第102話「重大な文書ほど中身はあっさり」
土曜日なので第102話。
母ちゃんが美濃の避難民を引き連れて木曽川の渡河のため笠松に現れたとき、対岸に慶次がいたのは全くの偶然だったという。
慶次は2ヶ月前の事件以来暇を見つけては松風(仮)に跨って尾張各地、場合によっては三河やら伊勢の方まで遠乗りに出かけており、その日もなんとなく木曽川を見たくなってついでに美濃まで足を伸ばしてみるかとふらりと足を向けたのだそう。
新しいバイクを手に入れてあちこちツーリングするヤンキーみたいなもんだ。
木曽川に着いて松風(仮)に水を飲ませていると、対岸に荷物を抱えたやたらと多くの人々が屯して渡河を試みており、それがどうも熱田の噴出の折逃げ惑う尾張の人々に重なったのだとか。
見ると輿に乗った貴人もいるので何事かと声をかけたら母ちゃんだったのである。
久助配下のニンジャ部隊も居たので状況を聞いた慶次はそのまま渡河を支援しはじめた。
こういうときとりあえずその場に留めて上に指示を仰ぐもんだと思うんだけど、
「濃姫様ならばこうするかと思いましてな」
とニヤリと傾きよる。
むむ、ぐうの音も出ぬとはこのことよ天晴なり!と習っても居ない殿ムーブが出たのは仕方ない。
ともかく、慶次とニンジャの尽力もあり渡河は順調に進み、尾張側に取り急ぎの難民キャンプ、もとい避難民の野営地が作られ始めたのが昨日のお昼前。
そんな中、母ちゃんが急ぎ信長と私に会わねばならぬと主張し、それならばと現地の差配をニンジャ部隊に任せた慶次は母ちゃんの輿の護衛にあたり、一路熱田に向かうこととなったのだそう。
輿というのは遅い。貴人の移動に使われるのでゆったりと進む。
というか人力で担ぐものなので仕方がない。
慶次はやきもきしていたが、美濃の正室様が白昼堂々とその辺歩いて移動するわけにも行かないのでこれはしょうがない。対面的にも母ちゃんの体力的にも。
というわけで、夜までは輿で移動し、夜半に清須の織田陣屋に到着、休憩後遅々として進まないのでまだ暗い朝方に慶次に背負われて松風(仮)に乗って熱田に到着したのだった。あのクソ早い魔馬に載せられたらそりゃ気絶もするわ。
とまあここまでがひっくり返った母ちゃんを客室で寝かしてから連れてきた慶次に聞いた話である。
信長とは行き合わなかったらしい。どうも信長は那古野経由犬山周りで美濃に入ったらしく、ルートがぜんぜん違ったようだ。
かち合ってたら話が早かったんだけど。
どうして最短距離で稲葉山に行かなかったのかは気になるけど、そこはもう信長の深謀遠慮というものがあるのだろう。
何か、稲葉山の状況が入ってきてそのほうが戦略的に良いとか考えたのかもしれない。
ううん、しらないけどきっとそう!
ともかく、埃にまみれて泥だらけの母ちゃんをそのまま寝かすことなんて出来ないので侍女たちに指示して身を清めさせる。よっぽど疲れてたのか呼吸が苦しそうだ。
せっかく開発したお風呂に入れてあげたいけどそれは目を覚ましてからだ。
その途中で懐に大事にしまわれていたお手紙を発見。
母ちゃんは信長に手渡しせねばと焦っていたけど、実際信長は居ないし事が事なので土田御前といっしょに先に読んでおくことにした。
私が慌てて夜着姿で町中に出たことは今のところスルーされている。
たぶん後でめちゃくちゃに叱られると思うので覚悟だけはしておく。
……母ちゃんと土田御前のツープラトンでお説教されそうな気がするんだが、私は生き残ることができるのだろうか。
——開封した国譲り状は、片腕を失ったとは思えない達筆だけれど、余計な修飾もなく淡々と書かれていた。それがかえって父ちゃんの抱えた焦燥を感じさせる文書であった。
譲 状
飛騨より魔物ども俄に溢れ出で、美濃の諸城次々に陥ち、国の存続もはや危うく候。
嫡男新九郎を討たれ、残るは未だ幼き者のみ。さりとて幼子を旗頭に立てたとて、魔物の前に国衆を束ぬる器にはあらず、後見すべき宿老もまた討ち果たされ候。
斎藤の家、跡を継ぐに足る者無きに至り候。
老骨ひとり城に残り、民を逃がす殿を務むる所存なれど、某が身果てし後、美濃は主なき国となり、野に果つるを待つのみと相成り候。
事ここに至りては、三河の童子を討ち果たし、帝の御信篤き魔物追討使殿にお縋り申し上ぐるほか、術なく候。
思えば、今頼光と称えらるる織田三郎殿を娘婿に迎えしは、神仏の御差配にてありしかと存じ候。
就きては、美濃一国並びに斎藤の家名・家臣・所領、悉く三郎殿に譲り渡し申し候。
何卒、美濃の民草を御庇護の下に置かれ、魔物の害より救い給わりたく、伏して願い奉り候。
仍って譲状、件の如し。
天文十九年 七月廿八日
斎藤山城入道道三(花押)
魔物追討使
織田三郎殿
(追而書)娘帰蝶、宜しく頼み入り候。
この文書を書いたとき、父ちゃんは死ぬ気だったんだろう。
殿を務める、とか書いてあるし。
けれど、いち早くこの状況を知った信長が飛び出していったのだ。
私は、なんとか救援してくれると信じている。
史実の長良川には間に合わなかったらしいけど、こっちの信長ならなんとかしてくれる。絶対そうだ。そうに決まってる。
だから……そんなかっこよく死なせねえよ?父ちゃん。
生き残った父ちゃんにこの手紙を見せて恥ずかしい思いをさせてやるんだ。
そういえば、喜平次や小太郎とか、まだ幼い弟たちはどうなったんだろうか。
去年稲葉山出るまでは青っ鼻垂らした生意気なクソガキどもだったんだけど、まさか一緒に稲葉山に残ってたりしないよね。
クソうす汚い謀略家の父ちゃん(マムシ)なら後の火種になることを厭ってやりかねない。子煩悩なくせにそういう事平気でやりそうだから子供らに嫌われるんだよあの人。
追伸で私のこと頼むくらいの気持ちがあるなら、普段から言っておけば良いんだよ。
弟たちは私の部屋にセミやコオロギやカエルを放り込んでくるクソガキだけど、まさか死んでほしいなんて思わない。たとえ彼らを担ぎ上げて美濃が混乱したとしてもだ。
……母ちゃんに早急に確認しなきゃならないことが増えちゃったね。
なんだかしんみりしているとふうと一息ついた土田御前が私を見据えた。
「帰蝶殿……これはすぐさま殿様(信長のこと)にお知らせせねばなりません。誰ぞ使いを出してください。私はこの件を大殿(信秀ね)にお知らせいたします。
大殿には熱田に来てもらった方が良いかしらね。小見の方様との謁見を行わねば。
帰蝶殿、小見の方様の事は頼みましたよ。
……それから、美濃の民の差配も貴女のお仕事です。
美濃から嫁いだ貴女にしか出来ない、いいえ、他の者がすれば遺恨が残ります。見事、成し遂げなさい」
土田御前から指示が飛ぶ。
あわわ、多少は予想してたけど忙しくなってきやがった!
デスマーチの予感に強張る私を見て、ふっと笑った土田御前は
「案ずることはありません。小見の方様の回復を待ってお手伝いしてもらいなさい。
良いですか、道三公のおっしゃるとおり国譲りがなされるかはわかりませんが、尾張と美濃はともにあるということを知らしめる良い機会です。
励みなさい。貴女ならできるはずです」
などと信長によく似た笑顔で言ってのけた。
いつも叱られてばかりだけど信頼はされているようで、なんだか泣けてくる。
「うう、お義母さまぁ」
「それはともかく。夜着で人前に出たことには罰が必要です。
ま、全ては事が終わってからです。覚悟しておきなさいな」
なんだかいい感じなので見逃してくれるかと思ったがそんなことはないらしい。
畜生……っ!!
帰蝶ちゃん、案外家族思い。
というわけで今回はここまで。
また次回をお楽しみに。




