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裏現実紅殺戮 表裏の混沌  作者: 三月べに@『執筆配信』Vtuberべに猫
後編

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混沌の終着


 ガタン、ゴトン。

血に塗られた電車に乗って、進んできた。

 ガタン、ゴトン。

景色は目まぐるしく変わった。

 ガタン、ゴトン。

血に濡れながらも学んだ。

 ガタン、ゴトン。

殺すことを、学んだ。

 ガタン、ゴトン。

愛されることを学んだ。

 ガタン、ゴトン。

そして。

 ガタン、ゴトン。

愛しても別れることを学んだ。

 ガタン、ゴトン。

愛していても、さようなら。

 さようなら。




 ガタンッ、ゴトンッ!

蹴りつけると同時に首を跳ねた死体の頭が落ちる。

ゾンビがわらわらと刑務所の薄暗い廊下に沸いてくる。

 それを白瑠さんとコクウの殺戮者コンビが競いあうように壊しまくっているから、あたし達は残党の相手をするだけで済んだ。


「!」


 血塗れのゾンビが一体、目に留まる。既に白瑠さんが頭蓋骨を粉砕して廊下に倒れているそれは、まるで……。


「皮が剥がされているな」


 足を止めたあたしが思ったことを、篠塚さんが口にする。

 囚人であろうゾンビの身体中の皮が、剥がされている。剥き出しになった肉が、血にまみれていた。


「下で、皮を見ました。どうやったのか、想像できませんが……まるで卵の殻を剥いたみたいにまるごと……」

「まるごと? 人の皮が?」


 ヴォルがこのゾンビのものであろう皮を見たと言う。

卵の殻が剥けたみたいに、人間の皮がつるんと剥けたと言うのだろうか。茹でたのか。


「悪魔側か、囚人の中に、とんでもないサイコ野郎がいるみたいだな。前の殺戮者とどっちがサイコ?」


 ケラケラと笑うのは、蓮華だ。

 人間の皮を剥ぐイカれた野郎と、前方で暴れている二人の殺戮者。天秤にかけるなら、間違いなく後者に決まっている。

 前者のイカれ殺人鬼が殺した数なんて、二人の殺戮者に比べたら足元にも及ばない。


「んむ? 皮剥ぐ殺人鬼なんて聞いたことないなぁ……」


 情報屋のナヤさえも、聞いたことがないと言うならば、悪魔の暇潰しの残骸だろう。

 気にせず歩き出そうとすれば、ヴァッサーゴが叫んだ。


「ボケッとしてんじゃねぇ!!」


 天井が軋む。上から来る。

ヴォルの腕を掴み、前方へ駆け込んだ。

 天井を突き破り、赤毛のリーゼットの吸血鬼が一体現れた。狙いはあたし。あたしを見据えている。

ヴォルを後ろに突き飛ばして、カルドを構えた。


  ガッ!


 先に仕掛けたのは、秀介だ。トライデントを叩き付けたが、赤毛の吸血鬼は片手で受け止めた。吸血鬼と人間では、力の差が歴然だ。


「椿は殺させねぇ!」


 しかし、秀介には相棒がいる。トライデントを篠塚さんが蹴り、秀介が押し飛ばす。

 二人の力で吸血鬼を壁に叩き付けると、篠塚さんが雷鳴のような銃声を轟かせて弾丸を撃ち込んだ。

ゼウスとポセイドン。神コンビの連携。

 赤毛の吸血鬼は頭蓋骨に弾丸が食い込み、崩れ落ちた。

 吸血鬼の動きを封じるには、身体をバラバラにするか、脳にダメージを与えることが有効。


「ヴォル! 構えなさい!」

「!? はい!」


 あたしの横の壁から飛び出した吸血鬼の攻撃を避けて、カルドで脚を切りつけて足元を崩す。

 よろめいた吸血鬼に、あらかじめ渡していたナイフでヴォルが頭を貫いた。


「よくやった、ヴォル。ゾンビと吸血鬼しか相手してない気がするわ……」


 倒れた吸血鬼から、ナイフを抜こうとするヴォルを止めて、別のナイフを渡す。吸血鬼の回復を阻止するために、ナイフは刺したままがいい。


「椿さんを狙っているので、吸血鬼ばかり沸いてくるのは仕方ありませんね。悪魔の方は身を守ることで精一杯のようですし」


 幸樹さんが言う。

狩人や悪魔退治屋も、吸血鬼達が悪魔の殲滅にかかっている。繁殖云々は気にしていられないだろう。全滅の危機なのだから。

 その時だ。

悲鳴が轟いた。まるで頭を締め付けるような痛みが走り、立っていられなくなる。

あたしも、コクウも、ヴァッサーゴもだ。


「くっ!」


 ヴォルまで頭を押さえて壁に寄りかかる。

それを横目で見てから、ヴァッサーゴを見上げた。


「あのクソロリビッチだっ!!」

「サミジーナかっ!」


 ヴァッサーゴが睨む先を、あたしもヴォルも睨み付ける。

 死者を甦らせる少女の姿をした悪魔。あたしとヴォルの愛する人の声を使った性悪悪魔。

 リーダー格の悪魔。

近くにいると知りヴァッサーゴが走る。あたしも追い掛けた。


「椿!」


 白瑠さん達もあとに続く。

 一切光がない廊下だが、悪魔憑きだから視えた。大きな獣の爪痕が、壁にもゾンビの身体にも残っている。刀の斬撃もだ。

 シリウス・ヴォルフとあの謎の白い大狼の仕業だろう。

 証拠に狼の唸り声が聞こえてきた。それを頼りに見付ける。

 壁がいくつもぶち壊された部屋は、元は面会室のようだ。粉砕された椅子やテーブルを尻尾で振り払うのは、巨大な狼。

 毛並みは純白の輝きを放ち、瞳はサファイア。その神々しい大狼の前にいるのは、フェンリルファミリーの六代目ボス、シリウス・ヴォルフ。大狼によく似た鋭さのある青い瞳の彼は、首に金の大きな首輪をつけている。その首輪が、フェンリルファミリーのボスの証だ。

 乱れた黒の前髪を掻き上げた彼は、捕らえた悪魔を見据えていた。

 白髪の少女の姿をした悪魔サミジーナは、瞳の色と同じ血塗れだ。

両腕は背中に回され、大狼に加えられている。逃げられないようにヴォルフの握る刀が首に当てられていた。


「やぁ……美しい殺し屋さん。ヴォルを見付けてくれてありがとう」


 ヴォルフは、遅れて来たヴォルをちらりと確認してあたしに礼を言う。


「ボス……」

「無事でよかった、ヴォル」


 ヴォルに優しく声をかけるが、決して隙を見せない。捕まえた悪魔を逃がさないようにだ。マフィアのボスらしく、油断ない。


「あの……ボス……その、狼は……一体……」


 ヴォルは目を見開いて大狼を見ている。ヴォルもその正体を知らないらしい。


「ああ……気にしないで」


 ヴォルフは微笑んで言うが、無茶な話だ。巨大な狼がボスの背にいるのだから。


「さて……許しを乞う言葉なら聞いてやろう」


 サミジーナに告げる。

首謀者からの謝罪の言葉を皆に聞かせるつもりらしい。

ぞろぞろと秀介達も来て、見物を始めた。

 あたしは少し歩み寄り、サミジーナと目を合わせる。サミジーナは口を開かなかった。


「……ウルフの方は始末したの?」

「いや、見失った。しかし、この悪魔が死者を甦らせた。取り憑いた悪魔の首をはねれば、奴も死ぬさ」

「……そうね」


 ウルフの処刑が見れないのは残念だが、サミジーナの首が切れればほぼチェックメイトだ。

 すると、サミジーナが笑った。三日月のように口を大きく開いて、赤い目をカッと開いた。


「必ず、必ず奪ってやる! 貴様の命! 貴様の娘をなっ!!」


 幼い少女の姿にも関わらず、その声はまるで老婆。


「あははははははははっ!!!」


 老婆の笑い声がノイズのように掠れて響き、頭に激痛が走る。しゃがれた笑い声が不快すぎた。

 刀が振り下ろされ、サミジーナの頭が落ちる。黒い血がドロリと広がり、頭はあたしの足元まで転がった。


「それは叶わない願いだ。醜い悪魔よ」


 ヴォルフは冷たく告げると、刀を振り血を払う。

対悪魔の刀らしい。サミジーナは死んだ。


「これで粗方片付いたようなものだね。皆で脱出しようか」


 にこり、と優しげに笑いかけるとヴォルフ。それを見て、ヒューと口笛を吹いたのは蓮華。

 その隣にいたナヤは、目を輝かせて大狼を見ていた。二人して、おもちゃを見付けた子どもみたいだ。


「椿、動くな!! 動くなぁッ!!」


 そこでヴァッサーゴが叫ぶ。見ると、後ろに向かって飛んでいた。

 そんなヴァッサーゴに、猛スピードで向かうのは大鎌を持つ死神。吸血鬼を束ねるリーダー、ヴァンストだ。

 ヴァッサーゴの首を狙いに行ったのか。

 しまった、油断していた!

 コクウと篠塚さんが助けに入るのを見ながら思考した。

 でも、何故ヴァッサーゴはあたしに動くなと言ったんだ? 未来を視るヴァッサーゴは、なにを視てあたしに動くなと叫んだ?

 ゾクリ、と殺気を察知した。その先を探すと廊下に出られる壁の穴から、左腕が伸びている。その手には鈍色の銃。銃口の先は、吸血鬼が飛び付かれて暴れる大狼に、気を取られたヴォルフに向けられていた。


 バンッ!


 近くにいたあたしは駆けて、ヴォルフを庇う。庇い方が悪く、胸に弾丸を食らった。


「このバカ女っ!!」


 吸血鬼と激しい戦いをするヴァッサーゴが罵声を飛ばす。

 熱を感じるのは、左胸。覚えのある感覚は、いつ味わったのだろうか。

 嗚呼、心臓を撃ち抜かれたのは二度目だ。そう思い出す。痛みは感じない。


「君!」


 ヴォルフが倒れる前に受け止めてくれる。


「椿さん!」


 ヴォルも駆け寄るが、なにも応えられない。押さえていても血が溢れ出る。徐々に視界が霞んでいく。


「椿さん! 意識を手放してはいけません!」


 滑り込むように駆け付けた幸樹さんが、あたしに呼び掛ける。そう言われても瞼が重くなって、喧騒が遠ざかってきた。


「ヴァッサーゴ! 早くヴァッサーゴ!!」


 ヴァッサーゴが離れすぎている幸樹さんが声を上げる。

 あたしの心臓は既に止まる寸前。それをヴァッサーゴが動かして生かしている。

心臓を治すためには、ヴァッサーゴは専念しなくてはならない。

 ヴァンストを引き離そうと、白瑠さん達が戦ってくれている騒音が聞こえた。


「椿っ! このバカ猫! なんで庇うなんてバカなことをっ! ほんっとに、世話が焼けるっ!!」


 幸樹さんが応急措置していると、ヴァッサーゴが来て怒鳴る。ヴァンストを追い払ったのか。

 あたしの胸に手を当てて治癒しようとしたが、ヴァッサーゴの顔色が変わった。

 垂れた長めの髪の隙間から見えた切れ目の赤い瞳には、絶望が浮かんでいる。

 あたしの未来を視たのだと、理解した。

本当に、あたしはバカだ。誰かを庇って死ぬなんてね。


「椿、不死を願え」


 ヴァッサーゴが、静かに告げた。


「オレの命を引き換えにくれてやる。死ねずに、永遠に生きていやがれ」


 死にたがりだったあたしに、永久に生きる身体になれと言う。それしか、あたしを救えないと判断したんだ。

 ヴァッサーゴの命と引き換え。つまりはヴァッサーゴが犠牲になるつもりだ。

 あたしを救うために。

一瞬で、自分が犠牲になることを選んだ。

 貴方もバカよね。

あたしを愛した悪魔。

あたしを生かす悪魔。


「頷けよ、椿っ! 早く!」


 ヴァッサーゴは急かした。目を開いていても、霞んだ視界が黒に染められ始める。身体は重くなり、沈むような感覚に襲われた。

 あたしはなにも言わずに、ヴァッサーゴの頬を撫でる。

 悪魔と取引はしない。初めて口を聞いてから、しないと決めている。

最後に見えたヴァッサーゴの顔は、泣きそうだった。

 意識は、闇の中へ落ちる。

走馬灯のように、前に心臓を撃たれた時を思い出した。あの時も油断していた。

あの人に似ていると錯覚したせいで、背中から撃ち抜かれてしまったんだ。

それを、謝罪しそびれたな……。彼女の笑顔は、全然違うのに。

 なにも感じない。

痛みも、冷たさも、恐怖も、感じない。

もう地獄は見たのだから、地獄に落ちても怖くない。






「ダメだよ、椿ちゃん」


 聴こえた声に意識が浮上した。


「大好きなお家に帰らなきゃ」


 由亜さんが笑いかける声がする。

 目を開いて捜しても、由亜さんの姿は見付からない。謝りたいのに、いない。

 右側に幸樹さん、左側にはヴァッサーゴ。前には手首から血を垂らすハウンくん。


「椿、おはよう」


 あたしの頬に両手を押さえて視線を合わせるのは、白瑠さん。あたしの頭を膝に乗せているから、真上にいた。

 にっこりと安心したように微笑む白瑠さんにつられて笑い返す。白瑠さんの手、あたたかい。

 治癒力のある血を持つ吸血鬼である、ハウンくん。その血でヴァッサーゴと一緒に、あたしの心臓を治したらしい。

 でも、あの声は……?

あたしの幻聴だったのだろうか。意識を戻したあの声は……。


「このバカ猫っ!!」


 ヴァッサーゴがあたしの顔を掴み、起こすと怒鳴った。


「バカヤロッ! 次死にかけたら不死を願えっ!! 生きたいならっ!!」


 あたしを生かしたがる悪魔、ヴァッサーゴ。

前の時のように、取り乱している。そして前の時のように、言うことを聞かなかったあたしを怒った。


「……不死なんて、貴方がいれば事足りるでしょ」


 ヴァッサーゴの命を引き換えに不死の命に与えられずとも、十分不死の身体だ。

 ヴァッサーゴさえいれば。

 見ての通り、あたしは死ななかった。死ねないのよ。


「……このバカ猫……」


 力が抜けたようにヴァッサーゴは呟く。あたしの肩に凭れて安堵したヴァッサーゴが可笑しくて口元を緩ませる。

 だが、すぐに笑みを含んだ声が耳に吹き掛けられた。


「その言葉、忘れるなよ」


 見ると、赤い瞳を煌めかせたヴァッサーゴがほくそえんでいた。

 その笑みを見て、理解する。言質を取られたのだ。

 死ぬか、ヴァッサーゴとともに生きるか。以前はヴァッサーゴに生かされともに生きることを選んだ。その選択を半永久のものにした。

 吸血鬼達からあたしを守る手段は、ヴァッサーゴが離れることだ。

ヴァッサーゴとともに生きるか、ヴァッサーゴの命を引き換えに不死になるか。その選択を突き付けてヴァッサーゴは選ばせた。

というより、きっと未来を視る目で見たんだ。

 遅かれ早かれ吸血鬼や狩人に追い込まれて、その選択に迫られた時のために今選ばせた。悪魔に不死を与えられるより、ヴァッサーゴに生かされ続けることを選んだ。あたしのその意思を、示させた。

 コクウや白瑠さん達が、最後の手段としてヴァッサーゴに選択を迫るその前に……。

 あたしの意思を尊重し、白瑠さん達が吸血鬼達からあたしとヴァッサーゴを守り続けることを決定事項にさせた。

 なんて悪魔だっ!

ぶん殴ってやろうとしたのに、ヴァッサーゴは霧になってあたしの中に入って逃げた。


「……殺し屋さん、何故私を庇ったんだい?」


 そう問うのは、立って見下ろしているヴォルフだ。

何故か……。


「別に理由なんて」

「あっれー? 助けることに理由は、あるんじゃない?」


 後ろで支えた白瑠さんが口を挟む。前に篠塚さんを助けた理由があるはずだと、あたしが噛み付いた。


「……若い坊やが、婚約者に父親は死んだって告げるために再会するのは、可哀想すぎると思ったからです」


 あたしは冷たく言いながら、立ち上がる。

ヴォルフの娘と久しく会っていないヴォルが、父の死を伝えるために再会するなんて酷い話だ。

 それに……父親がいないも同然のあたしにとって……いや、これは戯れ言だ。


「これで貸し一つですから」

「……いいや、二つだよ。ありがとう」


 ヴォルフは微笑むと、隣のヴォルの頭に手を置いた。ヴォルフとヴォルを救った大きな貸しが二つ。


「枯れも落ちもしない凛々しい花だな、椿」


 篠塚さんが言った。

薄暗いそこに立つ篠塚さんの瞳には、揺るがない確信がある。

思わず笑みを漏らす。

 死なせないと、約束してくれた篠塚さんがいる。


 君は凛々しい花だ。生きていける。


 そう言ってくれた篠塚さんが、そこにいた。あたしの知る、篠塚さんがいる。

 あの時とはもう違う。居心地が良すぎる場所で、椿の花のようにポックリと落ちることは恐くない。

死なない。殺されない。生きていける。


「次は脱出ですね」

「つーちゃん、もう俺から離れちゃだめだからねぇ?」


 幸樹さんと白瑠さんが言う。白瑠さんはあたしの腰に腕を回して頬にキスをすると首を撫でた。

 もう二度と怪我させないためみたいだ。白瑠さんが離れてコクウと躍起になってゾンビ退治してたくせに。


 ズドンッ!!


 爆音と同時に建物が揺れた。外からの爆撃ではなく、中から大爆発でもしたみたいだ。


「!」


 気配が近付き、バタバタと足音が聞こえた。ゾンビなら走らない。吸血鬼なら俊敏だ。


「いたっ!!」


 また爆発して揺れる中、よろめきながら駆け込んだのはディフォと蠍爆弾。遅れてアイスピックとレネメンとカロライも駆け込む。


「やべっ、やべっ、やべーんだよ! ゾンビ追い込んで部屋を爆発したらっし、したらっ!!」

「落ち着けよ、マイキー」


 取り乱した蠍爆弾がコクウに報告しようとする間に、また爆発して建物が揺れた。

 どんどん、爆発が近付いてくる気が……。


「やべっ、やべーんだよ! そのっ、やべっ、やべっ、んだっ、ゲホッ!」

「落ち着きなさいって。なによ?」


 蠍爆弾もレネメンも、息を切らして咳き込む。カロライなんて喘息気味だ。

ちゃんと話せそうなディフォに訊いてみた。


「知らない。やらかしたって血相かいて黒は何処かって訊くから」


 ディフォは事情を知らないまま、ここに導いたようだ。


「この……ゴフッ……バカがっ……ゲホッ!」

「カロライは黙ってなさいよ」


 カロライが無理矢理喋ろうとしたが、今にも吐血しそうだ。指差すのは、蠍爆弾。


「爆弾をっ……落としすぎて……」


 蠍爆弾が息を切らしながら、言おうとする間にまた建物が揺れた。すると小刻みに揺れが続き、収まらなくなる。


「戦いながら、爆弾を各階にっ……仕掛けて……ゴホッ」


 レネメンも口を開いた。

蠍爆弾は爆弾を落としすぎて。

レネメンは他の階にも爆弾を仕掛けた。恐らく、蠍爆弾の指示。


「このバカ! その爆弾のリモコンまで落としやがった!!」


 カロライが怒声を上げて、蠍爆弾の胸を拳で叩いた。蠍爆弾は噎せ、カロライも自滅して噎せる。

 蠍爆弾は爆弾使いの殺し屋。爆弾の遠隔操作のためのリモコンが破壊された場合、タイマーに切り替わる仕掛けにすることが多いと以前に聞いたことがある。

リモコンを破壊されて阻止されようとも、タイマーで爆発して標的を殺せるようにだ。

 つまりレネメンが各階に設置した爆弾が、残り僅かで爆発すると言うことだ。

つまり、残り僅かで各階が爆発する。つまり、この建物が大爆発する。

 戦場の喧騒と爆音を外に聞きながら、あたし達は沈黙した。

 ヒュゥウッと外から入り込んだであろう風に撫でられる。

 グッ、と白瑠さんに抱き寄せられたかと思えば、幸樹さんとともに走らされた。

他の皆も同じだ。

 大爆発が始まる。熱風と爆風が襲い掛かり、上から瓦礫が振り注いできた。

天井が丸ごと落ちてくる。まるでいくつもの口が順番に閉じて食らうつもりのように迫った。

 すると、白瑠さんが――――……。

あたしと幸樹さんを、投げ飛ばす。受け身を取り振り返ると、天井が床に落ちた。


「っ白」


 白瑠さんの名前を叫ぼうとしたけれど、幸樹さんに腕を引っ張られ、また走らされる。


「白瑠さんっ!!」


 走りながら、あたしは叫んだ。でも崩壊の音に掻き消される。


「白瑠さんっっっ!!!」


 焦がすように床から炎が吹き上がり、瓦礫が雨のように降り注ぐ。


「椿さん!」

「!」


 幸樹さんに手を引っ張られて、前を向くと外に繋がる大きな壁の穴が前方にある。逃げ道はそこだけ。

飛び降りるしかなかった。

 天井に潰されないように、勢いを殺さずに飛び込んだ。外は硝煙と血の臭いにまみれた空気。それを浴びながら、落下する。

 遥か下には既に飛び降りた大狼がいて、あたしと幸樹さんをその身体を受け止めてくれた。跳ね返り、地面に転がる。

爆発し続ける建物を目にしてすぐに起き上がった。


「白瑠さんっ……白瑠さんっ!!」


 燃えながら崩れ行く刑務所には、戻れそうにもない。呼んでも、あたしの声が届くはずがない。


「離れるんだ、危ない」


 ヴォルフが声をかけてくるけれど、あたしはそこを離れるつもりはなかった。


「白瑠さんっ!」


 悲鳴のように声を上げたら、焼けるような痛みを覚える。火の粉が近くに落ちてくるせいだ。

 刑務所は崩壊していった。黒煙を上げる赤い炎に包まれながら。


  ズドンッ!


 三メートルほどの瓦礫があたしの前に落ちた。

その上には、白いシャツを着て革ジャケットを羽織った男の人が立っていた。

彼は笑いかける。


「うひゃあ。なぁに? つーちゃん」


 あたしの声を聞いていたのか、返事をした。

黒い煤まみれの彼は、薄い茶髪の髪を掻き乱して瓦礫を振り払う。

 血は一滴も出していないらしい。あの大爆発で、出遅れたにも関わらず、怪我一つしていない。

焼けただれる刑務所を背にする白瑠さんは、無傷だ。

本当に、死なない人だ。

「絶対に人間じゃない……」とナヤ。

「怪物だ……」とカロライ。

 怪物並みで死なない人。そんな白瑠さんと釣り合うのは、悪魔憑きのあたしくらいだろう。


「……お似合いのカップルですよね、あたし達」


 思わず、吹き出してしまう。

すると白瑠さんが嬉しそうににっこりと笑みを溢して、あたしの前に降りた。

キスをしようと顔を近付けるから、あたしからも唇を近付ける。


「!」


 唇が触れる前に、それを目にしてあたしは離れた。

崩れ行く瓦礫の中に、蜃気楼のように揺らめく彼女の姿がある。


「――――由亜っ……」


 幸樹さんも見付けて、あたしを横切って駆け寄ろうとした。咄嗟にあたしは幸樹さんの腕を掴んで止める。

崩壊の音を響かせる炎の中で、由亜さんは微笑んであたし達に手を振った。


 あ、い、し、て、る。


口を動かした由亜さんが、あたし達に伝えた。

瓦礫は崩れて、由亜さんの姿を掻き消してしまう。

もう、彼女は見えない。

もう、彼女はいない。


「……ずっと……そばに、いてくれました」


 震える声で、あたしは幸樹さんに話した。


「悪夢の中で……ずっと、皆が助けてくれるって……励ましてくれて……ずっと笑ってくれて……そばにいてくれました……」


 幸樹さんの腕にしがみつくけれど、ここがどこだかわからなくなるくらい視界が霞んだ。


「あたしのことばかりで……」


 あたしのことばかり、心配していた。あたしのために、明るく笑いかけてくれた。


「……私の夢にも……現れた」


 幸樹さんも声を震わせて言った。

 ああ、そうか。

由亜さんは幸樹さんの悪夢の中で、会って助けてくれたんだ。

きっと、さっきの明るい笑顔を向けてくれたのだろう。


「……由亜さん……っ」


 呼んでも、もう返事はない。あの声は聞こえない。

もう耐えきれなくって、泣き崩れた。

幸樹さんも膝をついてあたしを抱き締める。その腕に顔を押し付けて、泣く。


「自分を責めたら許さないって、由亜さんがっ……由亜さんがっ」


 あたしのせいで、殺されたのに。

謝罪したら、由亜さんは責めるなと、言ってくれた。

 でも、もう会えない。

もう声が聞こえない。あの笑顔も見れない。

本当に、本当に、さよならだ。

 だけど、何故だろう。

彼女の最後の言葉が耳に残っている。聞こえなかったはずなのに、あの優しい色の声が鮮明に残っていた。

 愛している。

あたし達に最後に告げた言葉。愛というものを教えてくれたのは彼女だった。

 愛している。

 愛している。

 あたしも愛している。

 愛しているけれど。

 愛していても。

 さようなら。


 そこが戦場だと言うことも忘れて、泣いた。あたしを抱き締める幸樹さんも、泣いていたと思う。震えた腕で、きつく抱き締めて頭を掌で何度も撫でてくれた。嗚咽を堪えながら、あたしはしがみつく。

 さよならの痛みを、堪えあった。


「やめなさいっ!!」


 そこで聞こえたのは、女の人の声。英語で、その場に響かせた。

 顔を上げて振り返ると、あたし達に背を向けた白瑠さんとラトアさんが左右に立っている。立ちはだかるように。

篠塚さんと秀介も同じく前に立って、武器を構えていた。

 声の主はその二人の前に立っていたが、白瑠さん達が見据えている方に顔を向けている。

表はハリウッド女優であり、紅一点の女吸血鬼。ボブヘアーの美女、ミランラ。

 刑務所の分厚く高い塀はところどころ崩れている。そこに吸血鬼達が立って並んでいた。

あたしとヴァッサーゴを殺そうと、構えていたのだ。

だけれど、ミランラが止めに入ったようだ。


「見たでしょ!? 彼女は取引しなかったのよ! 我々の敵じゃない!」


 仲間に呼び掛けて、あたし達を庇う。

他の者にも見えていたらしい。死者の最後の姿を、炎の中で……。

 ミランラから視線をずらして、白い大狼に向ける。そこには涙を浮かべながらも身構えるヴォルの姿があった。その彼を庇うように、肩に腕を回すヴォルフがいる。ヴォルも、両親を見たらしい。

サミジーナが死に、呼び出された死者が解放された。

 ミランラはそれを見て、あたしがサミジーナのような悪魔達と取引せず、吸血鬼の存亡を脅かす存在にはならないと判断した。

あたしも、ヴァッサーゴも。吸血鬼の敵ではない。


「主犯の悪魔はこのフェンリルファミリーボス、シリウス・ヴォルフが処刑した! 君達に危害を加える悪魔は、もうここにはいない!」


 ヴォルフが声を張り上げて、吸血鬼達に告げた。

 ある変化に気付く。大事な戦力、白い大狼の姿が消えている。戦う気はないと示すためのようだ。それが吉と出るか、凶と出るか。

 白瑠さんも、コクウも、なにも言わない。吸血鬼達の出方を待つ。戦うのか、退くのか。

 大きな鎌を杖のようについて、こちらを見据えるヴァンストに目を向ける。

白銀の長い髪を靡かせ、金色の瞳を持つヴァンストは、不気味に浮かび上がっていた。その瞳はあたしが背にした炎さえも凍らせてしまいそうだ。

 彼が応えることを待つ。誰も彼もが。


「――――…」


 ヴァンストは答えなかった。なにも言わずにその場から音もなく消える。

あとからヴァンストのそばにいた吸血鬼が一人、また一人と消えていった。

 ヴァンストが敵ではないと判断したようだ。反論もなく、吸血鬼達は去っていく。


「……ありがとう、ミランラ」


 ミランラもこの場から去ろうとしたから、あたしは礼を伝える。


「一人のファンを救っただけよ」


 ミランラはぶっきらぼうに告げると、戦場から去った。

 吸血鬼達の処刑を免れたと安堵したのは、たった一瞬。

 振り返ると、軍服を着た吸血鬼。クラウドがあたしに手を向けていた。

クラウドの能力は鎌鼬だ。あたしの首を切断しようとした。

 だが、あたしより先に反応した者がいた。

フェンリルファミリーの幹部二人が、クラウドの腕を掴んだ。アッシュグリーンの髪の青年は、尖った爪を食い込ませて押さえた。吸血鬼相手だというのに、二人で押さえた。だがすぐに振り払われるだろう。

 あたしは判断が遅れたが、カルドでクラウドの首を切断しようと踏み込んだ。その足に、なにかがぶつかる。

 かと思えば、後ろから抱き締められるような感触がした。右上から白瑠さんの腕が伸びる。

 クラウドの頭にその手が打ち込まれた。頭蓋骨は粉砕されたように吹き飛んだ。頭蓋骨も脳みそも粉々になって落ちると、身体も崩れ落ちた。手強いクラウドは戦闘不能。

 ホッとした。すると白瑠さんが、両腕で後ろからあたしを抱き締める。


「帰ろう、椿」

「……はい」


 今度こそ、安堵した。


「クラウドを回収しろよ。燃えたら復活できなくなる」


 コクウがクラウドの配下である吸血鬼達に告げる。刑務所は燃えたままだ。身体が燃えれば、不死の命は消える。

 戦場は静まり返った。

血の臭いまで燃やそうとする炎は、夜空も照らす。

その炎を振り返ることもなく、特に会話もなせずに、あたし達も戦場をあとにすることにした。

 そこには、もう――――なにもない。

コートの胸ポケットに手を当てる。あたしが唯一、家族写真と呼べるもの。

ここに、それはない。

別れはもう、告げた。


 ヴォルをからかうように幹部達が取り囲んで笑い合う姿を後ろから見る。さっきの大きな白狼がいない。

 ヴォルとヴォルフを中心に幹部が並んで歩く。赤みがかった茶髪の青年が、ヴォルの首に腕を巻き付けて頭をこねくりまわしている。アッシュグリーン髪の二人もヴォルを後ろからつついた。

 ヴォルフは微笑んでそれを眺めている。その隣には刀を肩にかけた黒髪をオールバックにした男。クスクスと笑っていた。

 刑務所を出ると、狩人達が後始末にかかっていた。殺し屋が多いメンバーだから、狩人達は横目で見張ってきたが後始末を優先するように作業を続けた。

 刑務所を出ると、ナヤが喋り出す。

この件は、表向きには脱獄未遂による悲劇的な爆発事故と発表するだろうと推測した。テロ組織を犯人に仕立てあげるだろう、とペラペラと話す。


「椿の色になったね、ドレス」


 右隣を歩く白瑠さんが首を傾けて言った。

引き裂いたウエディングドレスが、あたしの血で真っ赤に染まっている。あたしの色か。

 ちゅっ、と白瑠さんはこめかみに唇を押し付けた。


「早く抱きたいなぁ……」


 興奮した様子で白瑠さんが髪に囁く。我慢できないと言わんばかりに頬擦りしてきた。


「家に早く帰ろう。帰ったら抱くよ……頼まれた通り、激しく」

「……まず、休みたいのですが」


 白瑠さんはきっと疲れというものを知らない。あたしは休みたい。いくら悪魔憑きの丈夫な身体でも、休みたい。

安らげる場所で、眠りたい。


「白、忘れているみたいですが、部屋は改装中ですよ」

「え? なんです、改装中って」


 左隣の幸樹さんが言ったことに目を丸めると、白瑠さんは思い出したように声を漏らす。


「つーちゃんが拐われて、部屋ちょっと壊しちゃったんだよねぇ」

「ちょっとではありませんよ。壁を壊したじゃないですか」

「壁を!?」


 セレノにあたしが拐われたのは、白瑠さんの部屋だ。あたしが拐われた直後にぶちギレた白瑠さんが、自分の部屋の中で大暴れする姿が目に浮かぶ。すぐ隣の部屋はあたしのものだ。


「あたしの部屋まで汚したの!?」

「だってつーちゃんが拐われたんだもぉん」


 部屋の壁をぶち壊したことを、白瑠さんは反省せずに認めた。


「掃除して壁は全部取り払ってもらうことにしましたよ。どうせ白瑠は椿さんの部屋に入り浸るでしょう?」

「はい!? 部屋を一緒!?」


 幸樹さんが微笑んで言ったことに、あたしはショックを受ける。壁を取っ払って強制的に二人部屋にされただと!?


「なんの嫌がらせですか!?」

「え、なんで」

「自分の胸に手を当てて考えてください!」


 白瑠さんはキョトンとする。四六時中白瑠さんと一緒なんて、眠れやしない! 休めやしない!


「いいじゃん、不死身なんだから」


 斜め前を蓮真くんと遊太と歩く蓮華が振り返ってきてからかってきた。

あたしの安息の家なのに……。


「家が改装中なら、私の家に来るかい? 遠いけれど、部屋なら空いているよ」


 ヴォルフが振り返った。フェンリルファミリーボスの邸宅に招待される。

 耳にしたナヤが振り返り、見開いた目を輝かせていたが気付かないふりをした。


「地下鉄を確保しています。それで移動しましょう」


 幸樹さんは頷いて、誘う。

 そのまま、ぞろぞろと一同は全員離れず地下鉄に入る。利用者のいない閑散とした地下鉄の改札口を飛び越えた。

 ホームに行くと電車が停まっていて、前には藍さんとよぞらと早坂狐月が立って待っている。


「椿お嬢ぉーっ!!!」


 持っていたノートパソコンを閉じると、Yシャツの上に革ジャンを着た藍さんは両腕を広げて、あたしが駆け寄ることを待つ。

黒縁眼鏡をかけた顔は、安堵に染まった笑顔だ。

 その藍さんに駆け寄り、あたしは胸に飛び込んで抱き締めた。触れた途端に藍さんはびくりと震える。


「え、ちょ、素直は初めて……うわ、嬉しい……。お嬢無事でよかったぁー」


 戸惑いがちになりながらも、藍さんは抱き締め返す。

 無事でよかったと安堵しているのは、あたしの方だ。藍さんの無事を確認出来て、安心した。


「……ぐふふ……お嬢の身体、やわらか……気持ちいい」

「……」


 不快な笑い声を耳にかけられて、すぐに藍さんを突き飛ばして離す。転倒しかけた藍さんを、早坂狐月は片腕で支える。

 藍さんは離れてあたしの格好をまじまじと見た。スカートは引き裂いていて、腹部には穴が開いて血に染まり、胸元は弾丸の跡から血が広がり、首から垂れた血もドレスを染めた。紅いコートを着ている。


「そんな格好も、ツボだよ……お嬢……ゾクゾクしちゃう」

「同じ格好がしたいですか?」

「ごめんなさい」


 殺気立てば、藍さんは変態モードをやめてくれた。通常運転過ぎる。


「あの……椿さん」


 自分の両手を握るよぞらが、涙声であたしを呼んだ。


「……ごめんなさい……椿さんを、巻き込んで……ごめんなさい……」

「……貴女に巻き込まれてないわ。謝罪することない」


 責任を感じるのは、早坂狐月の動機が自分自身にあったからだ。

 早坂狐月はよぞらのために、願いを叶えてもらうために、悪魔の元へ向かった。

その悪魔に唆されて、早坂狐月はあたしによぞらの護衛を依頼し、よぞらは早坂の保護を依頼した。

元々悪魔達はあたしを巻き込むつもりだった。巻き込まれたのは、どちらかと言えばよぞらの方だ。


「泣くなよ、よぞらのせいじゃない」


 蓮華はよぞらを抱き締めてあげた。


「悪いのはコイツ」

「……」


 その手で蓮華が早坂の胸に拳を当てる。早坂はなにも言い返さなかった。

 早坂狐月は、時間を巻き戻したかった。悪魔に叶えてもらうために、行動した。

よぞらの過去を変えるためだった。よぞらのために、叶いたい願いだった。

よぞらのために、悪魔にも命を売る。

 だが、よぞらは望んでいなかった。ただそばにいてほしいことだけを望んでいたのだ。


「笹野椿さん……ゴメンナサイ」


 早坂もあたしに謝罪する。

 詳しくは聞かなかった。追及せずに、電車に乗った。藍さんがパソコンをいじるとすぐに動き出す。

 あたしと白瑠さんと幸樹さんと藍さんで並んで座った。藍さんの斜め前にラトアさんは立ち、つり革を握る。

 左のドアの向こう側に、黒の集団が席を占領した。柄が悪い乗客って感じで、だらけたように座って「酒はねーのか」と文句を漏らしている。

 火都は気にせず壁に凭れて眠り始めた。その隣に座るアイスピックはシルクハットを顔に被せて眠る。カロライは腕を組んでぼんやりした。向かいには両足を広げて天井を見上げる蠍爆弾は「ビール……」と呟く。左隣に座る遊太は背伸びをしながら今食べたい料理の名を次々と口にした。蠍爆弾の右隣に座るレネメンも疲れたように息をつきながらもお酒の名を呟く。間の床には、ディフォが寝転んでいる。ナヤが煩いから口を塞いで簀巻きにして、それを枕にして寝る気満々だ。

カロライの隣に座るコクウは頬杖をついて、あたしを見ていた。

 あたしはなにも言わず、右を向く。斜め前にはフェンリルファミリー。ヴォルは疲れきって寝てしまい、ヴォルフの肩に凭れていた。ヴォルフは笑みを溢して膝に寝かせる。それを見て幹部達が静かに笑った。

 ヴォルフは大事そうにそっと頭を撫でて、見つめる。自分の実の息子のように、愛しそうな眼差しだった。


 ドアを挟んだ向こうには、セレノと蓮華と蓮真くんが座っている。セレノを拘束しているハウンくんは、ドアの前に座り込んで寝ていた。セレノは外せともがくが、蓮華が頭を叩いて止めさせる。セレノを潰すように凭れると、疲れきって天井を見つめていた蓮真くんの頬をつついた。

 蓮真くんから二人分離れて、早坂とよぞらが言葉もなく寄り添って座っている。

 向かいの座席には、秀介と篠塚さんがいた。

秀介は欠伸を漏らしたが、あたしの視線に気付くと、にこりと笑いかける。

 篠塚さんは煙草をくわえていた。火はつけていない。煙草を吸えなくって苛立っている様子はなかった。あたしと目が合うと顔を逸らす。


「二人はどうするの? フェンリルの邸宅にお邪魔するの?」

「あー……いや、俺達はビアンカのとこ、戻らないと」


 秀介も篠塚さんも、フェンリルファミリーに目を向ける。疑うような目付きは、謎の白狼を気にしているのだろう。気になるが雇い主のビアンカの元へ戻るつもりらしい。

 目を向けると、ヴォルフと視線が合った。彼は青い瞳を細め、唇に人差し指を当てて微笑んだ。

あの白い大狼のことは、隠すつもりらしい。……滞在中に探ってやる。


「ねー。俺も連れてって。未来の大統領さんに紹介してよ」

「……蓮華、本気でミリーシャに会うつもりなの?」


 次期大統領であり、裏現実の大統領(ドン)であるミリーシャに会いたがっている。

蓮華は殺しを肯定する裏現実を嫌い、変えたがっていた。

 大統領に会って世界を変える、そんな勇者になろうとする。


「これから忙しくなるんだよ、難しい話だぜ」


 秀介は首を振る。刑務所が焼け落ち、看守も囚人も皆死亡したのだ。政治もあわてふためく。


「だからこそ、会ってもらえるさ。俺には幸運を運ぶ悪魔がいるからな」


 ニヤリと蓮華は笑ってみせる。親指で指差すのは、セレノ。運も運ぶ悪魔だ。

 世間の味方を得たいミリーシャならば、セレノの能力は願ってもないことだろう。手土産ならば、至極最高。

セレノは嫌だという反応をしない。


「まぁ、それなら……じゃあ、ハウンも来てくれるか?」

「……」


 次期大統領の前に悪魔を連れていくなら、悪魔を拘束できる吸血鬼も同行してほしい。秀介が頼むと、ハウンくんはコクリと頷いた。


「ちょっと、しゅう。蓮華とセレノをミリーシャに会わすと、どうなるかわかって言ってるの?」

「え? なにが?」


 身を乗り出して、あたしは秀介に問う。すると、篠塚さんが煙草をくわえたまま口を開いた。


「裏現実を嫌うこの女が、運を味方につける悪魔と一緒に裏現実を変えるつもりだ。ミリーシャという最強の味方もつけてな」


 裏現実を変える。世界を変える。

蓮華には度胸もあり、その術もある。セレノが可能にできる。

 ミリーシャは蓮華もセレノも受け入れるだろうが、果たしてそれでいいのか。

世界を変えてしまうのだ。


「いいじゃん。戦争は終わったんだぜ? 世界を変えようぜ」


 蓮華はニヤリと笑ってみせて、あたし達も巻き込もうとする。誘って惹き付けることが得意なのだ。その魅力も影響力も、ある意味危険だ。

 一番はセレノが味方についていること。

全ては蓮華が得するようにことが運ぶ。世界が蓮華の思いのままに動くことになる。

 戯言では、すまない。


「別にいいじゃん。俺からしたら、つばきゃんと会ってから世界が変わったようなもんだぜ」


 秀介は軽く考え、あたしに向かって笑いかけた。

 それ、あたしが裏現実に既に影響を与えてるって言いたいの?


「そうだよ、椿。俺と裏現実、変えようぜー?」


 ニヤニヤと蓮華があたしを改革に誘う。


「裏現実、秘密その壱。吸血鬼は実在する」


 蓮華がラトアさんを指差す。あたしはコクウをちらりと見てみると、まだコクウがあたしを見ていた。


「裏現実、秘密その弐。悪魔も実在する」


 蓮華がセレノの頭をグリグリと撫でる。あたしの中の悪魔は、沈黙していた。


「裏現実、秘密その参。死者は時々甦る」


 蓮華が指差す篠塚さんに、あたしも目を向ける。


「あ、そうだ。彼が番犬だってさ」


 コクウが口を開いて、篠塚さんの正体をバラした。

 コクウが集めた黒の集団。目的は最強の狩人、裏現実の番犬、篠塚さんを見付け出して倒すこと。

 全員が篠塚さんに注目した。コクウッ、この野郎。


「……」


 篠塚さんはその視線に興味がないと言わんばかりの眼差しを、一瞬だけ向けて逸らす。


「俺の二つ名はゼウスだ。この小僧の相棒」


 それだけを告げて、篠塚さんは立ち上がると隣の車両へと移動した。

 昔の自分は捨て、今の自分を認めた。同時に相棒の秀介も認めたのだ。

秀介は憧れていた番犬に認められて笑みを溢す。


「番犬は死んだ」


 あたしは代わりに黒の集団に告げる。

 今後、黒の集団はどうするのか。コクウは肩を竦めることなく、ただあたしに微笑みを向ける。

白瑠さんはそれが気に入らなく、あたしの顎を掴んで逸らさせた。


「秘密を知り、裏現実者と名乗る者が、裏現実者。秘密を知っていても、表現実に腰を据える者が表現実者」


 三つの秘密を知る者が裏現実者。あたし達や、秀介達や、コクウ達のこと。

 秘密を知りつつ、表現実に生きる者。早坂達と、フェンリルファミリーのこと。


「悪魔との戦争のせいで、ただでさえ曖昧だった境界線が壊れかけた。表と裏の混沌。これを機に、変えるべきじゃねーの? 世界も、ルールも、ね」


 蓮華は横目であたしを見て、またニヤリと笑ってみせる。

 裏現実は、殺人中毒者が多い。殺さずにはいられない中毒者。殺戮していたあたしもそうだと思った。

しかし、ただ勢い余っていただけ。殺さなくとも、いい。

 蓮華はあたしのように殺さなくとも、生きられる者に殺しをやめさせたがっている。

 殺しを肯定する世界だから、殺しをする仕事をする者が多い。その世界を変えたいのだ。

 そんなこと、不可能に思える。だが、蓮華の思い通りにことが運んでしまうだろう。


「どうせ、好き勝手するのでしょ。好きにしたら」


 もう知らない。

何を言おうが、蓮華は折れやしないから、あたしが折れる。


「じゃあ、よろー。ポセイドンくん」

「おっけー」


 蓮華はにこりと笑うと、秀介は笑い返して頷いた。蓮真くんはやれやれと首を振る。なにも話していないが、きっと蓮真くんが蓮華に振り回されることが決定事項なのだろう。

蓮華に裏現実の秘密をバラした報いだ。


「よぞらも、早坂も、もう裏現実に首を突っ込むんじゃないわよ。次は片方、亡くすから」

「……はい」


 あたしはよぞらと早坂に釘をさす。二人は裏現実にいるべきではない。次は片方を亡くすか、二人とも亡くすかだ。


「でも、時々会いに行ってもいいですか?」


 よぞらが遠慮ぎみに笑いかけてきた。


「椿さんの友だちは大歓迎です。いつでもどうぞ」


 幸樹さんが代わりに答える。過保護にうんざりしつつも、あたしも首を縦に振った。

「その時は友だちの女の子も連れてきてね!」と藍さんが口を挟むが、ラトアさんが押さえ付けて黙らせる。


「うひゃあ、ひゃひゃ」


 白瑠さんがあたしの髪に笑い声を吹き掛けてきた。

 ガタンゴトン、と電車の揺れを感じて、白瑠さんに密着した。

酷いほど、安堵を覚える。きゅ、と胸の中を握られたようだ。

 深く息を吐くと、白瑠さんの首筋にかかったようで少したじろぐ。

あたしは自分の首を触れて確認した。ずっと違和感を覚えていた。チョーカーを毎日つけていたから、そこにないと不安になる。

 指先で撫でる傷は、電車の中でつけられた。今凭れている白瑠さんに。

 あたしは白瑠さんに裏現実の秘密を教えてもらった。

彼と同じ電車に乗った。それであたしの行き着く先が決まったようなものだ。

真っ赤に染まった電車に揺られて、行き着いた先が幸樹さん達の元。


  ガタンゴトン。


 目を閉じて、電車の揺れを感じる。眠りを誘う心地いい揺れだ。

 目を開くと、真っ黒な窓が目に入る。窓には景色は映らない。地下鉄だからだ。

どこに行き着くのか、想像ができない。

 窓ガラスに映る自分は、真っ赤な瞳が灯る。ぼんやりとそれを見つめていると、電車の中は誰も喋らなくなった。

ただ、レールを走る電車に身を委ねている。


  ガタンゴトン。


 あたしが愛している家族を見る。真っ黒な窓に映っている藍さんは、眼鏡を拭いてかけ直していた。あたしの視線に気付いて、爽やかに笑った。

 隣の幸樹さんはずっとあたしを見つめていたようで、にこりと微笑みかけられる。

 どこに行き着いても構わない。この人達と同じあたたかい場所にいられるのならば。

この先、世界がどう変わってしまっても。


  ガタンゴトン。


 あたしの頭に頬を重ねた白瑠さんは、にっこりと笑いかけてきた。初めて会った時とは違う。温かみのある笑み。

 でも、それは変わらない。

無邪気で楽しげな声を出して、沈黙をぶち壊した。









end



 血にまみれ、愛にもまみれた物語。支離滅裂ながらも、完結できました。

お付き合いいただき、どうもありがとうございました!

 最初は血塗れの電車から、プロットも立てずに授業中にひたすら成り行き任せに書いていました(笑)

 殺人鬼、殺戮者、吸血鬼とちにまみれた狂った人達がたくさん出てきましたが、中には愛もありました。

歪んだ物語でもありますが、読者様に愛されたなら幸いです。

 フェンリルファミリーのヴォルが主人公の「狼賊」を連載中です。

多分椿ちゃんも出ますので、よかったら読んでみてください。四年後のヴォルのお話です。


 なろう第一号の作品、裏現実紅殺戮シリーズ。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。




20141113

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