第16話 樹視点 ゴブリンの群れ
一行は、藤宮の《環境解析》と沙月の《気配感知》を頼りに、慎重に道を進んでいった。
先ほどのような宝箱は見つからなかったが、やがて空間がふっと広がる。
そこには、岩の裂け目から清らかな水が湧き出し、小さな池を作っていた。
水面は洞窟の天井からこぼれる淡い光を受けて、青白くきらめき、ゆるやかに揺れている。
近づくほどに、ひんやりとした湿気とわずかな土の匂いが肌を撫でた。
「……よし、ここで休憩しよう」
藤宮の声に、全員の表情が少し和らぐ。
その言葉を合図にしたかのように、皆は思い思いの場所に腰を下ろす。
壁に背を預けると、硬く冷たい岩肌がじわりと熱を奪っていく。
「疲れた……」「足が棒だ……」と口々にこぼし、肩や脚を揉む音が静かな空間に響く。
三浦は自分のふくらはぎに手を当て、《ヒールタッチ》を試してみた。
指先から淡い光が漏れ、じんわりと熱を帯びたような感覚が脚へ広がる。
「……おぉ、少し軽くなった気がする」小さな驚きが声に混じった。
北見は背負っていたSCBAを床に降ろし、先ほど手に入れた黒鉄の斧も壁に立てかける。
二つの重量物を抱えて歩き続けた疲労は、肩から腕、背中にまで溜まっていた。
深く息を吐き、壁にもたれて座り込むと、筋肉から力がゆるりと抜けていく。
樹はペットボトルの水を手にしたが、視線はボトルと池の水を交互に行き来した。
そして蓋を閉め、池のほうへ歩き出す。
「あ、あの……樹さん!」
背後から沙月の声が飛んだ。
「やめたほうがいいですよ。山の湧き水ならまだしも、ここは何が混ざってるかわからないので……」
「そっか。ありがとう、沙月ちゃん」
素直に頷きつつも、樹は池の縁まで行き、水面を覗き込む。
澄み切った水の底は、どこまでも深く見えた。
光が差し込む部分は青白く輝き、その奥は深い影に沈んでいる。
冷気が水面から立ち上り、頬を撫でた。
「なぁ、この水って何か使い道ある?」
樹の問いかけに、仲間は顔を見合わせ、揃って首を振る。
「よし……沙月ちゃん、《気配感知》頼む」
「……? はい」
沙月は首を傾げながらもスキルを発動する。
「……この辺には何もいません」
「水の中にも?」
「え……? あ、はい。水中にも反応はありません」
その答えを聞いた瞬間、樹の口元が悪戯っぽく釣り上がった。
そして、ためらいもなく――池へ飛び込む。
「ちょっ……!」
ザバァンと水飛沫が高く舞い、波紋が洞窟の壁に反射してゆらゆらと広がっていく。
池は大人二人が入ればいっぱいになる程度の広さ。
冷水が全身を包み込み、肌が一瞬で引き締まる。
「ふぅー……生き返る!」
水から上がった樹の表情は、まるで戦いの疲れをすべて洗い流したかのようだった。
そのまま北見のほうへ歩み寄り、腕を掴む。
「行きますよ、北見さん」
「お、おい……何だよ」
「いいから!」
北見は引きずられるように池の縁まで行き、ためらった瞬間――背中を押された。
「うわっ!」
派手な水飛沫とともに冷水が全身を貫き、ほとばしっていた熱が一気に冷える。
息をつきながら顔を出す北見に、樹はにかっと笑った。
「ほら、生き返ったでしょ?」
北見は一瞬だけ黙り、それからふっと笑う。
「あぁ……生き返るな」
水から上がった北見が背伸びをすると、不意に背中に温かい手が触れた。
「――《ヒールタッチ》」
三浦の声とともに、体の奥に残っていた疲労が溶けるように薄れていく。
「ありがとう、三浦さん」
「いいですよー! 一番大変そうでしたから。みんなで助け合いましょう!」
「……あぁ、そうだな」北見は穏やかに頷いた。
三浦はそのまま他の仲間のところへ行き、順に《ヒールタッチ》を施す。
北見はその背中を静かに見送った。
「……あれ〜北見さん。俺の時となんか違くないです?」
樹が悪戯っぽく目を細める。
「うるせぇ……」
北見は照れくさそうに笑い、視線を逸らした。
一行はおよそ一時間の休憩を終え、再び歩き出した。
藤宮と沙月のスキルを頼りに、慎重な足取りで進んでいく。
やがて藤宮が足を止め、前方を見やる。
「この先……さっきより広い空間がある」
沙月が瞼を閉じ、周囲を探る。
「今のところ、モンスターの気配はありません」
その言葉に、全員がわずかに安堵した。
「休めるかもな」
そう思いながら足を進めた先は――確かに広い空間だった。
だが、そこにあったのは登り階段が一つ。
藤宮は周囲を一瞥し、「体力はどうだ? 休憩するか?」と問いかける。
樹はちらりと北見を見やり、「少しだけ……」と答えた。
藤宮は頷き、壁に背を預ける。
他の面々も広間の入口付近に腰を下ろし、壁に寄りかかった。
藤宮だけは辺りを警戒しながら広間の中央へ歩を進める。
中央付近に差し掛かったその時――足元で、淡い光が弾けた。
瞬間、床一面に複雑な線が走り、魔法陣が浮かび上がる。
「――通路に避難!」
藤宮の鋭い叫びが反響する。
全員が弾かれたように立ち上がり、置いていた荷物を掴んで通路へ駆け出す。
先ほどまでの隊列を保ちつつ、藤宮は背後を振り返りながら走った。
魔法陣の輝きは刻一刻と強まり、線がひとつ、またひとつと繋がっていく。
藤宮が通路に滑り込んだ瞬間――魔法陣は完成した。
「……大丈夫ですか?」
樹の声に、藤宮は息を切らしながら短く答える。
「あぁ……すまない、しくじった……」
胸の奥に、言いようのない不安が広がる。
次の瞬間、魔法陣から放たれた光が一段と強まり――
その中に、十匹ほどの影が立ち上がった。
人型。
皮膚は土色にくすみ、黄緑の目がぎらついている。
粗末な短剣や棍棒を握り、牙をむき出しにして唸る。
「……ゴブリン、か?」
樹が息を呑みながら呟く。
「多分な……」藤宮が低く答えた直後、ゴブリンたちが一斉に走り出した。
「来るぞ!」
樹が前へ出て、《身体強化》を発動する。
熱が全身を駆け巡り、筋肉が硬く締まる。
北見も黒鉄の斧を握り、正面に構えた。
最初の二匹が樹に飛びかかる――
樹は渾身の力で横薙ぎに振り抜き、二匹まとめて吹き飛ばすつもりだった。
だがハンマーは一匹に命中し、もう一匹は頭上を掠める。
そのまま振り抜きの勢いを利用して身体を一回転させ、右足で残ったゴブリンの胴を蹴り抜く。
呻き声とともにゴブリンが左へ飛んだ先――そこには藤宮がいた。
飛んできた瞬間、藤宮は斧の刃を迎え撃ち、胴を一閃で貫く。
さらに別の二匹が樹に迫る。
樹はハンマーを短く持ち、振り下ろしに合わせて横から打ち払い、体勢を崩させる。
一瞬で持ち手を長く握り替え、胴めがけて全力のフルスイング。
鈍い衝撃音とともに、ゴブリンの体が空中を回転し、集団の中へ吹き飛んだ。
その間を縫うように、一匹が樹の横をすり抜けて北見に迫る。
北見は迎え撃つように黒鉄の斧を高く振りかぶり――
「うおおっ!」
鋼刃が頭部に直撃し、そのまま地面まで割り裂いた。
骨と肉を断つ感触が腕に響き、ゴブリンは縦に裂かれて崩れ落ちた。
その惨状を目にし、北見は思わず息を呑んだ――その瞬間、横から樹の声が飛ぶ。
「北見さん!」
ハッとして顔を上げると、視界の端に二匹のゴブリン。
その背後には、後方を守る沙月と三浦の姿。
「大丈夫だ! 前を見ろ、北見!」
藤宮の声と同時に、一匹が藤宮に向かって突進する。
藤宮は斧を振り下ろすが、刃は短剣で受け止められ、甲高い金属音が弾けた。
「くそっ!」
もう一匹のゴブリンが、一直線に女性二人へ突き進む。
「沙月ちゃん!下がって!」
三浦が一歩前へ飛び出した。
足はわずかに震えている。それでも、後ろにいる仲間を守ろうと、身体は迷わず動いていた。
自分の力が非力だと分かっていても――退く気はなかった。
沙月は硬直し、唇を噛み締める。
ゴブリンの目がぎらりと光った瞬間、棍棒が高く掲げられる。
――迫る。
息が詰まる。
「きゃっ!」
振り下ろされる刃のような一撃。三浦は目を瞑り、腕で顔を庇った。
鈍い衝撃音が響き、体が地面へと押し倒される。
視界が揺れ、耳の奥で血の音が鳴る。
ゴブリンが馬乗りになり、重みが胸を圧迫する。
「来ないで!」
三浦は必死にバールを振るう。
しかし、かすり傷程度しか与えられない。
低く唸ったゴブリンが、武器を奪い取った。
そして――棍棒を振りかぶる。
三浦は両腕で頭を覆い、影の迫る暗闇に沈んだ。
――グサッ。
しかし、痛みは訪れない。
恐る恐る目を開くと――
ゴブリンの体が傾き、力なく横へ崩れ落ちた。
首筋には、深く突き刺さったバール。
そこに立っていたのは沙月だった。
肩は大きく上下し、手も足も激しく震えている。
冷や汗が頬を伝い、光を反射してきらめいた。
ゴブリンの体から、ずるりとバールの先端が抜け落ちる。
乾いた金属音が広間に響き、その余韻が現実を突きつける。
「おらぁッ!」
樹が叫び、ハンマーを振り抜いて三度ゴブリンを吹き飛ばす。
北見も黒鉄の斧を構え、敵を次々と切り伏せていた。
壁や床には、斧が刻んだ鋭い傷跡が無数に残り、その威力を物語っている。
――ズバン。
最後の一閃が響き、戦いの音が途絶えた。
広間を満たすのは、樹と北見の荒い呼吸だけ。
血と鉄の匂いが鼻を刺し、遠くで一滴の血が床に落ちる音すら聞こえる。
「……終わったのか」
北見が息を切らしながら呟く。
「……そうみたいですよ」
樹も同じく肩で息をしながら答える。
二人は視線を前方に向けたまま、後方を気にする。
万が一に備え、まだ警戒は解かない。
「三浦さん、大丈夫ですか」
樹が声をかける。
三浦は震えながらも《ヒールタッチ》で自らの傷を癒していた。
藤宮が近づき、「大丈夫か」と低く問う。
三浦は無理に笑顔を作り、「……はい」と答える。
「沙月ちゃんも、大丈夫?」
三浦が振り返ると、沙月は腰を抜かしたまま座り込み、対面していた。
瞳には恐怖、焦燥、混乱――さまざまな感情が渦巻いている。
「沙月ちゃん、本当にありがとう。助かったわ」
三浦はそっと肩に手を置いた。その手は僅かに震えていた。
沙月は、それが自分を安心させるための無理な振る舞いだと悟る。
胸の奥が温かくなり、沈んでいた視界が少しだけ明るさを取り戻す。
これまで守られるだけの存在だった自分が、この瞬間だけは誰かを守った。
その事実が、小さな光となって心に宿る。
震える手で三浦の手を握り返し、「……志保さんも無事でよかったです」と微笑んだ。
藤宮は二人を見て安堵しつつも、心の奥に小さな不安を抱いた。
樹と北見の顔には、ひとまずの安心が浮かんでいた。




