第3話 生存の分かれ道
数分が過ぎたころだった。
「くそっ……このっ……!」「うわっ、やべぇ!」「おらああっ!」
遠く崖上の奥から、誰かの怒声や息の荒い声が響いてきた。
(……何が起きてる……?)
悠翔が不安を覚えて顔を上げたそのとき、最後にひときわ大きな声が轟いた。
「よっしゃぁぁああっ!!」
再び静寂が戻る。
悠翔は緊張の糸を張り詰めたまま、ただ耳を澄ませていた。
──やがて、懐かしい足音が近づいてくる。
「おーい!おまたせ〜!」
先に姿を現したのは三浦志保だった。肩で息をしつつも、表情はどこか明るい。
そのすぐ後ろから、興奮気味の声を弾ませて樹が現れる。
「悠翔、驚くなよ。……この世界、ゲームだ」
「……は?」
あまりに突拍子もない言葉に、悠翔はぽかんと口を開けた。
「説明が足りなかったな、悪い悪い」
苦笑しながら、樹がそのまま続けた。
「さっき、狼みたいなやつが3匹現れたんだよ。で、俺らが近くにあった石や鉄の棒やら色々使って戦って──どうにか倒したんだ」
「……それで?」
「そしたらさ、急に目の前にステータス画面みたいなのが出てきたんだよ。レベルとか、スキルとかが表示されててさ」
「……マジで言ってんのか?」
「マジマジ。俺、【身体強化】っていうスキル手に入れた。多分読んで字のごとくだと思うけど、ちょっとまだ全部は把握しきれてねぇ」
「……ゲームみたいだな……いや、ゲームなのか……?」
「そうだって言ってんだろーが」
三浦が口を挟む。
「私は【ヒールタッチ】っていう回復スキルみたい。手で触れると、その人の傷を治せるの。さっきみんなの小傷とかを見て試してみたら、ちゃんと光って回復したんだよ」
「すごいな、それ……」
「でしょ? でも、逆に怖くもあるよ。だって……こんな“現実離れ”したこと、普通じゃ考えられないもん」
悠翔は、二人の話を聞きながら、岩肌に背を預けたまま、ぼうっと天井を見上げた。
闇に覆われた崩落した空。もうそこには、以前までの日常など、欠片も存在していなかった──
三浦の言葉を聞き終えたあと、少しの沈黙が生まれた。
その静けさの中で、樹がふと尋ねた。
「……なあ、悠翔。お前のスキルってあった?」
唐突だったが、問いかける声に悪意はなかった。
好奇心半分、仲間としての確認半分、そんな調子。
悠翔はわずかにまばたきし、ぽつりと答える。
「……俺には、出なかったよ。」
「ん? 試してみたか?」
「さっきからずっと、意識も集中してみたし……なんなら“スキル発動”って声に出したりもした。でも……」
言葉を濁す悠翔に、三浦が小首を傾げた。
「何も……起きなかったってこと?」
「……ああ。俺には、何の力も宿ってないみたいだ。」
そう言って、岩壁に背を預けたまま、目を伏せる。
「……そっか。でも、それって今の時点では“まだ”ってだけかもよ?」
三浦がフォローするように言った。だが、そのやさしさが、逆に胸に刺さる。
「いや……むしろそれが一番怖いんだよ。
みんなが“異常な力”を手に入れていく中で、俺だけ何も変わらない。……俺だけ、置いていかれる気がして。」
ぽつりと漏らした言葉に、樹がゆっくりと言葉をかける
「悠翔、これは“ゲーム”だけど、“チュートリアル”は全員バラバラなんだと思う。
落ちた場所も違えば、最初の出来事も違った。お前はまだ、自分の戦いに出会ってないだけなんだよ。」
その言葉に、悠翔はゆっくりと顔を上げる。
樹の目は冗談ではなく、確かな真剣さを湛えていた。
「出遅れたって思ってもいい。でも、お前はきっと無力なわけじゃない。
……スキルってのは、“力を欲したとき”にこそ、現れるんじゃねえか?」
悠翔はしばらく沈黙していたが、やがて小さく、ふっと息を吐いた。
「……なんか、お前ら……現実離れしすぎてて、逆に笑えるな。」
「それ褒めてんの? けなしてんの?」
「どっちでもいいさ」
そう返した悠翔の目には、ほんの少しだけ光が戻っていた。
ふと、樹が周囲を見回しながら、つぶやく。
「しかし...夜なのに、明るいよな。」
「え?」
悠翔は今さらのように瞬きをした。
確かに言われてみれば、真っ暗な夜のはずなのに、空間全体がぼんやりと浮かび上がっている。
「ほんとだな…全然気づかなかったよ。」
目が慣れてくると、壁あちこちに淡く光を帯びたものが張り付いているのがわかる。
点でも、線でもなく、湿り気を含んだ苔のような、柔らかい光
樹は近くの岩肌を指さした。
「これ…苔みたいなの、光ってるぽいな。」
「マジかよ。でも今の状況で真っ暗はちょっとキツイわ。」
悠翔はかすかに笑いながら肩を落とす。暗闇に閉じ込められない事が、思いのほか心を救っていた。
夜は、静かだった。
不自然なほどに、何も起きなかった。
寒さと不安、鈍い痛みに耐えながら、悠翔は何度も寝返りを打っては浅い眠りに落ちていった。
──そして、朝。
淡い光を感じて、悠翔はゆっくりと目を開けた。
「…………え?」
見上げた空──そこには、もう“空”がなかった。
以前、ぽっかりと空いていた天井の大穴が、完全に塞がっていたのだ。
「……ウソだろ……」
声にならない声が漏れる。
身体は重く、痛みが残っていたが、意識はやけに鮮明だった。
──そこへ、足音。
崖の上から、また誰かが近づいてきた。
先頭は三浦。その後ろには樹、そして見知らぬ男が一人。
「おはよう」
三浦が静かに声をかける。
「紹介するわ。……彼は藤宮さん。」
藤宮は無精髭をたくわえた、30代半ばほどの男。口数は少なく、目は鋭い。登山用のスコップを片手に持っていた。
「君が悠翔か……見ての通り、上の穴は完全に塞がれた。たぶん、あれ以上の崩落があったんだろう。外から助けが来る可能性は、かなり低いとふんでいる」
低く、乾いた声だった。
悠翔は目を伏せたまま、ただ静かに聞いていた。
「だから、ここを出ることにした」
そう言ったのは、樹だった。
その言葉を聞いた時、悠翔は心臓が締め付けられるようなそんな不安感を抱いた。
「……出るって……どこに?」
「湖の岸を伝って、崖沿いに階段を見つけたんだ。人工物っぽいやつ。もしかしたら、上に繋がってるかもしれない」
三浦も頷いた。
「ただ……悠翔を連れては行けない。くぼみから引き上げる手段が、どうしても見つからなかった。ロープもないし、代用になりそうなものも全部探したけど……」
「は?」
一瞬意味が理解できなかった。
「……ほんとは置いて行きたくないよ。でも、今のうちに動かないと、こっちも全滅する。食料も、水も……」
(ふざけるな!)
喉の奥まででかかった言葉を飲み込む。
悠翔はしばらく何も言わなかった。
ただ、心の奥で何かがひどく渦を巻いていた。
呼吸が浅くなる。
胸の奥がじわじわと締め付けられていく。
だけどそれと
同時に、心の底でほんのわずかに灯っている何かがあった。
樹の声。
三浦の笑顔。
この状況でも、彼らだけは自分を気にかけてくれた。
だからこそ──
「……俺は……大丈夫だよ」
その声は、驚くほど落ち着いていた。
「動けないし、何もできないけど……ここで待ってる。いつか助けが来るかもしれないし、何か起きるかもしれない。……何もないかもしれないけど、それでも……」
三浦が小さく息を呑んだ。
「待ってる」
口角を上げる。
上げたはずなのに、顔のどこも笑っていない気がした。
三浦も樹も無理して笑ってる悠翔の顔を見ることは出来なかった。
その言葉は、二人には確かに届いていた。
樹は数秒黙ってから、小さな袋を手に持った。
「これ。少しだけど食料が入ってる。投げるぞ…」
そう言って、手首を軽く振った。
袋は弧を描いて宙を舞い、重みを持って──
──ドスッ。
悠翔の胸のど真ん中に突き刺さるように飛んできた。
「……っ」
驚きと痛みで、一瞬息が詰まったが、すぐにそれを胸に抱き込んだ。
「しっかり生きろよ、相棒」
「また絶対、迎えに来るから」
そう言って、二人は背を向けた。
藤宮が無言で先頭を歩き出す。
足音が遠ざかる。影が、闇に溶けていく。
悠翔は、袋を胸に抱いたまま、ただ閉ざされた空を見上げていた。
まるで、かつてそこにあった“希望”を、探すように。




