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第4話 影の底

足音が、完全に消えた。


──静寂。


さっきまで確かにあったはずの“人の気配”が、嘘のように消えている。


「……行った、か」


ぽつりと呟いた声は、やけに軽く、すぐに岩壁に吸い込まれていった。


返事はない。


当然だ。


もう、誰もいない。


悠翔はしばらくそのまま、動かなかった。


袋を抱えたまま、ただ上を見上げる。


──何もない。


あの穴も、光も、空も。


ただ、鈍く濁った岩の天井が、そこにあるだけだった。


「……はは」


乾いた笑いが漏れる。


何がおかしいのか、自分でも分からなかった。


ただ、笑わないと、何かが崩れそうだった。


指先に力を込める。


袋の中の感触が、やけに現実的だった。


──食料がある。


──水がある。


──生きろ、と言われた。


(……ふざけんなよ)


また、同じ言葉が浮かぶ。


今度は、飲み込まなかった。


「……簡単に言うなよ」


誰に向けたのかも分からないまま、吐き捨てる。


胸の奥に溜まっていたものが、少しだけ外に出た気がした。


だが、それも長くは続かない。


すぐに、また静寂が戻ってくる。


水の滴る音。


自分の呼吸。


それだけ。


「……くそ」


手に持つ袋を見ながら呟く


「……生きろ、ね」


その言葉が、やけに重くのしかかってくる。


(……どうやってだよ)




時間の感覚が曖昧になっていた。

寒さと痛みと、張り詰めた静けさの中で、悠翔はずっとくぼみに一人でいた。

朝の別れの後、袋の中から乾いたパンをひとつだけ口にした。

味はしなかった。

腹が膨れたという実感もない。ただ、空腹という苦痛だけが一時的に薄れた。

壁は垂直に切り立ち、岩の裂け目もない。

足場はぬかるみ、靴の裏に泥がこびりついていた。

閉ざされた天井を見上げる。

やはり、どこからどう見ても脱出口はない。

時計は壊れていた。

スマホはバッテリーを気にしながら最低限のライトしか使えない。

「……静かすぎる」

ふと、口に出していた。

誰も返さない。返ってくるはずもない。

でも、声に出していないと、自分が“存在している”実感すら消えてしまいそうだった。

くぼみの端に座り込んで、ぼんやりと壁を見ていたときだった。


コツン。


なにかが、どこかで転がった音がした。

硬いものが、岩に当たって跳ねたような――小さな、小さな音。

「……?」

思わず顔を上げる。

周囲に変化はない。風もない。聞こえるのは水の流れる音だけ。

だけど、確かに何かが、岩に当たった。

「気のせい……じゃないよな、今の」

言いながら立ち上がろうとした瞬間、足元がぐらりと揺れた。

「っ……!」

踏ん張ろうとしたが、足に力が入らない。

身体が岩肌に倒れこみ、そのままズルズルと座り込んだ。

疲労。

脱水。

そして、恐怖。

自分の身体が、思うように動かなくなってきている。

「やべぇ……マジで、笑えない……」

それでも、懐に手を入れ、袋の中の食料を指先で確かめた。

もう、パンは残っていない。水も、あとわずか。

ここで死ぬのか――

そんな考えが、一瞬頭をよぎった。

でも、同時に思い出す。

「……しっかり生きろよ、相棒」

「また絶対、迎えに来るから」

樹の言葉。

三浦の表情。

「……っ、くそ……」

悔しさとも悲しさともつかないものが、胸の奥に押し寄せる。

涙は出なかった。ただ、目の奥がじんと熱かった。

再び、岩にもたれて座り込む。

どれくらい時間が経ったかはわからない。

窪みに一人で佇む。その時ふと悠翔の耳に静寂とはまた別の音を拾う。

悠翔は耳を澄ませる。

──また、聞こえた。

今度は、確かに。

「ザリ……」と、岩肌を何かが這うような音。

(……誰か……いる?)

それとも、何か別の物か

「……誰か……いるのか?」

その言葉は、希望だった。

かすかに聞こえた“ザリ……”という音。

誰かが戻ってきたのかもしれない。

樹か?三浦か?それとも藤宮たちの誰かが、やはり気になって戻ってきてくれたのか?

悠翔は、震える指でスマホのライトをかざした。

しかし、どこにも人の姿はない。

上を照らしても、暗がりの中に崩れた岩の影しか見えなかった。


ザリ……


(……あれ?)

よく耳を澄ませると、音の方向が少し違っていた。

──上じゃない。下から……?

「……まさか」

ライトを上から下へ動かした次の瞬間。

スマホの光が、ぬるりと“何か”を照らし出した。

そこにいたのは、巨大な蜘蛛だった。

全長3メートル以上、足を含めれば4メートル近い。

艶めいた黒い甲殻。異様に長い脚。

目が複数、光を反射してぎらりと輝いている。

「っ……あ……!」

言葉が出ない。

声が、喉に詰まる。

恐怖が、理性を追い越した。

蜘蛛は壁を這うように、静かに、ゆっくりと登ってきていた。

その動きは異様なまでに滑らかで、まるで重力を無視するような軽やかさがあった。

悠翔と、目が合った。

──瞬間。

蜘蛛が加速した。

ガッ! ガガガガッ!

足音が岩肌を叩きつけ、四肢が壁を蹴る。

「やっ……やめ、やめろ……っ!」

悠翔は背中を壁に打ちつけ、無意識に身を縮める。

逃げ場はない。

ここは“くぼみ”──脱出口も、逃走ルートも存在しない。

足が震え、腕は動かない。

心臓がバクバクと爆発しそうなほど脈打ち、呼吸が浅く、喉が焼ける。

「く……そ、なんで……なんでこんな……!」

叫ぶことすら、遅すぎた。

蜘蛛は、悠翔の目の前まで這い上がり、跳びかかる体勢に入っていた。

黒い脚が空中に持ち上がり、目がすべて“こちら”を見据えている。

この瞬間、悠翔は理解した。

──殺される。

生まれて初めて、自分の死を直感した。

(俺……ここで……)

しかし。

そのとき、胸元の袋がずり落ちた。

樹が投げてくれた、食料の入った袋。

それが“カサ”と音を立てた瞬間、蜘蛛の動きが一瞬だけ止まった。

その刹那、悠翔の中で、何かが爆ぜた。

怒りでもない。勇気でもない。

ただの“拒絶”だった。

「ふざけんな……っ!」

声が出た。

初めて、恐怖を上回る感情が喉を突き破った。

「俺は……まだ、死にたくないっ!」

全身に電流のような何かが駆け抜ける。

スマホのライトが、突如として明滅を始めた。

蜘蛛が再び動き出す。跳躍体勢。殺意そのもの。

悠翔は、叫ぶように、空に吠えた。

「出ろよ……スキルでも、なんでもいい……っ! 出てこいよッ!!」

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