第18話 樹視点 崩れた戦線
トカゲが低く鳴いた次の瞬間、巨体が床を抉って突進してきた。
「っ——!」
咄嗟に左右へ飛び込む。一瞬でも遅れれば轢き潰されていた。間一髪でかわしたものの、巨体はすぐさま岩を軋ませて方向を変える。
「北見さんッ!」
樹と北見が声を上げ、同時に駆け出した。
北見は転がるように起き上がりながら「あぁッ」と吠え、斧を構えて前へ。
強化した樹の足取りは速く、瞬く間に巨体の懐に入り込む。
「はぁあっ!」
大ハンマーを振り下ろす——ガキィン!
火花が散るほどの金属音。
だがハンマーは弾かれ、腕に鈍い衝撃が突き抜けた。「くっ……!」手が痺れる。
続いて北見の斧が唸るように落ちる。刃は背鱗にめり込むが、浅い。
「ちくしょう!」
岩を割るほどの力があっても、厚い鱗には届かない。
「なら足はどうだ!」
樹が叫び、体を横にひねってフルスイング。
ドゴォッと鈍い音が響き、トカゲが低く唸る。だが——
尾が閃いた。
丸太のような一撃が横から襲いかかる。
「っ——!」
樹は反射でハンマーを盾に構えるが、柄ごと砕かれ、直撃を食らった。
「ぐあっ!」
吹き飛ばされた樹は北見に激突し、二人まとめて転がる。
必死に起き上がる北見。その横で樹も立ち上がるが、右腕は力が入らず垂れ下がっている。
ハンマーも無残に折れ、もはや使い物にならなかった。
「大丈夫か!」北見が視線を逸らさず問いかける。
「こ、これぐらい……!」樹は強がるが、歯を食いしばる顔は痛みに歪んでいる。
「俺が注意を引く。お前は三浦さんのところへ行け!」
「まだ戦えます!」
「その腕じゃ無理だ! 早く行け!」北見の声が一瞬鋭くなる。
「……すみません」
悔しさを飲み込み、樹は後方へ下がる。
北見は一歩踏み出し、斧を正面に構えた。
「さぁ来いよ、トカゲ野郎……!」
深く息を吐き、走り出す。
その瞬間だった。
トカゲの口元に岩片が吸い寄せられるように集まっていく。
「——ッ!」
咄嗟に危険を察し、横へ飛んだ。
ドゴォン!
さっきまで北見がいた場所が砂塵を巻き上げ、石床が砕け散っている。
「岩を飛ばしているぞ!」藤宮の声が響く。
後方で藤宮、沙月、三浦は岩影に身を寄せていた。そこへ樹が駆け寄る。しかし負傷した右腕が響き、足は重い。
巨体は藤宮の声に反応し、再び口元に岩を集束させる。
「逃げろ!」北見が怒鳴った。
だが——遅い。
三人は硬直し、視線を上げたまま動けない。
岩弾が放たれる——直撃必至。
「っ……!」
その瞬間、影が飛び込み、三人の前に立ちはだかった。
轟音とともに、鋼を叩いたような音。
ガキィン!
飛来した岩塊は砕け散り、破片が火花のように広間を散らした。
岩の弾丸が炸裂した。
粉塵を切り裂いて現れたのは、一人の女戦士だった。
栗色の髪を肩口で結び、灰色の瞳は冷たく輝いている。銀の胸当てとマントをまとい、左腕には小型の丸盾。その表面を淡い青光が覆い、展開された光の盾が前衛の壁となっていた 。
「皆さん、大丈夫ですか」
視線は一切トカゲから逸らさず、声だけを後方に投げる。
彼女は剣を握り直し、短く鋭く叫んだ。
「ティナ、プロテクション!」
「うんっ、《プロテクション》!」
澄んだ声と共に、背後から金髪の小柄な少女が杖を掲げる。透明な魔晶石が光を放ち、藤宮・沙月・三浦の三人を淡い光膜が包んだ 。守りの膜は心臓の鼓動に呼応するかのように脈打ち、不安を抑える。
藤宮が息を呑み、低く呟いた。
「……誰だ?」
その時だった。北見が女戦士の姿に目を奪われていると、横から太い声が響いた。
「よそ見してる暇はねぇぞ」
振り返ると、短く刈った黒髪に鋼の鎧をまとった大男が立っていた。両手には刃渡り一メートルを超える大剣。その体格と武器が一体化したような迫力は、視線だけで圧を与える 。
「ギゼル……!」
女戦士が名を呼ぶ。
ギゼルは応じる代わりに、トカゲに踏み込むと同時に大剣が弧を描き、トカゲの厚い甲羅に直撃する。
轟音。硬質の鱗にひびが走り、巨体はわずかに後退した。
「……やっぱ硬いな」
低く吐き捨てるような声。
次の瞬間、鋭い矢が空を裂いた。
飛来した矢はトカゲの左眼に突き刺さり、トカゲは絶叫のような咆哮をあげる。通路の影から銀髪ショートの狩人が弓を構えていた 。
樹が呆然とその一部始終を見ていると、背後から柔らかな声が響いた。
「……《ヒール》!」
淡い光が包み込む。砕けかけていた右腕の痛みが引いていき、残るのは筋肉痛めいた鈍さだけ。樹は驚きに目を見開き、声のした方へ振り返る。
そこにいたのは、金髪を三つ編みにした小柄な少女。濃紺のローブがひるがえり、杖の先端に埋め込まれた魔晶石がまだ淡く脈動していた 。
「治った? よかったー!」
ティナは安心したように笑みを浮かべる。
「……ありがとう」
樹は短く返し、握り拳を作った。
「ギゼル、ルズ、ティナ!」
セラが声を張る。
「アースリザードを倒します!」
その言葉が、戦場の空気を決定的に変えた。
「……アースリザード?」
樹は息を呑んだ。目の前の巨躯が、藤宮たちの口にする異名と結びついた瞬間、背筋が冷たくなる。
自分はすでに武器を失い、右腕も完全ではない。——今の自分にできることは、ほとんどない。
その隣で、北見が斧を握り直し、ギゼルと肩を並べる。
巨漢の戦士は北見の武器に一瞥を送り、口角を上げた。
「……いいモン持ってんな」
それだけ告げると、弾かれたようにアースリザードへ駆けだした。
「ギゼルッ!」
巨体の尾が唸りを上げ、鉄塊のように振り抜かれる。
ギゼルは踏み込みを止めず、剣を地面に突き立てながら叫んだ。
「——《剛体》!」
ゴンッ、と鈍い音。
大剣は盾のように構えられ、ティナの《プロテクション》の光が重なる。
尾の一撃を正面で受け止め、火花と砂塵が飛び散った。
その隙に——セラがすでに動いていた。
いつの間にかアースリザードの懐に潜り込み、剣を淡い魔力で覆う。
「《マジックブレード》!」
閃光のような連撃。
厚い鱗と甲羅を切り裂き、血と岩片が宙を舞った。
巨体が悲鳴を上げ、尾の力が一瞬だけ緩む。
「今だッ!」
ギゼルは大剣を引き抜き、セラの作った裂け目へ渾身の《パワースイング》を叩き込む。
寸前、セラは軽やかに跳躍して刃をかわした。
振り抜かれた大剣は亀裂を押し広げ、アースリザードの巨体をついにひっくり返す。
天井が揺れたかのような轟音。
宙にあったセラは着地の瞬間、迷わず剣を振り下ろした。
魔力を纏った刃が腹部へ深く突き刺さり、獣は喉を裂かれるような咆哮を上げる。
「……まだか!」
セラが焦燥を滲ませた時。
「うぉぉぉぉッ!!」
北見が叫びながら駆け込んでくる。
ギゼルは背を低く落とし、大剣を構えて声を張った。
「こっちだ! 踏み台にしろッ!」
北見は一瞬の迷いもなく、その背に足を掛けて跳躍する。
全身をバネのようにしならせ、空中で斧を振り下ろした。
ザクリ。
鋼刃がアースリザードの腹部を深々と抉り、巨体が絶叫する。
血潮が飛び散り、岩壁を真紅に染めた。
「——ッ!」
地響きのような呻きを最後に、アースリザードは力尽き、四肢を投げ出した。
ギゼルは、大剣を地に突き立てた。
「……ふぅ。」
広間を覆っていた圧力が、ようやく解き放たれていった。
北見はまだ温もりの残るアースリザードの腹の上で、肩を上下させながら呆然としていた。
全力を出し切った充足と、背筋を撫でる余韻の恐怖が混ざり合って、体が思うように動かない。
「……さぁ、降りましょう」
横から落ち着いた声がかかり、北見ははっと我に返る。セラが静かに視線を向けていた。
遅れて、腹部に深々と突き刺さっていた斧を力任せに引き抜き、ドスンと地面に飛び降りる。血飛沫が斧の刃から滴り、まだ生温い臭気が広間にこもった。
「よくやった」
すぐ横に歩み寄ってきたギゼルが、ぶ厚い拳を突き出してくる。
「あ、ありがとうございます……」
反射的にグータッチを返すと、その衝撃だけで腕が痺れるほど重かった。
北見はセラのほうへ向き直り、深く息を整えながら頭を下げた。
「助けていただいて、本当に……ありがとうございました」
セラはかすかに首を振り、眉を下げた。
「いえ、こちらこそ。突然割って入ってしまって……すみません。危険だと思って、思わず……」
その声音に、北見は「何を言ってるんだ」と言いたげに目を見開いた。
助けられたのはこちらだというのに、謝罪を口にする彼女の在り方に、妙な誠実さを感じていた。
そんな二人を横目で見ていたギゼルは、セラに目配せをする。




