第5話 幕間:四時間二十六分
リリアは休みの日はだいたい裸で過ごしている。別に露出が好きだからというわけではない。肩に布が掛かっている感触も、腰を何かに締められている感触も、寝返りを打った時に背中へ服の皺が挟まる感触も好きではなく、自分の部屋に一人でいるなら着ている意味がないので脱いでいる。それだけのことだった。
外へ出る時には服を着るし、配信となれば衣装も選ぶ。あの膝上まである革のブーツと、短すぎるスカートでふとももを魅せる衣装も配信用に考えて選んだものである。
では戦うたびに中身が見えそうになる、というより現地では実際にほぼすべて中身が見えているミニスカートと、リリアが裸族であることに何か深い関係があるのかと言えばまったく関係はなかった。
単純に足が長く見える。大剣を振った時に動きが大きく見える。画面が派手になる。視聴者も喜ぶ。そういう配信上の理由で穿いているだけで、家で服を脱いでいる理由とはひとつも繋がってはいなかった。
そして見せることと、それについてコメントされることはリリアの中では別問題だった。というより、スカートの中へコメントするのは視聴者の当然の反応であり、これらを怒ったり忌避しているわけでは無い。
ただしコメントするのが視聴者の権利であるならば、その後ブロックするかしないかの基準を決める決定権は自分のほうにあり、それを行使しているだけの話でしか無いとリリアは考えている。
リリアは寝台の上に腹這いになっている。顎の下へ枕を押し込み、足を適当に揺らす。今日は完全な休日で、自分の配信もつけていない。当然、部屋の中にコメントが流れることもない。手元の投影板に映っているのは、先日迷宮で偶然会った少女の配信だった。
修復さん。そう呼び始めたのは自分だった。本人が決めた名前ではないはずなのに、もう検索するとそれで出てくる。
登録者は自分とは比べものにならないくらい少ない。後から自分のところへまで話が回ってきて、名付け親だの、実は以前から知り合いなのではないかだの、妙な関係を想像する者まで出始めていた。
「どんなひとなのかいま初めて知るー」
そこにコメントは流れていないけれど、リリアは軽い気持ちで修復さんの配信を開く。
そして三十秒もしないうちに腹這いのまま眉を寄せた。
画面の中で、一頭の鋼角犀が半壊した石造回廊を歩き回っている。
肩の高さだけでも修復さんの身長を優に越え、額から突き出した一本角は人の胴ほど太い。背中から肩にかけては灰黒色の甲板に覆われ、下手な剣では傷を付けるだけで刃のほうが欠ける。動き自体は単純だが、その単純な突進一つで石壁を抜き、鉄扉を蝶番ごと持っていく。討伐するなら普通は前衛を複数置いて動きを止める必要がある。淵穿ちとあだ名されている、そんな魔物だった。
リリアは画面隅の戦闘継続時間に目を向ける。
二時間十三分。
「長っ」
まだやってる。二時間超えたぞ。槍また折れた。何本目? 槍は一本。直して使ってる。
彼女へのコメントを追っている間に、修復さんは短槍を横倒しになった石柱の隙間へ差し込んだ。巨体が突進へ移った瞬間、柄へ体重を掛けて身体を横へ逃がす。次の瞬間、さっきまで少女がいた場所を一本角が抉り、後ろの石壁へ突き刺さった。衝撃で槍の柄も途中から折れる。
修復さんは転がるように距離を取り、その折れた槍を拾った。
鋼角犀は角を壁から引き抜こうとしている。彼女はその間に折れた部分を合わせ、片手で押さえながら細い魔力を流している。裂けた木目が少しずつ繋がっていく。
修復のタイムラグが。一瞬じゃ直らない。でも魔力切れない。灯り三つまだ残ってる。探知もずっと使ってる。
言われてから見直す。確かに多かった。天井近くには白い灯りが三つ浮かび、そのうち一つだけが鋼角犀の視界を横切るように動いている。床には目立たない魔力線が何本も走り、柱と柱の間には細い罠糸が張られていた。さらに回廊の奥では、今にも崩れそうな天井石が不自然な角度で留まっている。薄い結界で支えているのだろうか。探知も使っているらしく、鋼角犀が彼女の死角へ回っていても関係なく敵の動きに反応している。
どれも強い魔法とは言えないし、ひとつひとつなら冒険者として珍しいほどでもなかった。
ただそれが二時間以上、一つも切れずに残っているというのなら。
「……なるほどー」
それが彼女という冒険者なのだとリリアは判断した。
鋼角犀が壁から角を抜き、鼻息を荒くして向き直る。修復さんは直りかけの槍を抱えたまま、床に走る細い光を一本だけ跨いだ。巨体も同じ場所を踏む。前脚が石床へ触れた瞬間、足元の一部だけががくりと沈んだ。
リリアのときにも見せた手法。補強する床と補強しない床を選んでいる。
「こわ」
鋼角犀自身が二時間も踏み荒らしたせいで、石床はあちこち傷んでいる。修復さんは残したい場所だけを補修する。というより、ある意味では床の硬さを自在にまばらにできる。踏ませたいところだけ弱いままにしておけば、あの体重そのものが罠になる。
巨体が前へ傾く。修復さんは槍を放り、今度は半壊した盾を両手で構えた。リリアは少しだけ身を起こした。
「受けるのー?」
鋼角犀が彼女へ突っ込んだ。盾が割れ、修復さんも横へ弾き飛ばされる。投影板の像が激しく揺れ、少女は壁へ肩から叩きつけられた。数秒、動かない。やがて起き上がったものの、右腕は少し下がったままで、肩を庇っているのが画面越しにもわかった。
肩やった? 前と同じ側? まずい。盾は拾うのかよ。
修復さんは自分の肩には手を当てず、砕けた盾の破片を拾い集めた。破片を重ね、魔力を流す。傷はそのままで、盾だけがゆっくり繋がっていった。
「板は使えるので」
盾を板っていうな。自分は治せないのか。
リリアはそのコメントを読み、それから画面の中の少女を見た。以前会った時にはあまり喋らない子だと思った程度だったが、今は本当に何も言わない。痛いとも、まずいとも、悔しいとも言わず、壊れた盾を半分だけ繋げている。
鋼角犀が再び前脚で床を掻き始めた。修復さんも立つ。半分だけ直した盾を床へ斜めに差し込み、その後ろへ短い鉄杭を噛ませた。
次の突進が来る。
鋼角犀の前脚が、さっきから何度も痛めつけられている補強のない床へ落ちる。巨体がわずかに沈んだところで角が盾へぶつかった。盾は当然のようにまた砕けた。
その一瞬だけ角の向きがずれる。鋼角犀の身体は横に置かれていた石柱へ突っ込んでいく。
柱が折れる。柱の反対側に残った壁だけへ補強を流す。
「あー、そっち残すわけだ」
次に鋼角犀が暴れれば、弱いほうだけが壊れる。壊れる方向まで彼女は選ぶことが出来る。
そこからの戦い方を、リリアは見ているうちにだんだんとわかってくる。
修復さんは鋼角犀の甲板を割ろうとはせず、逃げ道を少しずつ減らし、灯りで顔を振らせ、弱った柱の近くへ誘導しては巨体そのものに石材を壊させていく。
突進で砕けた床を一部直し、次に脚を取らせたい場所だけを残し、落ちてくる瓦礫は薄い結界でわずかに軌道を変える。
鋼角犀が角を壁へ食い込ませた隙には槍を直し、盾を繋ぎ、切れた罠糸を張り直す。直した装備も次の足止めに必要なら惜しまず壊し、使える破片はその場で杭や楔の代わりにしていた。
一つ一つは小さい。鋼角犀の甲板を正面から砕くような一撃は一度もない。
リリアのように――他の冒険者達の大半がそうであるように、敵にダメージを蓄積させていくのではなく、修復さんはその場所を変えていく。
画面だけ見れば、魔物の突進を回避し続けているだけなのに。でも、一時間前と同じ場所は、もうひとつもなかった。
鋼角犀の呼吸は目に見えて荒くなっていた。修復さんも疲れている。右肩はほとんど上がっていないし、歩き方も最初より重い。それでも灯りは三つ浮いたまま、探知も罠糸も床の補強も切れていない。
「ふつう逆でしょー」
長引けば魔法使いのほうが先に削れる。攻撃魔法を使わなくても、複数の術式を維持し続ければ集中力も魔力も減っていく。何かひとつを捨て、またひとつを捨て、最後には身体だけで戦うことになる。
修復さんはそうではなかった。
攻撃に使える量が少ない代わりに、細い魔力をいくつでも長く流し続けられるのだろうか。何時間経っても、最初に置いたものがまだ戦場に残っている。
「対人向きのひとだなー」
強い一撃を持つ相手なら、その一撃を警戒すればいい。速いなら速度を見る。硬いなら抜き方を考える。
けれど修復さんを相手にするのであれば、彼女の何を警戒すればいいのだろう。
床かもしれないし、壁かもしれない。相手が捨てた盾かもしれないし、一時間前に何気なく補強された柱かもしれない。潰しても直されるし、こちらが壊したものまで次の罠へ利用される。
例えばリリアの剣がどこかにぶつかったとしても、戦闘中のリリアはそんなことを気にしていられないだろう。
でも修復さんは逆だった。彼女は戦闘中に壊れたものをぜんぶ覚えている。
何度目かわからない鋼角犀の突進と、何度目か判らない修復さんの回避。
巨体は補強を切られていた石床を踏み抜き、二時間かけて自分自身が突進で傷め続けた回廊の外壁へ肩からぶつかった。石組みが大きく崩れ、鋼角犀の前半身が傾斜した瓦礫へ突っ込む。立ち上がろうとして後脚を踏ん張るが、今度は足元に残された亀裂へ蹄が沈んだ。
修復さんは近づかなかった。探知の灯りだけを向けて、距離を保ったまま待っている。
一分。二分。
鋼角犀は何度か身体を起こそうとして、そのたびに崩れた石材へ重みを取られ続ける。
やがて頭が下がり、荒かった呼吸も少しずつ長くなっていく。完全に動かなくなってからも、修復さんはすぐには近づかなかった。
「やったか……?」
何時間ぶりかに聞く彼女の声。
死亡フラグやめて。修復さんにとっては決め台詞? 長かった。四時間二十六分。
「よかったー」
単純に、彼女が無事で良かったとリリアは思う。
画面の中で、修復さんは戦利品を確認するより先に折れた槍を拾った。次に盾の破片を集め、布の上へ並べる。右肩はまだ上がらない。そこには何もせず、槍の割れ目へだけ魔力を流す。
「修復さん、だー」
あのときずいぶん適当に付けた呼び名だったけれど。その呼び名は思いのほか正しかったと思えてくる。
彼女の戦いぶりも今の振る舞いも、修復さん、の他に何と呼べばいいというのか。名付け親として、勝手に誇らしいと思ってしまう。
「ファンになってしまったってことなのかなこの気持ちー」
リリアは顎の下の枕を少しだけ引き寄せ、また腹這いになる。画面の向こうでは戦いを終えた少女が、壊れた盾の縁金を一本ずつ外し始めている。
配信はまだ終わらないらしい。修復さんはこれからやっと依頼品のもとへ行けるのだという。
リリアも投影板を閉じず、そのまま新しい推しが何をしに行くのかを眺め続けるのだった。




