その五 光我の覚悟
それから二日経った夜に、やっと兄ちゃんの熱は下がった。
兄ちゃんは気持ち良さそうに眠っている……。
オレはそれを見届けると、静かに寮を出た。
(……ごめんな兄ちゃん。オレさえいなければ、もっと幸せになれるのに……。ごめん……ずっと兄ちゃんのところにいるって言ったのに……。でも、オレさえいなければ、もっと楽になれるから……)
そうしてオレは、二度と兄ちゃんの元へは戻らないと決めた……。
でも、オレは独りでどうやって生きていけばいいのかわからず、寮と里を出てから何日か経っても、途方に暮れて道端の岩に独り座り込んでいた。
いっそ死んでしまおうかと思ったけど、そんな勇気どこにもなかった……。
そんなとき、アイツに逢ったんだ。
そしてオレは『夜代』に入り、すぐに『鎌鼬』という妖怪の魂を、自分の身体に憑依させて力を手に入れた。
オレはもう、どんなに汚れてしまってもいいと思った。
ここまできたら、どんなに無様な方法でも生き抜いてゆくと……。
独りで生きていく勇気も、死ぬ勇気もないなら、たとえアヤカシだと判っていても、それに縋りついて生きていくしかないと——
光我は影利の横に座り込んだまま、彼にしがみついて涙を流していた。
「……でも、結局はオレのしたことで、また兄ちゃんを傷つけちまった……。オレはなんでこんなに兄ちゃんを不幸にするんだ……」
影利は弱々しい手で、そっと弟の頭を撫でた。
「……そう……か……。ごめんな……。そんな風に……お前を苦しめてたなんてな……」
「違うよ兄ちゃん! オレが、オレのせいで、兄ちゃんを苦しめるのに耐えられなかっただけなんだ! オレの自己満足のせいなんだ……。ごめんな、兄ちゃん……ごめん……っ」
影利は苦しそうにしながらも、弟を見てそっと優しく微笑む。
「……相変わらず……泣き虫だな……光我……」
光我はグッと涙を拭って、言葉を絞り出した。
「……っ兄ちゃん……オレは、兄ちゃんがただ、元気でいてくれれば……それで幸せだったんだ……」
影利は穏やかな微笑みを浮かべたまま、光我の頭を撫でながら、消え入りそうな声でこう言った。
「……俺は……お前の本当の気持ちが聞けただけで……それだけで…………十分だよ……」
そう言い終わると、影利の手は光我の頭から静かに力なく滑り落ちた。
光我ははっと顔を上げて、影利の身体を揺さぶる。
「……兄ちゃん?」
しかし影利の瞳は静かに閉じて、二度と開かれることはなかった……。
「兄ちゃん! ——っ兄ちゃん! ——にぃちゃ……ん……」
後には、弟が必死に兄を呼ぶ声が、虚しく残されただけだった……。
影利の上に泣き伏せる光我の周りを、不意に不気味な風がヒュンヒュンと渦巻き始める。
そして、彼自身の身体も、次第に鎌鼬の恐ろしい獣の姿へと変貌をし始めた。
これまでになく感情が不安定になり、抑えが効かなくなった光我は、その身体に秘めていたアヤカシに、身体も心も蝕まれ始めたのだ。
よろずと海刃もまた、ほぼ互角の戦いを繰り広げていた。
いや、一見そう見えるだけで、明らかに海刃の方が、ただただよろずに受け流されているだけのようだ。
海刃は、鎖鎌の分銅を振り回している。
「オイ、いい加減本気出せよ。いつまで刀だけで通すつもりなんだ?」
「戦い方なんて人の勝手だろ」
淡々と答えるよろずに、海刃は顔をしかめて舌打ちをすると、彼に向かって走り出す。
そのとき、よろずは光我の異変を目の隅に捉えた。
(——! あれが、アイツの得た力なのか?)
「オイ、余所見してんじゃねぇよ!」
よろずは海刃の鎖鎌をいとも簡単に薙ぎ払う。
「っくそ!」
海刃は悔しげに悪態をついた。
光我は必死に、自分の意識を保とうと苦しんでいた。
「——っう——ぅう——くっ——にぃ——ちゃん——っ」
彼の心は、悲しさと悔しさでいっぱいだった。
(オレは……こんな化け物なんかに、呑み込まれちまうのか……)
ヒュンヒュンと吹く風は、ついには光我自身までも傷つけ始める。
「っ! うあ! くそっ——」
光我は薄れゆく意識の中、腰に差していた刀を震える手で引き抜いた。
しかし、その手すらも、もう、獣のような手に変わり果て、もはや自分の手ではなかった。
光我は震える両手でなんとか刀を手にすると、真っ直ぐと自分の腹へと刃を向けた。
「兄ちゃん……最後——ぐら——い——強くなってみせるよ——」




