第14話 樹視点 十字路の咆哮
ヒカリゴケの光が徐々に強まり、遺跡空間は淡い緑色から柔らかな白緑色へと変わっていった。
朝の訪れを感じ取った藤宮は、腰を上げて全員を順に呼び起こす。
「……おはよう。全員、集まってくれ」
瓦礫の上や家屋の陰から、眠そうな顔が一つ、また一つと現れる。
それぞれが腰を下ろすと、昨夜回収した食料を配る。
缶詰のフタを開ける音、乾パンを噛む音が静かに響いた。
藤宮は手元の水を一口飲み、口を開く。
「夜の見張りで、《環境解析》を使って上層へ繋がる道を見つけた。……ただし、通路の入口は瓦礫で塞がれている。全員で除去する必要がある」
北見が顔を上げ、少し笑みを浮かべる。
「……なら使える道具がある。消防車の残骸に色々積んであった」
皆が視線を向ける中、北見は立ち上がり、赤い車体の後部へ向かう。
後部扉をこじ開けると、中にはかつての現場を思わせる器具がぎっしり詰まっていた。
「まずはバール、二本」
金属が擦れる音とともに長い鉄の棒を引き出し、地面に置く。
「次、斧二本。柄は無事だ」
刃を軽く確認し、二本並べる。
「大ハンマー一本。重量はあるが、瓦礫の破砕に使える」
振り下ろせば石や木材を砕けそうな重厚な頭部が、鈍い光を反射する。
さらに奥を漁り、
「防塵マスク三つ、フィルター付きだ。粉塵や砂埃があっても呼吸できる」
「救急セットも一式。包帯、止血帯、鎮痛薬、そして簡易担架もある」
瓦礫の撤去だけでなく、その後の安全確保にも役立つ品々だった。
藤宮が頷く。
「これを装備して、作業に入る。ジャッキも使って瓦礫を持ち上げれば効率が上がるか」
瓦礫の山の前に全員が並び、それぞれが道具を手に取る。
樹は《身体強化》を発動。筋肉に熱が走り、足裏が地面を強く掴む感覚が広がる。
「……よし、行くぞ!」北見の声を合図に作業が始まった。
北見と藤宮はバールを差し込み、重い石材をこじ開ける。
金属の軋む音が響き、隙間ができると、沙月がジャッキを差し込む。
三浦はその間に小さな瓦礫を片付け、粉塵が舞うと防塵マスクを着けた。
樹は大きな梁に両腕を回し、全身で持ち上げる。
《身体強化》の効果で腕と背中の筋肉が盛り上がり、軋んだ梁がゆっくりと持ち上がった。
「……っ、もう少し!」
その声に応じ、北見が斧で梁を固定していた板を叩き割る。
一つの梁をどけるたび、さらに奥から崩れたコンクリートや木材が顔を出す。
大ハンマーを振るう音、木片が裂ける音、金属が外れる音が連続して響いた。
藤宮は作業の合間に周囲を確認し、崩落の危険がないことを逐一判断していく。
汗と粉塵にまみれながら、作業は数十分続いた。
最後の大きな石材をジャッキで持ち上げ、樹と北見が力を合わせて横に滑らせる。
石材が地面に落ちる重い音が響き、通路が全て開かれた。
粉塵の向こうに、暗いが確かに奥へと続く道が現れた。
上層へ向かうための、新たな進路だった
「よし……みんな、お疲れ様」
瓦礫除去を終えた藤宮が全員に声をかける。
「装備を分配する。女性二人はバールだ、比較的軽いし扱いやすい。斧は北見と俺が持つ。大ハンマーは……樹、お前だ。《身体強化》が使える分、振り下ろす力も安定するだろう」
「了解」樹は頷き、長柄の大ハンマーを肩に担ぐ。
作業後に出てきた水や食料も、見つけたカバンに詰め込んでいく。
缶詰、乾パン、ボトル入りの水、簡易調理器具が一つにまとめられた。
北見が立ち上がり、手にした袋からマスクを取り出す。
「全員に防毒マスクを配る。これは粉塵だけじゃなく、一部の有毒ガスにも対応できるフィルター付きだ。ただし酸素がない環境では使えない」
藤宮が頷く。
「つまり、毒は防げても酸欠には無力ってことか」
「ああ。その場合は――」
北見は赤い消防車の残骸から背負い式の装置を持ってきた。
「俺がSCBA(自給式呼吸器)を使って先行する。酸素ボンベで呼吸を確保できるが、全力で動けば20分、省エネでも40分が限界だ」
樹が一歩前に出る。
「なら、俺がそれを背負いますよ」
「気持ちはありがたいが、これは重さだけじゃなく使い方にも訓練がいる。残圧の確認、呼吸のペース管理、非常時の操作……知らないままじゃ命を落とす」
「重さなら……」樹は肩に担ぎ上げてみせる。
背負うことはできたが、数分と経たず息が上がり始めた。
「……確かに……長時間はキツいな」
北見は肩を竦める。
「俺たち消防はこれを背負って動く訓練を何百回もしてる。それがないと、本番じゃ持てても動けない」
樹はしばらく黙った後、納得したように頷いた。
「わかりました。その代わり、北見さんの荷物は俺が持ちますよ」
「助かる」北見は素直に礼を言い、予備の装備や食料を樹に預けた。
装備の最終確認を終えると、藤宮が短く言った。
「……これで準備は整った。あとは、上層へ進むだけだ」
上層への通路を抜け、階段を上がりきると、そこもやはり洞窟のような空間だった。
天井は高く、壁にはヒカリゴケが点々と光を放つ。
足元はごつごつとした岩肌で、場所によっては湿って滑りやすい。
変わらない風景に、一行の表情にわずかな落胆が滲む。
だが誰も言葉にはしなかった。
樹は歩きながら、ふと北見に目を向けた。
彼の額には、他の誰よりも多く汗が浮かんでいる。
その視線に気づいた北見は、軽く手を挙げて「大丈夫だ」と言わんばかりに微笑む。
樹は小さく頷き、前を向いた。
一行は再び歩き出す。
およそ10分ほど歩いては立ち止まり、周囲を確認し、また歩く。
その間、藤宮は《環境解析》で地形を探り、沙月は《気配感知》で生物の反応を探っていた。
この確認を二度繰り返した頃、視界の先に広がったのは十字路だった。
「……ここで少し休憩しよう」
藤宮の声に全員が足を止める。
北見は何も言わず、静かに背中のSCBAを地面に下ろした。
だが額から流れる汗はまるで滝のようだ。
それを見た樹が眉をひそめ、声をかける。
「……大丈夫ですか?」
北見は水のボトルを口に運びながら、笑みを浮かべた。
「ああ、以前より体力がついてる気がするよ。……ステータスの恩恵ってやつかな」
樹はその言葉に軽く頷く。
「確かにな……普段ならもう少し疲れててもおかしくないけど、あんまり疲れを感じてない」
北見はごくごくと水を飲み干し、息を整えた。
「途中で止まってるから少しは楽だな。……それに、こういうペースなら長く歩ける」
二人の短い会話の横で、藤宮と沙月は依然として周囲を警戒していた。
洞窟の奥から流れるかすかな風が、ひやりと肌を撫でていく。
十字路の先、それぞれの道が何処へ繋がっているのか――まだ誰にも分からない。
「……ここは安全だ。しばらく休もう」
藤宮の低い声が洞窟に反響する。
十字路の壁際に腰を下ろすと、ひやりとした岩肌が背中を冷やした。
薄闇の中、ヒカリゴケが淡い緑光を零している。
沙月は黙って瞼を閉じ、《気配感知》を広げる。穏やかに見える顔の奥に、張り詰めた糸のような集中があった。
他の仲間はそれぞれ水を口に含み、呼吸を整え、短い静寂を享受していた。
しん――とした空気の中、水滴が岩から落ちる音がやけに鮮明に響く。
――十五分ほど経った、その時。
沙月の瞼が弾かれるように開き、瞳が鋭く光った。
「……来る!」
その声には、確かな緊張の色が滲んでいた。
全員が即座に立ち上がり、武器を構える。
藤宮・三浦・沙月が最後方に並び、樹が最前線に立つ。その背中を北見が支える形だ。
奥から――岩肌を爪で叩くような鋭い音が連続して迫ってくる。
低く唸る獣の声。視界の闇の中、揺れる灰色の毛皮が二つ、地を裂くように駆けてきた。
「狼……二頭!」藤宮の鋭い声が飛ぶ。
「来るぞ!」
土煙が暗がりに舞い、獣の瞳が緑光を反射する。
樹は息を短く吐き、《身体強化》の名を低く呟いた。
熱が血管を駆け巡り、筋肉が瞬時に硬く締まる。耳奥で脈打つ音が大きくなり、視界が研ぎ澄まされていく。
一頭目の狼が咆哮とともに飛びかかった。




