表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/20

第17話 樹視点 静寂を破る音

通路はゴブリンの死骸で埋まり、血と焦げた匂いが入り混じる。


長居する場所ではない。


一行は広間へ移動し、そこで休むことにした。


三浦はまだ腰が抜けているようで、沙月の肩を借りながら歩く。


その横顔には、先ほどよりも確かな光が宿っていた。


血と鉄の匂いがまだ漂う空間を避けるように、一行は壁際に腰を下ろしていた。


藤宮が周囲を一通り見回し、「ここで少し休憩をとろう」と告げてから、もう一時間近くが経っている。


樹は大ハンマーを脇に置き、背中を岩肌に預けて足を投げ出していた。


「……ふぅ。今日はよく動いたな」


息を整えながらも、口元にはわずかに笑みが浮かんでいる。


「“よく”どころじゃないですよ……」


三浦が自分のふくらはぎを揉みながら苦笑する。《ヒールタッチ》で多少の疲れは和らいだが、精神の緊張は容易には抜けない。


隣では沙月が膝を抱えて座っていた。戦闘中の震えは収まったものの、指先に残る感触はまだ鮮明だ。


「……あの、志保さん」


沙月が小さな声で切り出す。


「さっき……助けられて、本当に……」


「お礼ならこっちが言いたいわよ」


三浦は優しく笑い、沙月の肩を軽く叩いた。「私一人じゃ、あのゴブリン止められなかった」


沙月はわずかに視線を落とし、しかしその口元には小さな決意の色が宿る。


少し離れた場所では、北見が黒鉄の斧の刃を布で拭っていた。


「重いけど……悪くないな、こいつ」


ぼそりと漏らす声に、樹がにやりと笑う。


「似合ってますよ、マジで。ほら、消防士って感じ」


「うるさい」


言葉とは裏腹に、北見の表情にはうっすらとした満足感があった。


藤宮は壁際に立ったまま、腕を組んで全員の様子を見ていた。


怪我はないか、疲れはどの程度か――その目は常に仲間の状態を測っている。


時折、広間の奥や天井にも視線を向け、何か変化がないか確かめていた。


やがて、樹が空になったペットボトルをくるくると回しながら、


「さて……あとどれくらい登れば地上かなぁ」


と呟いた。


「さぁな」北見が短く返す。


「でも、もう少しだといいな」三浦も笑みを添える。


沙月は静かに頷き、「帰ったら……温かいもの食べたいですね」とぽつり。


樹が「ラーメン行く?」と乗せると、場の空気が少しだけ柔らかくなった。


その空気を見計らったように、藤宮が腕をほどく。


「……そろそろ行こう」


低く落ち着いた声が、広間に響いた。


全員が顔を上げる。


「休めるうちに休んだ。次は――あの階段だ」


階段の先を見やり、藤宮の瞳にかすかな光が宿る。


樹が立ち上がり、大ハンマーを肩に担ぐ。


北見も斧を握り直し、三浦と沙月は互いに頷き合った。


それぞれの足音が、広間の静けさを破って重なっていく。


そして、一行はゆっくりと階段へ向かい始めた。


階段を上がった先の空気は、ひと呼吸で違うとわかった。


さっきまでの階層は、壁も床も削られて均一で、人工の坑道めいていた。だがここは——岩が無造作に転がり、天井の割れ目からは細かな砂礫が時折ぱらぱらと落ちてくる。足裏に伝わる凹凸は荒く、鈍い反響が遠くのどこかで絡み合う。


廊下はおよそ五メートル。幅だけは余裕があり、隊列は自然と横に広がった。


先頭に樹と北見。中ほどに藤宮。最後尾を三浦と沙月が守る。


北見はいつも通り汗の量が多い。肩紐の下を伝う滴が、歩くたびに首筋を冷やしていく。


「……反応、あります」


沙月が小声で告げた。目を閉じ、《気配感知》の意識を細く伸ばす。


「どうだ?」藤宮。


「今までと違う。……大きいです」


「方向は?」


「正面。距離、まだ十メートル以上」


全員の呼吸が浅くなる。岩塊の影を縫うように進んでいくと、それは視界に入った。


最初の印象は“塊”だ。岩の塊が、意志を持って動いている。


三〜四メートル。背中は岩板のような鱗で敷き詰められ、ひとつひとつが角を立てている。体色は土と灰の中間で、光を吸って輪郭を溶かす。低く構えた胴体を、太短い四肢が支え、前肢の鉤爪は石床に白い傷を描いた。尾は丸太のように太く、ゆっくりと左右に振れるたび、空気の重みが揺れる。


舌が、チロリと出た。


琥珀色の目がこちらを掃き、ぬらりと戻る。鼻先が鳴り、岩と湿気の混ざった匂いが一段濃くなった。


「……どうする」樹が息を潜める。


「やり過ごすのが最善だ」藤宮が即答する。「危険を取りに行く理由はない」


北見が無言で頷き、斧の柄をほんの少し下げた。


ゆっくり、音を殺して後退する。


かすかな砂の擦れさえ大きく聞こえるほど、神経は研ぎ澄まされていた。


一歩、二歩。息を合わせるように全員が踵を返した、その瞬間——


ガン、と硬い金属がぶつかる乾いた響きが、通路に跳ねた。


北見の背から下げたSCBAの金具が、樹のハンマーの柄尻に掠ったのだ。


全員の体が凍る。音は一瞬にして増幅され、岩壁を渡って遠くまで走った。


巨体が、こちらを振り向いた。


琥珀の眼孔と視線が合う。


舌がもう一度しなる。


次の拍で、低い咆哮が空気を押し出した。


岩肌が震え、胸腔の奥で鼓膜がきしむ。


「——走れ!」


藤宮の声が初動をつくる。


一行は反射で駆け出した。直線の通路が、無遠慮に前へと伸びている。靴底が不規則な石を踏み、息が喉を擦り、肩紐が跳ねた。


背後で、地面が砕ける連打が起きる。


ズシン、ズシン、ズシン。


追ってくる“それ”の足取りは、速い。想像より、はるかに。


樹が振り返る。遠近感が崩れるほどの速度で、巨大な影が迫っていた。


低く這う姿勢のまま、床を削って滑る。前肢が地を掴み、後肢の筋肉が弾けるたび、岩塊が跳ねた。尾が左右に走り、壁を撫でただけで砂が爆ぜる。


「このままじゃ——追いつかれる!」


肺が焼ける。脚が重い。


狭い通路で受ければ、突進の線から逃げ切れない。


戦うなら開けた場所だ。樹の思考に、藤宮の声が重なる。


「左に広間がある! ……さっき避けたルートだが、行くぞ!」


藤宮は何度も《環境解析》を使っている。簡易な地形の像が、頭の中に描かれていた。


ゴブリンの魔法陣があるかもしれない広間は避けて進んだが、いまは背中に迫る重量のほうが危険だ。


角を曲がる。


視界がふっと開け、空間の圧が変わった。


岩塊が点在する楕円形の広間。天井は低く、だが横方向に抜けている。


「——ここだ、陣形!」


藤宮の合図で足が勝手に動く。


前——樹と北見。


中——藤宮。


後——三浦と沙月。


息が揃う。いや、息が切れているのが揃った。


北見は背からSCBAを外すと、ほとんど投げ捨てるように床へ落とした。金属が鈍く鳴る。


両手で黒鉄の斧を握り直す。汗で濡れた掌に黒革が吸いつく。重心を確かめ、顎を引いた。


樹は大ハンマーの柄を短く持ち替え、右足を半歩引く。心臓の鼓動を数え、《身体強化》の呼吸に合わせる。


轟音が近づく。


広間の口で、影が歪み、次の瞬間——巨体が飛び込んできた。


岩のような背。


石を割る鉤爪。


厚い尾。


斧でも刃が立たないと直感させる、鈍い硬度。


喉には湿った唸り。鼻先から吐く息は熱く、土と鉄の匂いを帯びている。顎下の皮膜が薄い。腹の鱗は背よりわずかに細かい。だが、その弱みに届く前に、突進が来る。


恐怖は、号令より早く隊列を駆け抜けた。


視界が狭くなり、音が大きくなる。


砂粒が跳ねる音、誰かの舌打ち、唾を飲む喉の音。


逃げ場は、もうない。


突進の線と、こちらの立ち位置が一本に重なる。


「——来る」


藤宮の低い声が、最後の合図になった。


樹は歯を食いしばり、北見は斧を上段に取る。


三浦は息を飲み、沙月は震える指をそれでも後衛の警戒に向ける。


恐怖が支配する中、彼らは立っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ