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(第1部完結)信長公斬魔録~転生帰蝶ちゃんは急にダークファンタジー死にゲーみたいになった戦国日本をナーロッパにしたい~  作者: simopo
幕間「織田文化出版社刊 「信長公斬魔録の解説」より抜粋」

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幕間 コラム『信長公斬魔録 神告巻』発見余話

第2部開始前に幕間を。


幕間では本作の未来における歴史的位置づけを描きます。

 一、蝶屋敷の家守

 中京都熱田区。熱田神宮の北、住宅街と古い社叢に挟まれるようにして、一軒の屋敷がある。

蝶屋敷(ちょうやしき)」と呼ばれるその建物は、戦国期に織田信長が築き、後に正室帰蝶とともに隠居所として整えたとされる旧織田家別邸である。国の重要文化財に指定され、現在は織田家の末裔が管理している。

 観光案内に載ることは少ないが、地元では古くから「健康長寿の聖地」として知られ、参拝者が絶えない。屋敷の南側、海の見える縁側は「夕の(ゆうのま)」と呼ばれ、信長と帰蝶が最期の日々まで並んで茶を喫したと伝えられる場所である。


 そして、この屋敷にはもう一つ、奇妙な言い伝えがある。

家守(やもり)」と呼ばれる、狐の耳をもつ幼女姿の存在が、戦国の昔から今日まで途切れることなくここに住み続けている、というものだ。

 地元では「イナリ様」「ちっちゃい神様」と呼ばれて親しまれ、屋敷の祭事には必ず姿を見せるとされる。学術的な調査の対象となることはこれまでほとんどなかった。当主が代替わりしても家守は変わらず、屋敷の縁側で団子を頬張っている――そんな話を、土地の古老たちは当然のように語る。


 禮和28年、その家守の意向により、織田家に伝わる古文書が、初めて学術調査の対象として公開された。

『信長公斬魔録 神告巻(しんこくのまき)』全三巻。

 既知の『信長公斬魔録』(全二十巻)とは別系統の、極めて私的な記録である。執筆者はイナリ家守自身。年代としては那古野期から慶長期にかけて、織田家の依頼ではなく、家守が「思い出したときに思い出した分だけ」記したものと推定される。

 内容は、天文十七年(1548年)の織田家による迷宮利用の開始を中心とする征魔体制草創期の記録であり、これまで通説とされてきた歴史像を大きく塗り替える可能性を秘めている。


 二、通説の見直し

 織田信長の正室・帰蝶については、これまで実証史学において評価される機会がほとんどなかった。

 美濃斎藤氏出身、政略結婚により尾張に輿入れした正室、尾張女子大学寮(現尾張帝国大学)一期生、それ以上の具体的な活動は、同時代資料からはほとんど確認できなかったのである。那古野期の戯作――『帰蝶御前奇譚』『戦国魔導列伝』『姫君斬魔記』などに見られる「生まれついての大魔導士」「九尾の狐を従える神童」といった像は、明治以降の実証主義的な歴史研究によって、ほぼ完全に荒唐無稽な創作として退けられてきた。

 ところが、神告巻の記述は、これらの戯作と通説の双方を裏切る、第三の像を提示している。


 通説:帰蝶は政略結婚の駒であり、歴史的に主体的な役割は果たしていない。

 元禄期戯作:帰蝶は生来の大魔導士であり、幼少より神威を顕した。

 神告巻が示す像:帰蝶は魔導の素養を欠いた一個の女性であった。だが、彼女は我が国における人類初の魔導行使者であり、その後の征魔体制確立の発案者・推進者であった。


 付言すれば、那古野期戯作の多くは、その情報源を辿れば蝶屋敷のイナリ家守に行き着くことが、近年の文献学的調査で明らかになりつつある。元禄期の戯作者数名が屋敷を訪れ、菓子と引き換えに昔語りを聞いた記録が、織田家の留書に断片的に残っている。

 つまり戯作の数々は、完全な創作ではなく、家守の語りを面白おかしく脚色したものだった。「九尾の狐を従えた」という記述は、家守自身を「九尾」と誇張した戯作者の筆である一方、「侍女が矢で巨鬼を射貫いた」「姫が氷の術で鬼を凍らせた」といった記述には、神告巻と一致する事実の核がある。

 学界はこれら戯作を、単なる創作ではなく、家守口述の「二次資料」として再評価する必要に迫られている。


 ───────────────

 三、神告巻が記す桶狭間役

 以下、神告巻巻一「桶狭間役」より要旨を引用する。原文は和様漢文に近い文体で記されているが、ここでは現代語訳を併記する。なお家守の文体は、高貴なる神格存在のそれというよりは、極めて率直かつ素朴であり、これも本資料の特徴の一つである。


 ――天文十八年十月、織田弾正忠家と今川治部大輔家、共に三河の魔境を討たんとし、刈谷の郊なる桶狭間に本陣を構えり。

 十一月十九日、嵐至る。雷鳴轟きて天暗く、雨脚は槍の如し。

 織田三郎信長、将鬼を討たんとして本陣を発す。本陣には正室帰蝶、侍女おさき、ならびに尾張女子大学寮の生徒三十名、留め置かれたり。


 ――時に将鬼、嵐に紛れて本陣に至る。これ予期せぬ事態にて、本陣の備え薄く、諸将算を乱す。

 帰蝶、わらわの授けし御守を頼り、わらわに通信を求めたり。わらわはちょうどおいちと積み木で遊んでおりしが、帰蝶のことゆえ放ってもおけず、御守の中に予め忍ばせ置きし涼風の符を用いるよう告げたり。

(これ実は、わらわが帰蝶に持たせし御守に、たまたま符を入れ置きしのみにて、深き計らいにあらず。されど結果として帰蝶を救えし故、後よりは「こんなこともあろうかと枠」と呼ぶこととせり)


 ――帰蝶、符を矢に括りつけ、侍女おさきに投ぜさせしむ。おさき、もとより気の充実したる者ゆえ、矢は鬼の左肩を射貫けり。

 帰蝶、呪文を唱えて符を発動せしむ。されど呪文は正しからず、気の流れもまた制御を欠きたり。本来ならば失敗すべきところ、帰蝶の気あまりに充実しおれば、符は誤って巨大な力を発し、将鬼を凍らせり。

 これ我が国における、人の身による魔導行使の確実なる初見なり。


 ――されど術は止まらず。冬来たれるが如く周辺の気温下がり、霜降り、雪舞いし故、帰蝶、再びわらわに迎えを請いたり。

 わらわ、熱田より参じて術を解除し、合わせて討たれし兵の慰霊を行えり。

 これに合わせ、近隣の寺僧も施餓鬼会を営み、敵味方の別なく、また人と魔物の別なく、すべての死者を弔いたり。

 以後、桶狭間の地には毎年、神事と仏事が同時に営まれることとなれり。今日「鎮魔祭」と呼ばるるは、この時を起源とするものなり。


 注目すべきは、神告巻が帰蝶の魔導行使を「素養によるもの」ではなく「気の暴走」として明確に記述している点である。家守は次のように補足する。


 ――帰蝶は決して、生まれつきの魔導士にはあらず。むしろ術の制御においては、わらわの教えし涼風家末裔よりも遥かに不器用なりき。

 されど帰蝶の気の量は、当時においては並ぶ者なきほどに充実したり。これ熱田迷宮にて、誰よりも先にこれを攻略せし故なり。

 故に帰蝶の魔導は、技にあらず量による。後の世に「大魔導士」と呼ばるるは、戯作者の脚色にて事実にはあらず。


「気の量」「熱田迷宮」「攻略」――これらの語が示唆する内容は、現代の魔導生理学の知見と整合的であり、戦国期にすでにこの体系が経験的に把握されていたことを示している。


 ───────────────

 四、鎮魔祭の現在

 毎年五月十九日。中京都豊明市の桶狭間古戦場跡では、鎮魔祭が執り行われる。

 早朝、近隣の寺院による合同施餓鬼会。戦死者・凍死者・魔物の別なく弔うのは、戦国期からの伝統である。続いて昼、神社による神事「鎮魔の儀」。氷柱が神前に奉納され、白装束の巫女が「白蝶の舞」を奉納する。これは帰蝶御前と、彼女が編成したとされる「白蝶隊」を象徴したものという。

 夕刻には武者行列が出る。織田・今川両軍と魔物討伐隊が再現され、地元の小学生たちが小鬼の面をかぶって行列に加わる。観光客には市販のかき氷が振る舞われ、これは帰蝶の凍結魔導に由来する縁起物とされている。


 祭礼としての本来の鎮魔の神事は、前夜に蝶屋敷で非公開で営まれる。

 当主と数名の神官のみが参列するこの神事に、家守は必ず姿を見せる。儀の終わりに、当主は家守へ団子と菓子を奉るのが慣わしである。


 五、家守の言葉

 神告巻の開示にあたり、筆者は蝶屋敷を訪ね、家守へ短い聞き取りを行う機会を得た。以下、その記録の一部である。


 ――今回、神告巻を公開された理由は何でしょうか。

「のう、きちょーがな、わらわのきちょーがすごいのじゃ。なのにみんな知らんでおったでな。聞かれたから、まあそうじゃのう、と思ってな。ええと、何の話じゃったかの?あ、お菓子はあるかえ?」


 ――これまで四百年以上、語られなかったのはなぜですか。

「興味がなかったのじゃ。きちょーやノッブの活躍は、あの子らのものじゃ。わらわが言いふらすものではないのじゃ。聞かれたら答えるが、誰も聞かなんだだけじゃの。

 それに帰蝶もあまりいいふらさんでよいと言ってたからの。若い頃はさんざん偉ぶっておったが、恥ずかしくなったんじゃろ」


 ――戯作については、ご記憶がありますか。

「ああ、あれかえ。たまーに屋敷に来る変な男どもがおっての。お菓子をくれるから、わらわの知っとる事を話してやったのじゃ。

 あの者らがあんなに尾鰭をつけるとは思わなんだ。九尾とか、雷とか、わらわは言うておらんのじゃがの。まあ面白ければ、それでよい」


 ――帰蝶御前について、もう少しお聞かせ願えますか。

 これに対し、家守はしばし沈黙した。もふもふと尻尾を揺らし、団子に手を伸ばし、それを膝の上に置いたまま、しばらく庭を見ていた。

 そして、ぽつりと答えた。

「……話すと、おらぬ事を、思い出すからの」


 一拍置いて、家守はすぐに表情を戻し、団子を口に運んでこう続けた。

「あ、お菓子のおかわりはあるかえ?きちょーが昔こしらえてくれたあんみつというのが、わらわは好きでな。今もこの家の者がときどき作ってくれるのじゃ。ええ家じゃろう?」


 家守は、四百六十余年、この屋敷に住んでいる。

 帰蝶が没したのは、信長より先と伝えられる。当時の感覚では長命、現代の感覚で言えば七十代後半に相当する健康年齢で、ある日、夕の間で団子を食べた直後に静かに息を引き取ったという。床に伏すこともなく、苦しむこともなく。

 これは、帰蝶自身が築こうとした社会の「最終形」を、自ら最初に体現したことになる。

 健康寿命と寿命がほぼ一致し、女性が出産でキャリアを断たれることなく社会に参画する――現代の我が国の社会構造の起源は、突き詰めれば、戦国の一人の少女のずぼらな夢想と、それを現実に変えた信長公の腕力と、そして気まぐれに彼女らを助け続けた一柱の小さな神に、辿り着くのである。


 家守は今も、蝶屋敷の縁側で団子を食べている。

 帰蝶の話を、聞かれれば答える。聞かれなければ、語らない。

 ただ尻尾を揺らして、夕の間の方を、ときどき見る。



 ――織田文化出版社刊 『信長公斬魔録を読む』 より


イナリちゃんは数百年後でもイナリちゃんです。



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