。
眠れなかったのだろう。やはり自宅に帰したのはまずかった。
ひよりはさんざん見てきたのだ。戦えなくなった退魔師たちを。
原因は何も大ケガだけではないのだ。恐怖で、人の心は容易く折れる。
自身の失態に気づいたひよりは、本気で焦った。
同世代の相棒が、こんな事になっていたのに気づけなかった!
「み、澪ちゃん。顔ヤバい事になってるけど、その……」
どう喋ろうか。迷ってしまう。
「……昼休みに時間をください」
澪は虚ろな瞳で、そう言ってさっさと自分の席に向かってしまった。
ああ! ダメなやつだ。顔に生気がなさすぎる。
新宿タワーどころか、退魔のお仕事(お手伝い)もやれなくなる。
「終わったーー………」
ひよりは天を仰ぎ見て、自身のミスを本格的に自覚し落ち込むのだった。
昼休み。校舎のはずれ。
ひよりと澪は、誰も通らない、ひとけのない場所に集合した。
ふたりだけの内緒話をする時は、いつもここだった。
ひよりは澪から告げられるであろう最後通牒を恐れ、俯いている。
昼休みが来るまで、どのように翻意してもらうか考えていたのだが、どうにも挽回の手がない。戦えない戦いたくないという人を戦わせる。
そんな無体な真似はできない。
だからこそ、どうしたらいいか。あわあわと悩んでしまう。
対する澪は目が虚ろで、ひよりの方を向いているが、ひよりを見ていない。
本当に危なかったのだ。澪の心の傷は本当に深い。
なんと言えばいいのか迷いつつ、それでもひよりは澪に声をかけた。
「うう~、澪ちゃん。その昨日は……」
「昨日のことで……」
「ほんとにごめん……っ!」
「これを……」
全力で頭を下げるひより。対する澪はスマホの画面を見せつける。
画面には『Tower Tube』の、山浪彩人のチャンネルが開かれていた。
「何してるの。動画を見て」
「え、あれ……あ、はい」
普段、澪らしからぬ言い方もあいまって、ひよりは慌てて、澪に指示されるまま、スマホを見た。
再生されているのは、昨日の新宿タワー攻略で澪の命を助けてくれた恩人、山浪彩人なる冒険者の配信アーカイブだ。
「よく見てください。山浪さんの戦い方」
言ってしまえばガタイの良いおじさんが戦っている動画だ。
冒険者免許取り立てとは思えぬほど、その動きは洗練されている。
ひよりの予想では山浪彩人は軍人上がりだ。直感がそうではないと言ってくるが、それでもこの戦い慣れてる感じは冒険者でなければ、軍人しか思い浮かばない。
とはいえ、使っている武器は一般的なものであるし、すごい魔法を使っている様子もない。勉強としてチェックしている新宿タワーでトップ層と呼ばれる冒険者たちの配信と比べると見劣りしてしまう。
「う~ん。すごいとは思うけど、そんな気になる事ある?」
「どこを見ているんですか、ここです」
そう言って指さしたのは、ジャイアントバットに無属性の魔力弾を当てているシーンだった。綺麗な弧を描いて命中させる姿は、魔法を使い慣れてる印象を受ける。
「綺麗な魔力弾だね。命中率も高いし、うん。すごいと思う」
上から目線で答えるひより。澪は、その姿に軽く落胆しつつ話す。
「今の魔力弾、生成してから、中空に待機指示して、それから射出してるんです」
「ええ、そんなわけないでしょ。たまたまそう見えるとかじゃないの?」
魔法が不得手で近接戦闘ばかりのひよりには澪が驚いている理由がわからない。
魔力弾を生成し、しばらく待機させてから、射出。言葉にすれば簡単だが、ひよりはできなくとも、魔法使いの澪ならできる事ではないのか。
「少なくとも、私はこうやって魔法を使う事はできませんし、トップ勢の魔法使いの戦い方も散々見てきましたが、こんな事できる人はいませんでした!」
澪にしては珍しく熱く語る姿に、驚きを禁じえない。
普段はクール系美少女なのに。
「ちょっと私にはわかんないけど、澪はどうしたいの?」
「……話を聞こうと思います」
その目には意思の火が灯っていた。
寝ていないせいか目が腫れぼったく、クマもひどい。
もしかしたらひよりの予想どおりだったのかもしれない。
だというのに、その目は爛々としている。
ひよりは、その目に見覚えがある。
あの日、夜の公園で「戦う気か」と問うた時、同じ表情をしていた。
澪の前へ進もうとする心は、今も健在だ。
ならば、一条ひよりの仕事は、相棒のサポートだ。
「それじゃお礼も兼ねて、挨拶に行こっか」
「はい!」
我が意を得たり。そんな顔をする澪。
ひよりは、その顔に肩を落とした。
「私の不安はなんだったんだ~って話だよ。まったく……」
ひよりは、今朝からさっきまでの不安を思い出して愚痴る。
「何か言いましたか?」
「会うのはいいけど、目のクマひっどいよ、って話」
「……ご挨拶前になんとかしましょう」
さて。あの冒険者のおじさんは甥っ子の連絡があって助けに来たという話だ。
甥っ子というのが誰かわからないが、学校の下級生とわかっている。
目星をつけて、山浪彩人の甥っ子なる人物を探す事となった。
きっとその甥っ子なら、彼の住所を知っているだろうから。
一年の教室。
いつの世も学校の放課後というものは騒がしいもので、その日も、浅井健二はクラスメイトと何気ない会話をしていた。
最近のホットトピックは新宿タワーだ。
特に昨日はヤバかったし、すごかった。高校の先輩であり、全学年の憧れである一条ひよりと九里澪の活躍とピンチ。そこに颯爽と助けに来た健二のおじさん。
三十年行方不明だったという健二のおじさんが冒険者を始めたという話は聞いてはいたが、まさか、あれほど強いとは。健二からしても自分の伯父が、クラスメイトや友人からヒーローのように扱われるのは嬉しい。
そんな内容をキャッキャと話している放課後、教室の外が騒がしくなった。
いや、もともと騒がしいのだが普段とは異質の騒がしさだ。
「なんかあったん?」「わかんね」と話し合う教室の扉の前。
騒ぎの原因が立っていた。
そこには一条ひよりと九里澪が立っていた。
「えーっと……、君が浅井くんだよね? ちょ~っちお願いあるんだけど」
「来てください」
一条ひよりと九里澪のふたりは美人である。
一条ひよりは笑顔あふれる美少女で、九里澪はクール系美少女という感じだ。
ルックス最強で、しかも新宿タワーで戦う冒険者でもある。
強くてカッコ良くて綺麗。
そのように評価されるふたりを相手に嫉妬も何もない。学校の中では芸能人のように扱われている。学校の大半が憧れる存在なのだ。そんな学内カーストでトップに君臨するふたりが来たのだから、騒ぎのひとつも起ころう。
そんな無敵感の強いふたりが、今健二の目の前に立っていた。
ふたりとも笑顔なのに圧がヤバい。
特に澪の方はただならぬ気配を纏っている。冒険者の圧というやつか。
相手は上級生という事もあり、接点のない下級生たちは固まるしかなかった。
ひよりと澪が、健二の両脇に立った。
「お話中にごめんね」
「彼、お借りします」
健二の周囲にいたクラスメイトたちは「どーぞどーぞ」とジェスチャーする。
にんまり笑顔のひより。
「じゃ、行こっか」
ひよりによって、健二は強制的に立たせられ、腕を組まれ連れていかれる。
うらやましい状況に聞こえるかもしれないが、相手は高校生ながら新宿タワーで八階層までいくような冒険者だ。憧れも強いが畏怖も強い。
健二が連れ去れる姿は、雰囲気的にはドナドナに近い。
子牛はどこに売られていくのか。
校内の憧れに連れていかれる健二を見て、呆然とするクラスメイトたちであった。
後日。健二はクラスメイトに語る。
「ひよちゃん先輩も、ミオパイセンもヤバかった。バチボコ緊張した……。なに喋ったかも覚えてねえ……」
お読みいただき、ありがとうございます。




