第28話 骸の軍勢
悠翔は通路を歩きながら「んー……ないな」とぼやいた。
角を右に折れ、さらに数歩進むと、左手にぽっかりと大きな開口部が現れる。
覗き込んだ先には、体育館ほどもある巨大な空洞が広がっていた。
「……なんだ、ここは」
息が自然と浅くなる。湿った石の匂いが鼻を刺し、奥からは空気の流れすら感じられない。
壁に沿って耳を澄ませば、わずかに水滴の落ちる音が反響し、余計に広大さを際立たせていた。
警戒を緩めず、一歩、また一歩と足を踏み入れる。
床は冷え切っており、靴底から冷気がじわりと伝わってくる。
通路はどこにも繋がっていない。ただ広すぎる空間が、暗闇の中で口を開けているだけだった。
その中心へと近づいた瞬間——
足元に稲光のような閃きが走った。
石床に複雑な文様が浮かび上がり、紫と青の光が脈動する。
耳をつんざく低音が空気を震わせ、胸の奥まで響いた。
「……っ、やべっ!」
反射的に飛び退こうとするが遅い。
魔法陣が強烈な輝きを放つと同時に、背後の入口が重々しい轟音とともに閉ざされた。
鉄扉が石壁に噛み合わさる響きが鼓膜を叩き、逃げ道が断たれたことを嫌でも理解させる。
直後——
カチャ、カチャと骨の擦れる乾いた音が闇の中から響いた。
視線を巡らせた先、そこに立っていたのは剣と盾を携えた骸骨兵。
紫の光を宿した眼窩が悠翔を射抜き、無機質な顎がカタカタと鳴る。
ただの死骸のはずなのに、そこから漂う冷気は生者の吐息を凍らせるほどに重かった。
その背後には、半ば崩れ落ちた肉体をずるずると引きずり進む影がいた。
腐臭が鼻腔を突き、血に濡れた衣布の切れ端が泥のようにまとわりつく。濁った眼は焦点を結ばず、ただ生者の気配だけを追ってこちらを射抜いている。
さらに後方では、骨だけの兵らが列をなし、乾いた軋みを立てながら弓を引き絞る。弦が張り詰める音は、百を超える矢の雨を予感させ、空気そのものを殺気で満たしていた。
だが——悠翔の視線を奪ったのは、さらに奥に立つ存在だった。
骸骨兵や腐り落ちた死体とは、明らかに格が違う。
そこにいたのは、全身を黒衣で覆い、空間そのものを凍りつかせるような気配を放つ者。
瞳には青白く燃え盛る魂の炎。杖の先端からは瘴気が絶えず漏れ、床を這い、息を吸うたびに肺を蝕む。
その圧は、先ほど打ち倒した巨像に並ぶか、あるいはそれを凌ぐ。
さらに、その前に立ち塞がるのは禍々しい甲冑を纏った骨騎士。
巨大な盾が稲光を反射し、悠翔の進路を封じる壁と化していた。
その横には、ねじれた杖を握る影がいた。
骨の指先から垂れ下がるのは黒い鎖。
鎖は地を這い、耳障りな囁きと共に怨念を滴らせ、空気にじわじわと呪いを染み込ませていく。
そしてもう一体——
二本の剣を構えた骸骨は、狂気を孕んだ赤光を眼窩に宿し、カン、カンと刃を合わせていた。
その金属音は、死を前にした戦鬼の鬨の声のように、空間を震わせている。
「……やべーなおい」
思わず息を呑む。
周囲の雑兵は脅威ではない。だが、あの後方の連中は別格だ。とりわけ黒衣の魔導師が放つ圧は、背筋を氷柱で貫かれるような恐怖を伴っていた。
だが退路はすでに閉ざされている。
「やるしかないか」
口角を引き上げると同時に、胸奥で竜意が弾けた。
雷が全身を奔る
「最初から全力でいくぜ!」
顕竜——その身を雷光が覆い尽くす。両腕に力が漲り、眦から閃光が迸る。
「——雷撃放ッ!」
両手を突き出すと、放射状に雷光が迸った。
閃光と轟音が大空間を切り裂き、前方に押し寄せていた骸骨や死体の群れは一瞬で黒焦げとなり、崩れ落ちていった。
さらに悠翔は、間髪を入れずに両腕を振り抜いた。
「——風刃乱舞ッ!」
空気が裂け、鋭い風の刃が何十枚も奔った。
耳を劈く切断音と共に、横合いから押し寄せていた骸骨や腐肉の兵どもがまとめて弾け飛ぶ。石壁に叩きつけられた骨が砕け散り、乾いた破砕音がこだまし、血と腐臭が風に混ざり合った。
立ち込める煙と残骸の中、中央の空間が一瞬だけぽっかりと開ける。
悠翔は荒く息を吐きながら、指先を奥へ突き付けた。
「後は……お前らだけだな!」
雷迅脚。
雷光をまとった脚が床を爆ぜさせ、瞬間的に身体が矢のように前へ弾かれる。
悠翔は壁を蹴り、その反動で高く跳躍した。視界が一瞬反転し、黒衣の魔導師の背後に回り込む。
拳に雷穿を宿し、稲妻を凝縮させて振り抜いた——
ガキンッ!
火花が弾け、轟音が鼓膜を叩く。
拳は弾かれ、痺れる感覚が腕を駆け抜けた。
立ち塞がっていたのは、巨大な盾を構える骸骨騎士。鉄壁の防御が雷光すら押し返す。
「ッ……!」
バランスを崩したその頭上に、二本の刃が十字を描いて振り下ろされる。
風を裂く殺気が頬を掠め、思わず後方へ跳ね退く。だが、間断なく浴びせられる連撃。金属音が耳を裂き、壁際まで押し込まれる。
「チッ……!」
悠翔は反射的に壁を蹴り返し、雷光を散らしながら中央へ跳ね戻った。
荒い息と共に額を伝う汗が頬を滑り落ち、血の味が口の中に広がる。
「クソ……あいつら、邪魔なんだよな……」
その瞬間——
魔術師が低く、地を這うような声で詠唱を紡ぎ始めた。
呪文の一節ごとに空気が軋み、重さを増す。
同時に、盾を構える骸骨騎士と二刀の戦鬼は一歩も動かず、ただ獲物を仕留める瞬間を待つ猛獣のように、悠翔を射抜いていた。
さらに背後では、影をまとった術者が異質な囁きを垂れ流し、黒い鎖を揺らめかせながら別の呪文を紡ぎ始めている。
腐臭と瘴気が混ざり、空気はまるで粘度を帯びた泥のように重く、呼吸すら阻む。
「……次はなんだ?」
悠翔は唇を引き結び、全身に雷をまとわせた。皮膚の下で稲妻が脈打ち、息を整える音すら空気を震わせる。
次の瞬間——
足が床を爆ぜ、閃光を引いて駆け出す。
「——先手必勝だッ!」
雷迅脚。
疾雷と化した身体は一直線に大盾へ突進し、拳に雷穿を凝縮して叩き込む。
ガキンッ!
火花が散り、轟音が耳を裂いた。
拳は弾き返され、衝撃が腕を痺れさせる。盾は一歩も退かない。
「またかよっ……!」
刹那、二刀の骸骨が頭上から十字を描くように刃を振り下ろす。
だが、その瞬間——悠翔の姿は掻き消えていた。
視界の死角、二刀の懐。
蒼い閃光が悠翔の瞳に宿る。
——竜王眼。
全ての動きを読み切り、至近距離まで踏み込む。
「ゼロ距離——雷撃放ッ!」
右手を骸骨の胸に押し当て、雷を解き放つ。
轟雷が炸裂し、白光が視界を塗り潰す。
骨が焼け弾ける焦げ臭さと、金属の悲鳴が空間を満たした。
二刀の上半身は黒焦げの炭となり、両腕だけを残して崩れ落ちる。
「——ッ!」
直後、大盾の巨体が揺れた。
シールドバッシュ。
鋼鉄の壁のような衝撃が胸を貫き、肺から空気が絞り出される。
「ぐっ……!」
身体が宙を舞い、背筋に灼ける痛みが走る。必死に後方へ飛び退き、床を滑りながら着地する。
荒い息が喉を擦り、口内に鉄の味が広がった。
「……危ねぇ……けど、悪くねぇな」
額から滴る汗を拭い、雷光を再びまとわせて笑みを浮かべる。
だが同時に——
魔術師が骨の杖を掲げ、低く重い詠唱を紡ぎ始めた。
空気が震え、足元に黒紫の魔法陣が浮かび上がる。
「……またかよ……!」
次の瞬間、地面を破るようにして骸骨の群れが這い出す。
カタカタと骨が軋む音。
腐肉をまとった影が腐臭を撒き散らし、闇に揺れる。
数は再び百を超え、悠翔を囲む壁と化した。
「雷撃放ッ!」
両手を突き出す。白光が奔り、轟音が大空間を揺るがす。
骨が砕け、肉片が焼け焦げ、半数以上が一瞬で吹き飛ぶ。
しかし——。
閃光が収まったとき、黒煙の中に残影が立っていた。
雷を浴びながらも揺らがぬ数体。その眼窩に青白い光が灯り、鈍重ながら確かな殺意を孕んでいた。
「……!」
悠翔は一瞬、呼吸を詰まらせた。だが歯を食いしばり、駆け出そうとする。
その瞬間——。
ガクン、と膝が折れた。
「……っ!?」
全身が鉛のように沈む。
腕は石と化したように重く、肺は空気を拒む。胸の奥を圧し潰す異様な重み。
ただの疲労ではない。
「な、なんだ……これ……!」
視線を巡らせる。闇の奥、黒衣の術者が悠翔を射抜いていた。
杖を向け、眼窩の奥で紫光が怪しく揺らめく。
「……くそ、あいつか……!」
心臓が早鐘を打ち、冷たい汗が背筋を伝う。
数値が削られるたびに、まるで命そのものが削り取られる錯覚に陥る。
ただの数ではない。確実に生命を蝕む呪い。
悠翔は悟った。
これは——数の暴力などではない。
命を確実に奪い尽くすための、真の戦場だと。
悠翔は瞬時に思考を巡らせた。
——今はとにかく、雑魚を片づける。




