第12話
現在。新宿タワー七階層。
九里澪は、大量のグレイウルフに囲まれ苦戦していた。
「く……!」
魔力はまだ残っているし、順次倒していけばなんとかなる。
しかし、足をくじいてしまった。
落とし穴から落ちた時、うまく着地できなかったのだ。
更に不幸な事に、大枚はたいて購入した魔法使いの武器、ガンロッドが壊れた。
銃のように魔法を放てる魔法杖であるのに、プスンと音がするだけでまともに機能しなくなっている。これはいけない。
八階層にいるひよりと合流して、脱出するまでもたない予感がする。
「ファイアウォールっ!」
叫びながら、炎の壁――ファイアウォールを形成する。
そうしてグレイウルフたちが離れた間に魔力弾を生成し、射出。
グレイウルフの一体にあたるが掠めただけで大したダメージはなさそうだ。
焦ってはいけないと心が叫んでいるのに、焦りがひどい。
ひよりは無事か? あとどれだけ魔力はもつ? 逃げられない。どうする? 魔力はどれだけもつ? グレイウルフの連携が面倒だ。ひよりの元に行きたい。逃げられない。どうする? ひよりに向けて助けを呼ぶ? ひよりはゴブリンと戦っていた。ゴブリンの上位種レッドキャップもいた。助けを呼んだら、ひよりの集中力が乱れる。逆に危険だ。
「ひより! 私は大丈夫だから!」
ついそんな事を大声で叫ぶ。
もし、まだ落とし穴の近くにいるのなら、聞こえたかもしれない。
そう、まだ大丈夫。大丈夫だ。大丈夫、だって……。
……悔しい。
なんで落とし穴なんかに落ちてしまった。あそこに落とし穴があるって知っていたはずなのに。注意してたはずなのに。なんで、隠し扉から出てきたゴブリンたちとすぐに戦おうとしたんだ。
隠し扉からあんなに大量にゴブリンが湧いてくるなんて聞いてない。
焦りと後悔が、澪を苛む。
グレイウルフの群れが鬱陶しい。噛みつく態勢をしたと思ったら攻撃してこず、別のウルフが襲ってこようとする。あっちもこっちも唸り声を上げてるのに、こちらの反撃を予測して、大きく動こうとしてこない。
澪の心が折れるタイミング、緊張がとけるタイミングを狙って待っているのだ。
ひよりの方が危ないかもしれないのに焦らされている。
「邪魔です!」
焦りから、つい火の魔力弾をガトリングのように射出する。デタラメな量放った魔力弾。一匹を倒せたが、残りのグレイウルフはピンピンしている。
救援を呼ぶか? この状況でどう呼べばいい。
敵が目の前で襲ってきているのに、のんきに救援なんて呼べない。
死。
その可能性を感じた。
グレイウルフは一体だけなら大した敵ではないが、今いる場所……小間のような広さで群れを作ってかく乱しながら襲ってくると本当に厄介だ。
妖魔との戦いで荒事に慣れているつもりだったが、妖魔とグレイウルフでは戦い方が違う。これまで澪が相手した妖魔にこんな知能はなかった。
少しの判断ミスで、自身の死が確定するかもしれない。
変な汗が大量に噴き出る。
今まで感じた事のない恐れが澪を苛む。
ぶわっと身体が粟立つ。
「……誰か……」
小さな心の叫び。
ひよりに助けは求められない。
ならば他の冒険者。七階層にいる冒険者は少なくないはずだ。
そうだ! 大きな声で誰か冒険者を……!
「誰か…………っ!」
その瞬間だった。
グレイウルフは、大声をあげようとする澪に襲いかかった。
澪の心が折れる瞬間を、敏感に察知したのだ。
レザーの籠手にグレイウルフが噛みつく。
澪はのしかかられ倒される。
次の瞬間、両足に他のウルフたちが噛みつく。痛い。
「いや……! いや……! だ、誰か……ひよりっ!」
大きな声を上げようとするが、うまく声が出せない。
倒れた澪にグレイウルフが、その身体を使ってのしかかっているのだ。
痛みでおかしくなりそうになった次の瞬間。
大きな音がして小間の扉が破壊された。
扉の近くにいたグレイウルフが即座に倒される。
「助けに来たぞ!」
冒険者の中年男性が入ってきた。
突然の闖入者にグレイウルフが襲いかかる。
だが、冒険者は歯牙にかけず倒していく。
あっという間だった。あれほど苦戦したグレイウルフの群れが中年の冒険者の攻撃で一掃されていく。
澪はその姿を呆気にとられながら見ていた。
グレイウルフを一掃した中年冒険者が澪に近寄ってきた。
「いろいろ話は後だ。立てそうかって……無理するな。これを飲め」
そう言って下級の回復ポーションを渡してきた。
それを飲む前に、澪は目の前の冒険者に話さねばならない事がある。
澪のパートナー。ひよりが今もひとり、八階層で戦っているのだ。
「そ、それよりも……」
中年冒険者は天井に開かれた大きな穴を睨んだ。
「大丈夫だ、話は聞いている。すまんが、失礼するぞ」
澪をお姫様抱っこした。
「へ?」
「はやくポーションを飲め! それと舌噛むなよ!」
突然現れたおじさんに、澪はお姫様抱っこをされた。
あまりに突然のことで何が起こっているかすらわからない。
「え?」
そうしておじさんは澪を抱えたまま、落とし穴としてぽっかり空いた天井に向けて大きくジャンプした。
「うぇええええええええーーーーっ!?」
澪の叫びを無視して、中年冒険者――サイは八階層に到着した。
一条ひよりはくやしかった。
「失敗したな~……」
八階層に現れたゴブリンの群れ。ひよりと澪であれば、本来この程度の敵は造作でもない。
一条の麒麟児。一条の最高傑作。同世代の退魔師の中でも頭ふたつ抜けた才能を持ち、小学生の頃から妖魔と戦ってきた少女。
修行と実践による成果は、才能を磨いていった。
順調に強くなっていき、周囲の想定以上の成果を挙げている才女。
彼女の不幸は戦い方を教えてくれる師に出会えなかった事だ。
一条の……否、日本の退魔師のレベルは歴史が進むにつれて落ちていった。
科学の光が、神秘の闇を照らした結果、妖魔は消え、悪霊は弱体化していった。
日本では江戸時代後半あたりから徐々に弱体化していったらしい。
この弱体化は、同時に退魔師の実力を落とす原因となってしまった。
結果。単純な戦闘力であれば一条ひよりは、既に祖父よりも、父よりも強い。
祖父も父も新宿タワーができるまで、まともな戦闘をしてこなかったのだから仕方のない事だった。
新宿タワーが出現するまで、世界は平和だったのだ。
妖魔と呼ばれる者が出てくる事はなかった。
低級の悪霊なら出てくる事もあるが、祝詞で祓えば消える程度の存在だった。
神秘と呼ぶにも憚られる程度の存在だったのだ。
だからこそ退魔の技は廃れ、本や口伝で「昔はこんな技があった」なんて一族で語る程度の存在に落ちぶれてしまった。
それが今になって魑魅魍魎が跋扈し、妖魔が現れるようになった。
新宿タワーが神秘を活性化させてしまったのだ。
結果、退魔の一族は立て直しを求められた。
口伝の技を調べなおし、実用化する日々の始まりだ。
ひよりの祖父や父が躍起になって研究し、退魔師の育成が行われた。
たくさんの時間とたくさんの犠牲が生まれた。
犠牲を悔いる暇はない。止まるわけにはいかないのだ。
止まった後に起きる事は日本の、あるいは世界の終わりだ。
今のままいけば封印結界がほころび、災厄の妖狐が、地獄の鬼が、絶望の大妖が復活を果たしてしまう。
少しでも長く結界を維持しなければならない。
少しでも強くなり妖魔に対抗しなければならない。
それが一条の、日本の全退魔師に求められた使命だった。
そして、今。
中学生になる前に、どの一条の退魔師よりも戦闘力を持った少女。一条ひより。
そして、その相棒としてスカウトされた同世代で特大の原石。九里澪。
これからの日本の退魔を背負うとも言われるふたり。
そう謳われているのに、言ってしまえば、ただの落とし穴。たかが落とし穴のせいでひよりと澪のペアは瓦解した。
落とし穴には気づいていた。
だが隠し扉から大量のゴブリンが出てくる事は想像だにしていなかった。
結果、パートナーである澪は落とし穴に落ちてしまい、この有様だ。
最高の才能を持った純粋な宝石を磨ける人材は一条にはいなかった。
最高傑作と言われても、今はまだ鍛えられる前の刀。刀を叩き鍛える術を、誰も持ち合わせていなかった。
性能の頭打ちが、このような失敗に繋がっているのだ。
「ひより! 私は大丈夫だから!」
七階層に落ちた澪からの言葉を信じて、ゴブリンの群れを次々と倒していく。
今にも澪を追って七階層に落ちたいが、そうしたらゴブリンまで追いかけてくる。
澪が今対峙しているモンスターはウルフのようだ。時折吠える声が聞こえる。
後衛の澪がひとり戦う音が聞こえる。
急いで澪の元へ向かいたい。だが、そうなれば追いかけてくるゴブリンと、その場にいるウルフ。乱戦が確定し、余計にリスクだ。
ホブや弓持ちのゴブリンがうっとうしい。
更に面倒な事に八階層の強敵。レッドキャップまでいる始末だ。
あとどれだけ澪はもつ? 心が折れなければ、澪なら問題ないはずだ。
そうして、ようやく周囲のゴブリンの掃討は終わった。
残すはレッドキャップ。
一番に面倒なやつ。
急ぎ倒そうと思った瞬間、落とし穴の下で大きな爆発音。
何か叫ぶ声。よく聞き取れないがゆえに不安になる。
さっさと倒して、澪のもとに向かわねば!
ひよりは、ここを正念場と捉え、集中する。
「……霞、三段!」
一条の技を、魔力を込めたスキルで再現した『霞三段』を放つ。
本来の「霞斬り」は斬りかかる手が左か右か読ませず、相手を惑わす技である。
しかし、この『霞三段』は魔力を込める事で左右上段の三方向から同時に斬撃を繰り出す必殺のスキルだ。
レッドキャップの身体が無残に斬りつけられ、消滅する。
その姿を見て、ドロップ品も無視して慌てて落とし穴に向かう。
「澪ちゃん!」
落とし穴を目指した瞬間、その落とし穴からそれは出てきた。
「へ?」
ひよりが次に見たのは、相棒がおじさんにお姫様だっこされている姿であった。
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