第99話「三人三様」
訓練を終え、笠井たち三人と南は現実世界へ戻った。
「先生、明日もやれるんですよね?」
息を整えながら、笠井が南へ問いかける。
「いいえ。ここ数日は訓練続きだったでしょう? 根を詰めすぎても逆効果よ」
南は三人の前に立った。
「明日は一日、休みにしましょう」
だが、三人は揃って不満げな顔を浮かべる。
「あら。不満かしら?」
小水内が眼鏡を押し上げた。
「いえ。このまま続けても足を引っ張られるだけですから、ちょうどいいです」
その一言に、笠井と七瀬の眉が同時に跳ね上がる。
「おい、何だと。自分のこと棚に上げてんじゃねえぞ」
「まあ、今回も亮が勝手に仕掛けたのが原因なんだけどな!」
「ああ? ビビって前に出られねえ奴に言われたくねえな」
「んだと!?」
小水内は二人を見て、わざとらしく溜め息をついた。
「そうやって所構わず噛みつく君たちと、一緒にされたくないな」
「う~ん……」
再び火花を散らし始めた三人を前に、南は額へ手を当てた。
「君たちが、どうしてまだ現場へ出してもらえないのか。少しは分かってほしいものね」
三人がぴたりと止まる。
「……俺一人なら、問題ないはずでしょ?」
笠井が吐き捨てるように呟いた。
「おいおい。それは僕の台詞だろう」
「ふん。一人で無茶して、勝手に死ぬのが目に見えてるぜ」
「ああ?」
「いい加減にしなさい」
南の声が低くなる。
三人はようやく口を閉ざした。
「君たちには、開現師としての……いえ、プロとしての意識が欠けている。それを自覚しなさい」
先ほどまでとは違う、厳しい声だった。
「現場では仲間との連携が欠かせない。それは、なぜだと思う?」
「確実に悪鬼を討伐するためです」
小水内が即答する。
「五十点ね」
「……五十点?」
「悪鬼を倒すこと自体が目的じゃない。私たちが戦うのは、鬼夢に囚われた人たちを救い、悪鬼に呑み込まれた人を解放するためよ」
小水内の表情から、僅かに余裕が消える。
「その根本を忘れたら、どれだけ強くてもプロ失格。それに、鬼夢の中では何が起こるか分からない。だからこそ、互いに補い合い、どんな状況でも冷静に対処する必要があるの」
笠井は拳を握り締めた。
言っていることは分かる。
鬼夢の恐ろしさも、暴走した悪鬼の凶悪さも身をもって知っている。
それなのに、未だ現場へ出ることすら許されない。
そんな自分が、どうしようもなく悔しかった。
「今の君たちなら、確かに戦うことはできるでしょう。でも――何のために戦うの?」
「…………」
「復讐のため?」
笠井の指先が僅かに震える。
「自分の力を証明するため?」
小水内が視線を逸らした。
「誰かを見返すため?」
七瀬の表情が強張る。
「そんなものを目的にするくらいなら、開現師なんて目指さない方がいいわ」
三人とも、何も言えなかった。
「もう一度、よく考えなさい。自分が何を目指し、何のために強くなりたいのか」
南は訓練室の出口へ向かう。
「それが分からないままなら、開現師のことなんて忘れて生きていきなさい」
扉が閉まった。
いつもなら、誰かが悪態をつけばすぐに誰かが言い返す。
だが、この時ばかりは誰も口を開かなかった。
三人は互いに目を合わせることもなく、訓練室を後にした。
◇◇◇
翌日。
休みを言い渡された笠井は、かつて南とバディを組んでいた徳井太一のもとを訪れていた。
「すんません、突然」
「いや、別に構わないよ。僕も亮がどうしてるか気になってたし」
相変わらず、徳井の表情はどこかぶっきらぼうだった。
だが、それなりに長い付き合いだ。言葉に出さないだけで、自分を気にかけてくれていることは笠井にも分かっていた。
「まあ……ぼちぼちっす」
視線を床へ落とす笠井を見て、徳井が首を傾げる。
「あれ? もしかして、南先生に怒られた?」
「……さすがですね、徳井さん。筒抜けっすか」
苦笑する笠井を横目に、徳井は台所へ向かった。
「まあ、これでもカウンセラーの端くれだからね。それに、亮がわざわざ僕のところまで来たんだ。それくらいは想像つくよ。コーヒー、いるかい?」
「ええ、お願いします」
「無糖だったっけ?」
「うっす」
徳井は二人分のコーヒーを淹れ、一つを笠井へ差し出した。
口をつけると、深い苦味がじわりと広がる。
「それで、他の弟子たちとはどうだい?」
「いや……なかなか上手くいかないっすね」
「なるほど。それで南先生に怒られたってわけか」
徳井はコーヒーを一口飲み、少し間を置いた。
「亮は、あの二人が嫌いなのかい?」
「…………」
小水内の澄ました顔。
何かと噛みついてくる七瀬。
腹の立つことなら、いくらでもある。
「まあ……癪に障る時は多いですけど、嫌いってわけじゃないっす」
「へえ」
「強いですよ、あいつら。実際」
笠井はカップを置いた。
「だからこそ、負けたくないっていうか……」
「なら、どうしてそこまでいがみ合っちゃうんだろうね?」
「…………」
笠井はしばらく考えた。
単に気に食わないだけなら、ここまで二人を意識する必要もない。
「強いて言うなら――焦り、っすかね」
「焦り?」
「……やっぱ、父さんのことです」
徳井は黙って続きを待つ。
「あの野郎をぶっ潰すって意気込んでたのに、深化覚醒にも未だ至らずで……ずっと足踏みしてる感じがするんですよね」
「なるほどね……」
「徳井さんは、どうやって深化に至ったんですか?」
「んん? 僕かい?」
徳井はカップを置いた。
「深化といっても千差万別だからね。誰にでも当てはまる答えなんてないよ」
そこで一度、言葉を切る。
「ただ――僕の場合は……“怒り”、かな」
「怒り……?」
先ほどまで穏やかだった徳井の目が、僅かに鋭さを帯びた。
◇◇◇
小水内は自室の机に向かい、日課の記録をつけていた。
訓練内容。
結果。
失敗した点。
そして、今日どれだけ成長できたのか。
最後の一行を書き終えたところで、昨日の南の言葉が脳裏に蘇る。
『自分の力を証明するため?』
「…………」
否定はできなかった。
小水内は、笠井や七瀬とは違う。
菩提府とも開現師とも無縁の家庭に生まれた。
父は郵便局員、母は地方病院の看護師。
ごく普通の家庭で、ごく普通に育った。
ただ、小水内自身は幼い頃から生真面目だった。
自分に何ができて、何ができないのか。
常に客観的に分析し、足りないものがあれば補う。
誰かと過ごすより、自分自身へ時間を使う方が性に合っていた。
その結果、勉強も運動も大抵のことは卒なくこなせた。
だからこそ、早くから理解していたこともある。
世の中には――才能というものがある。
同じ努力をしても、同じだけ進めるとは限らない。
一歩の幅は、人によって違う。
努力を否定するつもりはない。
むしろ、小水内は努力することが好きだった。
だが、どうしても届かない相手なら、そういうものだと割り切ればいい。
最後まで歯を食いしばり、泥臭く食らいつく。
そんなものとは無縁だと思っていた。
――開現師としての才能があると知るまでは。
(正直……嬉しかった)
菩提聖堂院へ入ってから、訓練は順調そのものだった。
覚えるのも早く、同期に追いつかれることはない。
やがて上級生すら上回った。
――自分には才能がある。
初めて、そう思えた。
もっと上へ行ける。
その先を求め、南沙織の門弟にまで辿り着いた。
だが――そこで想定は崩れた。
笠井亮。
七瀬月樹。
抜いたと思えば追いつかれる。
追いついたと思えば、また引き離される。
これまで誰にも追随されなかった自分が、必死にならなければ置いていかれる。
(あいつらは言いたがらないが……開現師の家系なのは間違いない)
自分にはないものを、二人は最初から持っている。
そう考えるたび、胸の奥がざわついた。
癪に障る。
そして――負けたくない。
理屈では割り切れない、身を焦がすほどの焦燥。
こんな感情を抱いたのは、生まれて初めてだった。
(笠井にも、七瀬にも……絶対に負けたくない)
「……まったく、情けないな」
小水内は自嘲するように息を吐き、日記を閉じた。
◇◇◇
トゥルルルル、トゥルルルル……。
『もしもし?』
「もしもし、修おじさん」
『お〜、月樹か! どうだ、元気してるか?』
久しぶりに聞く声に、七瀬は少し肩の力を抜いた。
「まあ、ぼちぼちかな。それより、花奈はどう?」
『花奈ちゃんなら元気にしてるよ。最近は学校で新しい友達もできたみたいでさ』
「そっか。それならよかった。花奈のやつ、引っ込み思案なところあるし」
七瀬には八歳年下の妹、花奈がいる。
歳が離れていることもあり、七瀬は幼い妹を何より大切にしていた。
『花奈ちゃんも、月樹に会いたがってるよ』
「ああ。もうしばらくしたら、絶対帰るよ」
少しだけ間を置く。
「……母さんは?」
電話の向こうが静かになった。
『まあ……ぼちぼちかな』
「…………」
その言葉だけで、あまり良くないことは分かった。
七瀬の父は、すでに亡くなっている。
母も健在ではあるものの、夫の死を境に心を病み、今も病院で療養を続けていた。
そして――七瀬という姓も、本来のものではない。
かつての姓は、四十万。
四十万家は、菩提府の創設にも深く関わり、開現師の礎を築いたとされる四十万天星を祖に持つ古い家系だった。
かつては大きな影響力を持っていたが、開現師の世界は徹底した実力主義である。
実力者を輩出できなければ、どれだけ由緒ある家でも力は衰える。
父が任務中に命を落としてから、七瀬たち親子への風当たりは一気に強くなった。
特に母への誹りは激しく、夫を失った悲しみも重なって、その心はついに壊れてしまった。
そんな七瀬と花奈に手を差し伸べてくれたのが、父の同僚だった矢野修である。
血の繋がりこそないが、七瀬にとっては家族同然の存在だった。
『それで?』
「ん?」
『どうしたんだよ。お前から電話してくるなんて、何かあったんだろ?』
「いや、別に。ちょっと元気にしてるかなって……」
『…………』
沈黙だけで、誤魔化せていないことが分かる。
「……嘘。実は最近、ちょっとうまくいってなくてさ」
『あ〜……南にこってり絞られたな?』
「なんで分かるんだよ……」
『お前をあの子に預けたのは俺だからな。だいたい想像はつくよ』
七瀬が南の下で師事することになったのも、矢野の勧めがきっかけだった。
四十万家という肩書は、七瀬にとって重すぎる。
名家の出身。
創始者の血筋。
それだけで、周囲から求められるものは大きくなる。
矢野なりに、それを案じてのことだったのだろう。
「まあ……怒られたのは仕方ねえよ。俺が悪いのも分かってる」
『へえ。お前がそこまで素直に認めるなんて珍しいな』
「うるせえな」
七瀬は苦笑する。
だが、その笑みはすぐに消えた。
「……まさか、あんな奴らがいるなんて思わなかったんだよ」
『あんな奴ら?』
「一緒に南先生の下でやってる二人」
笠井亮。
小水内悠。
同い年で、同じ師の下で学ぶ門弟。
「あいつら、強えんだ」
七瀬は拳を握った。
「二人とも、明らかに俺より開現師としての素質がある。特に亮は……その中でも頭一つ抜けてる」
認めたくはない。
だが、それを否定するほど七瀬も馬鹿ではなかった。
「こっちはずっと……素質がないって言われてきたのにな」
思った以上に、小さな声になった。
しばらく、矢野から返事はなかった。
『……それだけ分かってるなら、大丈夫さ』
「え?」
『悔しいんだろ? あいつらに負けたくないって』
「……まあな」
『なら、それでいい。ただな、月樹』
矢野の声が少しだけ低くなる。
『一つだけ、覚えておけ』
「何?」
『自分に押し潰されるなよ』
「…………」
その言葉が、七瀬の胸へ静かに沈んだ。
四十万の名。
父の死。
母のこと。
素質がないと言われ続けてきた自分。
そして、笠井と小水内。
いつの間にか、自分自身で自分を追い詰めていたのかもしれない。
「……ああ。ありがとう、修おじさん」
『おう。また何かあったら電話してこい』
「分かった。じゃあな」
通話が切れ、静けさが部屋へ戻った。
七瀬はしばらくスマートフォンを見つめた後、両頬をぱちぱちと叩く。
「……っしゃ! やりますか!!」
せっかくの休みではある。
だが、何もしないでいられるほど、七瀬月樹は器用ではなかった。
次回予告
それぞれの胸に抱えていた、強さを求める理由。
復讐、焦り、劣等感――。
南の問いかけをきっかけに、自分自身と向き合った笠井、小水内、七瀬。
だからといって、三人の仲が良くなったわけではない。
それでも、このまま足踏みを続けるつもりもなかった。
「このまま三人でいがみ合ってるか――先生を見返すか。どっちだ?」
目指す相手は、ただ一人。
南沙織。
ぶつかり合う三人が、初めて同じ目的へ向かって走り出す――。
次回、第100話「競争」




