団子感覚で鶏を食べてもらえないかと考える博之
博之は、焼き台の前で串を返しながら、ふと思った。
「団子みたいな感覚で、焼き鳥を食べてもらわれへんやろか」
豚汁や親子丼は腹を満たす。角煮丼は満足が強い。けれど、町を見ていると、
いつでも皆が「きっちり一食」を求めているわけではなかった。
小腹を満たしたい者、ちょっと口さみしい者、仕事の合間に何かつまみたい者、
酒を飲む前に軽く入れたい者。そういう“半端な腹”が、案外ようある。
団子はその隙間を取っている。歩きながらでも食えるし、二本三本だけでも気が済む。
ならば焼き鳥も、そういう位置に置けるのではないか。博之はそう考えて、
まずは試しに何種類か焼いてみた。
もも、皮、つくね。それから、少し小ぶりに切ったねぎま。味は濃すぎず、
けれど冷めても惜しくないように、塩とたれの加減を変えて何度かやり直した。
気取った料理にする気はない。団子の代わりに一本、二本。そんな軽さが欲しかった。
やってみると、思ったより子供に受けた。
「もう一本」
「つくねのやつ」
「皮のぱりっとしたとこがええ」
そんな声が出る。甘い団子ほどではないにせよ、串に刺さっていて、手で持って
食べやすいというだけで、子供は喜ぶ。親も、少しぐずった時に一本持たせると
静かになるので助かるらしい。これはこれで悪くない。だが、博之はその様子を見ながら、
同時に思った。
「……せやけど、主役にはならんな」
飯になるかと言われると弱い。腹を満たすには本数が要るし、値を上げすぎると気軽さが消える。
子供受けはする。だが、本筋はそこではない。やはり、これは酒飲みか、軽食用だ。
少し口に入れたい時、酒の前後、あるいは酒と一緒に短く楽しむためのもの。
その立ち位置の方がしっくりくる。
そこまで考えて、博之の頭の中で、居酒屋の隣の小さな空き場所が浮かんだ。
今の居酒屋は、腰を据えて飲む者もおる。話し込みたい者もおる。情報を拾いたい時には、
それでええ。けれど、もっと短い時間で、もっと軽く金を落とす客も取れるのではないかと思っていた。ほんの一杯、二杯。串を何本か。長居はせず、さっと飲んで、さっと帰る。
あるいは本店へ入る前の口慣らし。そういう店だ。
「居酒屋の隣で、焼き鳥を出して……酒は向こうから融通するか」
わざわざ別に大きく構える必要はない。焼き台を置いて、立ち飲みに近いかたちにする。
酒は居酒屋から回せる。樽や燗の段取りも、隣なら無駄がない。料理も複雑にはせず、
焼き鳥を主にして、あとは浅漬けや煮込みを少し。値をきっちり抑えれば、
今でいう“千べろ”みたいな感覚で回せるかもしれぬ、と博之は思った。
「百文で軽く酔える、みたいなやつやな」
もちろん、本当に百文で好き放題させる気はない。だが、客の気分としてはそれに近い。
「ちょっとだけ飲める」「ちょっとだけつまめる」「長居せんでええ」という気軽さがあれば、
今まで居酒屋へ入りにくかった職人や若い衆も拾える。しかも、調子のええ客はそのまま隣へ流せる。
主役を張る店ではない。だが、脇を固めるには強い。豚汁屋や親子丼屋とは違う、
酒場まわりの“すき間”を取る店になる。そう考えると、焼き鳥は団子にはなりきらぬが、
団子のような気軽さを借りることはできる。
博之は焼きあがった串を一本取って、もう一度噛んだ。脂はくどすぎず、塩も重すぎない。
短い時間で、一本二本と手が出る味。これならいけるかもしれぬ。
居酒屋の隣で、短時間用の小さな焼き鳥場。さっと寄れて、さっと帰れる店。
派手ではない。だが、こういう小さな工夫が、町の細い客を拾っていくのだろうと、
博之は炭の赤みを見ながら静かに考えていた。




