その二 温かい気持ち
次の日、アタシは昨日と同じ、昼下がりののどかな時間にあの海岸へやって来た。
昨日とは打って変わって、今日は雲ひとつ見当たらないほど澄み切った青空が広がっていた。
アタシはしばらく、笹でくるんだ二つのヨモギ餅を抱えて海岸をうろうろしていた。
そしてようやく決心をして、比較的緩やかな崖を、洞穴目指して登り始めた。
手をつかなくても登れる程度だったが、アタシはまだ慣れてなくて、おぼつかない足取りでとろとろと登っていった。
ちょうど、洞穴の入口に辿り着いたとき——
「あっ!」
よろずがひょっこり目の前に顔を覗かせた。
「わぁ!」
いきなりだったもんだから、アタシはびっくりして、思わず足を滑らせてしまった。
「うっわっ……!」
ヨモギ餅で手が塞がっていたので、アタシは体勢を崩して、後ろから落ちかけた。
「——っ小雨!」
間一髪のところで、よろずがアタシの手を掴んで、その細い腕からは想像できないほどの力で、グイッと引き上げてくれた。
「大丈夫か? おめえ、危なっかしい奴だな」
よろずはそう言いながら、アタシの顔を覗き込んだ。
アタシはまだ心臓をバクバクいわせながらも、あることにすごく驚いて、感動していたんだ。
「? どうした?」
無言でその気持ちを噛みしめているアタシを、よろずは不思議そうに見ている。
アタシは震える口をようやく開いた。
「あっ、あの、助けてくれてありがとう。それに……アタシ、おばさんたち以外に名前で呼ばれるの初めてで、その、すごく嬉しいからっ……ありがとう……」
顔を真っ赤にしながらモゴモゴとそう言うアタシを、よろずは驚いて見つめていた。
そして、アタシから目を逸らすと、僅かに頬を赤らめた。
よろずはアタシに向き直ると、
「助けてやった代わりに、おめぇもオレのこと名前で呼べよ!」
と必死に照れを隠しながら、不自然にきっぱりとそう言ったのだった。
「う、うん。ところで昨日のお礼に、えっと、ヨモギ餅持ってきたんだけど……」
アタシも照れを誤魔化すために、話題を変えようと笹でくるんだヨモギ餅を、ずいっとよろずの目の前に差し出した。
「えっ! 本当か? ありがとな! とりあえず座るか?」
「うん!」
アタシとよろずは海の方を向いて、洞穴の入口に並んで腰かけ、二人でヨモギ餅を食べた。
「うめぇなコレ! こんなうめぇもん生まれて初めてだ!」
よろずは目を輝かせてそう言った。
そんな風に喜んでくれるよろずが嬉しくて、アタシもニコニコと彼を見つめた。
そのときよろずの腰に、彼の背丈にはどう考えても長過ぎる刀が差さっているのを見つけた。
「すごい! 刀使えるの?」
アタシは思わずその刀を指差した。
「あぁ、まぁな。習ったことなんかねぇから我流だけど……」
よろずは少し錆びれた刀をそっと撫でた。
「その刀どうしたの?」
「拾ったんだ。森歩いてたら、おっさんが死んで倒れてたから頂いたのさ」
よろずはさらりとそう言って退けたが、アタシは愕然として彼を見た。
そんなアタシを見て、よろずは付け加えた。
「この御時世、アヤカシに襲われたりして野垂れ死ぬのなんか、しょっちゅうだからな。自分の身を守るモノは必要だろ?」
アタシは気を取り直してまた質問した。
「どこの道場にも通ってないの?」
「そういえば、あんまり考えたことなかったなあ」
「せっかくできるのに……」
すると今度はよろずがアタシに質問してきた。
「おめぇは通ってんのか?」
「う、うん」
「じゃあ、将来は退治屋か」
そう言われて、アタシは自信なく答えた。
「一応そのつもり……なんだけど……」
「おめぇ、家族は?」
「アタシ、独りで暮らしてるの。小さい頃に退治屋だったお父さんがアヤカシに殺されて、それで落ち込んじゃったお母さんも病気になっちゃって、結局その病気こじらせて死んじゃったの……。でも独り暮らしでも、近所のおばさんとその家族の人たちが、アタシのこと支えてくれてるんだよ」
そう、アタシが両親を失くしてから、近所のおばさんの大家族が、アタシのことを家族のように手助けしてくれていたんだ。
「そっか……」
よろずは、ヨモギ餅の葉っぱをひらりと海の方へ投げ捨てた。
「……アタシも聞いてもいい?」
アタシは躊躇いがちによろずに尋ねた。
よろずの着物はボロボロの継ぎ接ぎだらけで、決して裕福な暮らしではないことはわかっていた。
彼は躊躇う様子もなく話し出した。
「オレは両親の顔を覚えてねぇんだ。オレは物心ついたときには、今はもうないけど海明神社っていう、この里の向こうの山奥にあった神社に引き取られてたんだ。そこの神主はオレのことを大事に育ててくれた。
「……でもある日、オレが外から帰ってきたときに、その神社とオレを育ててくれた神主も一緒に、盗賊の奴らが火をつけて燃やしちまってたんだ。……なんでそんなことしたのかわからねぇ。ただの腹いせかもしれねぇ。でも、その頃のオレはなにもできねぇで、ただ逃げるしかなくて、それでここに来たんだ。
「そんで、誰にも使われてねぇ空き家を森の奥に見つけて、今住んでんだ。情けねぇだろ……? ここに来てオレはずっと独りだったんだ」
よろずは話す間、ずっと無表情だった。
ただ最後に少しだけ苦笑いしただけだった……。
アタシは首を横に振った。
「情けなくなんかないよ! ずっと独りで頑張ってすごいよ! 剣術だってできるし……。アタシなんかより、全然可愛い顔してるのに……」
その言葉によろずは目を見開いた。
「かわっ——?」
「う、うん! すごく可愛い顔してるよ!」
アタシは褒めたつもりでそう言った。
でも……。
「なに言ってんだ? オレは男だ!」
よろずは顔を赤くしながら、なんだか怒ってるみたいだった……。
「え? なんで? なんか……? と、とにかくごめん!」
アタシは急いであたふたと謝った。
よろずはしばらくむくれて海を眺めていたけど、やがて表情を和らげて口を開いた。
「なぁ……小雨……」
「なっ、なに?」
アタシはよろずに嫌われてしまったのではないかと、酷く焦っていたので、びっくりして彼を見た。
「おめぇ、もっと自分に自信持てよ……。おめぇはなんだか、自分に対して否定的過ぎだ」
よろずは遠い目で海を見つめながら、穏やかにアタシにそう言った。
「えっ……」
よろずはアタシをじっと見つめた。
アタシもよろずを見つめ返した。
「……それにおめえは十分、いや、それ以上に、そ、そのっ……かっ……っ」
よろずは急に頬を赤らめて、アタシから目を逸らし、言葉を切ってしまった。
アタシは気になってしょうがなく、よろずの顔をおずおずと覗き込んだ。
「な、なぁに?」
しかし、よろずはますます真っ赤になって、そっぽを向いてしまった。
「な、なんでもねぇ! とにかく自信持てってことだ!」
「ええ~? 教えてよぉ……」
アタシはがっかりして肩を落としたけど、そう言ってくれたことが嬉しくて、こっそり笑った。
その後も他愛のない話をし、気がつけばだいぶ日が傾いていた。
アタシとよろずは、そろそろ帰ろうと海岸に下りた。
「じゃあ、またな」
よろずはニッと笑ってそう言うと、アタシに背を向けて歩き出した。
アタシは勇気を出して口を開いた。
「きょ、今日はありがとう。また明日も来るからね……よ、よろず!」
よろずははっとして振り返った。
そして、夕陽と一緒に真っ赤になったアタシに、照れくさそうに微笑んだ。
「あぁ、また明日な、小雨!」
よろずはそう言うと、海岸を駆けて行った。
アタシはとてもあったかい気持ちで、よろずを見送った……。




