その四 この目で見たもの
雨はまだ降り続いている。
雷もやまない。
小雨は怒りと悲しみに震えていた。
彼女自身、もう自分がなにに腹が立ち、なにが悲しいのかわからなくなっていた。
「迂闊だった……。蜘蛛女は日没時にその姿を現す」
座朗は顔をしかめ、その女から離れながらつぶやいた。
桜在もその場から遠ざかりながら、刀を抜いた。
その女からは既に、長い蜘蛛の足が出現していた。
そしてついには、蜘蛛女の不気味なその姿を露わにしたのだった。
「ったく、こんなときに冗談じゃねぇ!」
光我は悪態をつきながら、既に刀を抜いて蜘蛛女の方へ走り出していた。
蜘蛛女は長い足とその巨体で暴れ出した。
蜘蛛の身体と一体化した女の顔には、狂喜の笑みが浮かんでおり、振り乱した髪が一層不気味に見えた。
蜘蛛女は光我たちが最初にいた岩山を、すさまじい音と共に崩してしまった。
辺りに大量の泥水と岩山の残骸が飛び散る。
みんなは思わず目を瞑った。
我を忘れていた小雨は強く誰かに手を引かれ、はっとして自分を取り戻した。
小雨は森の中に引き込まれていた。
向こうではまだ、蜘蛛女が暴れ回っているようだ。
小雨は自分の手を引いた誰かを急いで振り返った。
そこには、少し離れた所によろずが立っていた。
よろずは小雨を見つめると、固い表情のまま口を開いた。
「……おめぇ、なんで来たんだ……」
「なんでって! よろずこそなんで? なんであんな人たちと……」
小雨は必死に、よろずの方へ身を乗り出すように叫んだ。
よろずは表情を変えずに答えた。
「おめえには関係ねぇ」
小雨はまじまじとよろずを見つめた。
(よろずがなに考えてるのか……全然わかんないよ!)
小雨は涙を必死に堪えた。
喉が詰まって言葉が出ない。
よろずはそれでも言葉を続けた。
「とにかく、オレがどこでなにをしようが、オレの勝手だろ。おめぇはさっさと里に帰れ。二度と追って来るな」
小雨はグッと唇と噛みしめ、やっと声を絞り出した。
「……っよろず、一体……なにがあったの?」
よろずは目を逸らし、黙っている。
雷はやんだ。
でも、雨は激しさを増した。
小雨が再び口を開こうとしたとき、よろずが彼女に大きく近づいた。
「!」
小雨が驚いて顔を上げたのと同時に、よろずは彼女の腕を掴んで、グッと力強く自身へ引き寄せた。
小雨は前のめりに体勢を崩し、彼の背後にできていた水たまりに、ばしゃりと倒れ込んだ。
泥水が顔にかかり、視界が塞がれる。
「よ、よろっ——」
小雨が必死に顔の泥を拭って振り返ったときには、既に彼の姿はなかった。
振り返った方と別の方向から、ばしゃばしゃと複数の足音が響いてくる。
「小雨! 大丈夫か?」
かずみが先頭を切って駆け寄って来た。
「それより、よろずは?」
小雨は泥だらけで立ち上がりながら、必死に辺りを見渡す。
「今は一旦逃げないと! もうそこら中めちゃくちゃなんだよ! こんな視界な上に、アヤカシが暴れ回ってて危ないし」
来華は悔しそうに顔を歪ませて、そう言った。
「で、でも——」
「——っ海刃、頼む!」
かずみは小雨の声を遮って、隣の海刃に声をかけた。
「わかった!」
海刃は険しい表情でうなずくと、小雨の小さな身体を軽々と担ぎ上げた。
「嫌だ! 離して! よろずっ——」
抵抗虚しく、小雨は海刃に担がれてその場を後にする。
「こっちだ!」
影利の誘導する声がする。
「よろず! よろず! よろず——!」
小雨は何度も声を張り上げた。
そのうち、極度の緊張状態と、叫び続けたことによる酸欠で、目の前がくらくらとし始めた。
意思が、遠退いていく。
しかし薄れゆく意識の中、小雨は引き寄せられたとき、ある物をはっきりと、その目で見たことを忘れなかった。
——そう、よろずの胸元の着物の間から、あの日アタシが『お返し』にあげた巻貝がしっかりと、紐に結ばれて首にかけられているのを……
——アタシはこの目で見たんだ……。




