第100話「競争」
その日。
笠井から初めてメッセージを受け取った小水内と七瀬は、菩提聖堂院に併設されたトレーニングルームへ集まっていた。
「珍しいな。お前から連絡してくるなんて」
七瀬が鞄を置きながら声をかける。
「それで? 早く本題に入ってもらえるか。時間を浪費したくない」
小水内も眼鏡を押し上げた。
「……御託はいい。お前らも分かってんだろ? このままじゃ駄目だって」
二人は答えない。
「わざわざ来たってことは、お前らも同じこと考えてんだろ?」
しばしの沈黙。
やがて、小水内が口を開いた。
「まさか笠井。お前からそんなことを言い出すとは思わなかったよ」
「別に仲良しごっこがしたいわけじゃねえ。ただ、このままじゃいつまで経っても前へ進めねえ」
昨日、南から投げかけられた問い。
何のために強くなりたいのか。
答えが出たわけではない。
それでも、このままでいいとは誰も思っていなかった。
「で、このまま三人でいがみ合ってるか――先生を見返すか。どっちだ?」
「……ふん。お前に言われるのは癪だが、仕方あるまい」
「ま、南先生に目に物見せてやりてえしな」
二人の返事を聞き、笠井が笑う。
「決まりだな」
ドリームコンバータへ手を伸ばした。
「――朝までぶっ通しでやるぞ!」
◇◇◇
夜が明け、朝日がトレーニングルームへ差し込む。
「……これで、何とか形にはなったな」
笠井は頭部の配線を外し、立ち上がった。
「っと……」
足元がふらつく。
一晩中、夢の中で動き続けた疲労が三人の身体に重くのしかかっていた。
「まったく……お前たちが足を引っ張るから、こんな時間になったんだぞ」
小水内も眼鏡をかけ直す。
相変わらずの憎まれ口だが、声はどこか晴れやかだった。
「ハハ……これで南先生の鼻を明かせるってもんだ」
七瀬が大きく伸びをする。
「言っとくけど、次は俺が仕切るからな」
「は? なんでお前なんだよ」
「今回、一番ミスが少なかったのは僕だ。客観的に考えれば――」
「始まったよ、こいつ」
その時――。
「おい!! お前ら、こんな時間まで何やってるんだ!!」
「ッ!?」
入口に、顔を真っ赤にした守衛が立っていた。
「やべっ! 見つかった!!」
「――逃げるぞ!!」
笠井の一声で、三人は同時に駆け出す。
「あっ、こら!! 待て――!!」
守衛の脇を次々とすり抜け、そのまま廊下へ飛び出した。
「はッ! これなら捕まるわけねえだろ!!」
先頭を走る笠井が笑う。
「最悪だ! お前たちといると碌なことがない!!」
「なら、お前だけ残ればいいじゃん!」
「馬鹿を言え! 捕まえられない向こうが悪い!!」
「…………」
「…………」
笠井と七瀬が同時に小水内を見る。
「プッ……」
「ハハハハ!」
「お前、そんな面白えこと言えたんだな!」
「意外だなあ!」
「……うるさい」
小水内は顔を背け、走る速度を上げる。
「まあ、お前らが捕まっても僕のことは黙っておいてくれよ」
「なっ!? 待てよ、コラ!!」
「おい! 一人だけ逃げんな!!」
三人の声が、朝の廊下に響き渡った。
結局、その場では逃げ切れたものの――後になって南からこってり絞られたのは、また別の話である。
◇◇◇
それから数日。
三人は時間を見つけてはトレーニングルームへ集まり、何度も同じ訓練を繰り返した。
意見がぶつかれば言い争う。
失敗すれば、また最初から。
それでも、そのたびに誰が前へ出るのか、誰が補うのかを確かめ直していった。
そして――笠井たちは、再び南との模擬戦に挑んでいた。
眩い閃光が夢の中を駆け抜ける。
ドガアアアアアアンッ!!
巨大な光柱が大地へ突き刺さり、爆風が周囲を薙ぎ払った。
やがて砂塵の中から、三つの影が現れる。
「くそっ! あともう少しだったのに!!」
笠井が風塵鴉鎚を地面へ叩きつけた。
「……僕がもう少し早く動けていれば」
小水内も悔しげに手を見つめる。
「でも……今までで一番よかったんじゃね?」
倒れたまま、七瀬が笑った。
三人とも傷だらけだった。
それでも、以前のように誰かの失敗を責める者はいない。
「驚いたわ……」
南が三人へ歩み寄る。
「あなたたち、いつの間にそんなに連携できるようになったの?」
三人は顔を見合わせると、ほとんど同時に立ち上がった。
「先生! もう一度お願いします!!」
「僕からもお願いします。次なら、もっと詰められます!」
「俺も! お願いします!!」
「はあ~……」
南は大きく溜め息をつく。
「いいえ。もういいわ」
「え?」
三人が揃って顔を上げた。
決して、仲良くなったわけではない。
相変わらず衝突もする。
それでも――南に勝つ。
その一点だけは、三人とも同じだった。
一人で無理なら、二人を使う。
自分にできないことなら、できる奴に任せる。
そうやって何度もぶつかりながら、少しずつ互いの動きを理解していった。
それでも、まだ南には届かない。
「勘違いしないで」
悔しさを滲ませる三人へ、南が笑った。
「合格ってことよ」
「「「え?」」」
「君たちは合格」
「でも先生! 俺たち、まだ一発も入れられてませんよ!!」
「そうです。これで終わりでは納得できません!」
「もう一戦お願いします!!」
食い下がる三人を見て、南は思わず笑みを零した。
「本当に……見違えたわね。この数日で何があったの?」
三人は互いの顔を見る。
やがて笠井が口元を緩めた。
「別に、大したことじゃないっすよ。ただ――三人で先生に勝ちたかっただけっす」
「まあ、一人では効率が悪いと判断しただけです」
「素直じゃねえなあ、お前」
七瀬が笑う。
「でもまあ……俺も同じかな」
南は満足そうに頷いた。
「だからこそ、やっと君たちを現場へ連れていけるって言ってるの」
三人の表情が変わる。
「先生……僕たちも実戦に参加できるということですか?」
「ええ。ただし、君たちはあくまで後方支援。私の指示には必ず従うこと。勝手な行動も禁止よ」
一瞬の沈黙。
「っしゃああああ!!」
七瀬が両拳を突き上げた。
「やっとかよ!」
「まあ……これで少しは前進かな」
小水内は平静を装って眼鏡を押し上げるが、その口元は僅かに緩んでいる。
「何言ってんだよ、悠」
笠井が風塵鴉鎚を肩へ担ぐ。
「喜ぶのは、先生を倒してからだろ?」
「それには同意だな!」
「勝手に僕まで巻き込むな」
そう言いながらも、小水内は否定しなかった。
まだ届かない。
それでも――確かに、一歩は進んだ。
そんな三人を、南は優しく見つめていた。
◇◇◇
カラカラカラ……、カラカラカラ……。
「はッ、はッ……!」
暗い病院の廊下を、一人の女性が駆けていた。
涙を浮かべ、震える身体を必死に動かす。
手近な病室の扉へ飛びつく。
だが――開かない。
カラカラカラ……。
乾いた車輪の音が近づいてくる。
「だ、だめぇ……!!」
女性は再び走り出した。
姿は見えない。
それでも、あの音だけが一定の速さで追ってくる。
視界の端にトイレを見つけると、中へ転がり込んだ。
「はあッ、はあッ……!」
数日前から、同じような夢を何度も見ている。
だが――今夜は違った。
何もかもが、夢とは思えないほど生々しい。
「早く……隠れなきゃ……!」
個室へ飛び込み、内側から鍵をかける。
なぜだか分からない。
ただ、今夜もし“あれ”に見つかれば終わりだと、本能が告げていた。
ギイイイイ……。
入口の扉が開く。
「……んんっ!!」
女性は咄嗟に口を塞いだ。
カラカラカラ……。
車輪の音がトイレへ入り込んでくる。
そして――止まった。
トン、トン。
一番手前の個室がノックされる。
「――っ」
カラカラカラ……。
トン、トン。
次の個室。
また一つ。
また一つ。
“それ”は確実に近づいてくる。
そして――。
カラカラカラ……。
女性の隠れる個室の前で、音が止まった。
(……いる!!)
扉の向こうに、何かがいる。
トン、トン。
女性はきつく目を閉じる。
(お願い……あっちへ行って……!!)
やがて――。
カラカラカラ……。
車輪が再び動き出した。
隣の個室をノックし、そのまま遠ざかっていく。
ギイイイイ――バタン。
入口の扉が閉じた。
「……はぁ……」
女性はようやく息を吐く。
助かった。
そう思った。
ふと――視線を上げる。
「見ぃ~つけた」
「――え?」
個室の上。
垂れ下がった黒髪の隙間から、爛々と光る双眸が女性を覗き込んでいた。
口元が、にぃっと吊り上がる。
「キャアアアアアアアッ!!!」
絶叫が病院内へ響き渡り――すぐに途絶えた。
カラカラカラ……、カラカラカラ……。
あとには、乾いた車輪の音だけが残った。
◇◇◇
そして――数日後。
鬼夢に呑み込まれた病院の前に、複数の開現師が集められていた。
その先頭には、南沙織。
後方には――。
笠井亮。
小水内悠。
七瀬月樹。
初めて実戦へ赴く三人の姿があった。
「いい? ここから先は訓練じゃない」
南が振り返る。
その表情から、師としての柔らかさは消えていた。
「一つの判断ミスが、自分だけじゃなく誰かの命を奪うことになる。私の指示には必ず従うこと。勝手な行動はしない。分かった?」
「はい!」
「分かりました」
「ああ!」
三人がそれぞれ答える。
南は病院へ視線を戻した。
「なら――行くわよ」
一歩、前へ踏み出す。
「仕事の開始よ」
三人も、その背中を追った。
初めての実戦。
この時の彼らはまだ知らない。
病院の奥で彼らを待ち受けていたのは――
二年前、笠井亮の人生を変えた、あの男だった。
次回予告
南との訓練を乗り越え、ついに実戦への参加を許された笠井、小水内、七瀬。
向かった先は、鬼夢に侵食されつつある一つの病院だった。
そこで三人を待っていたのは、観測師・根岸真と、防人・氷川薫。
初めて足を踏み入れる、本物の現場。
しかし――。
病院を蝕む異変は、彼らの想像を遥かに超えて広がり始めていた。
そして三人は、鬼夢が現実へ及ぼす恐ろしさを目の当たりにすることになる――。
次回、第101話「病院の鬼夢」




