第101話「病院の鬼夢」
悪鬼が支配する鬼夢は、まるでウイルスのように病院全体へと広がっていた。
南率いるチームに加え、菩提府からも応援の開現師たちが続々と到着している。
慌ただしく行き交う職員たちへ、南は次々と指示を飛ばしていた。
一方、笠井、小水内、七瀬の三人は意気込んで現場へやって来たものの、完全に蚊帳の外だった。
「…………」
そんな三人の前へ、二人の男がやって来る。
一人は、迷彩服に同柄の帽子を被った大柄な男。
高い背丈とがっしりした体格も相まって、まるで軍人のような風貌だった。
もう一人は、黒い背広を纏った青年。
こちらも平均より背は高いが、隣の大男と比べれば随分と若く見える。
「ああ! 君たちが南隊長の教え子たちだね!」
迷彩服の男が、ぱっちりとした目を三人へ向けた。
「いや~、あの“鬼の南隊長”の教え子だ! きっと優秀なのだろうな!!」
白い歯を見せ、満面の笑みでぐいぐいと距離を詰めてくる。
「…………」
三人が返事をする間もない。
放っておけば延々と喋り続ける――。
そう察したのか、隣の青年が静かに口を挟んだ。
「根岸さん。説明が足りてませんよ」
「おお、そうだった!」
男はぽんと手を打つ。
「いやぁ、つい楽しくなってしまってな! 申し訳ない!」
豪快に笑う男の勢いに、三人はすっかり呑まれていた。
「改めて、自分は根岸真。菩提府から派遣された観測師だ!」
そう名乗るなり、勢いよく右手を差し出す。
「笠井亮です」
「小水内悠です」
「七瀬月樹です」
三人は半ば押される形で、順番に握手を交わした。
「おお! そうだ、こちらの紹介もまだだったな!」
根岸が隣の青年へ手を向ける。
「彼は氷川薫。今回、君たちの防人として派遣された」
「防人?」
聞き慣れない言葉に、笠井が眉をひそめる。
「お前、知らないのか? かぁ~、これだから一般家庭出身は……」
七瀬が呆れたように肩をすくめた。
「はあ? 知らねえもんは仕方ねえだろ!」
「防人は、正規の開現師に付く護衛役だ」
二人のやり取りを見かねて、小水内が割って入る。
「しかし、なぜ見習いの僕たちに防人が?」
「それは南隊長からのお願いでな!」
答えたのは根岸だった。
「それで、自分が氷川君を推薦したというわけさ!」
相変わらず声がでかい。
(この人、声のボリュームってもんを知らねえのか……)
笠井が顔をしかめる。
「あら。もう自己紹介は終わった?」
聞き覚えのある声に、三人が振り返った。
南がこちらへ歩いてくる。
「先生。それで、俺たちの仕事は何なんですか?」
待ってましたとばかりに、笠井が尋ねる。
「君たちの任務は、病院に残された患者たちの搬送を手伝うことよ」
「……それだけ、ですか?」
小水内が眉を寄せた。
「それだけ?」
南の目つきが変わる。
その一言だけで、小水内の表情が僅かに強張った。
「君たちは、まだ正式な開現師じゃない。任務へ参加させるとは言ったけれど、直接鬼夢内部へ入ることは許可できないわ」
「…………」
「それに――悪鬼を倒すことだけが任務じゃない。これ以上被害を広げないことも、立派な仕事よ」
数日前に言われた言葉が、三人の頭をよぎる。
鬼夢に囚われた人を救う。
そのために、開現師は戦う。
「……分かりました」
小水内が先に答え、笠井と七瀬も不満を飲み込むように頷いた。
「よろしい」
南はすぐさま討伐部隊へ向き直る。
程なくして、開現師たちが次々とドリームコンバータへ接続し、鬼夢内部への潜行を開始した。
「では、三人は職員さんの指示に従ってくれたまえ!」
根岸も観測師用の機器へ向かう。
「氷川君! 三人を頼んだぞ!」
「分かりました」
氷川が短く答えた。
「では、こちらへ」
職員に促され、笠井たちは氷川と共に病院内へ足を踏み入れる。
院内では、すでに大半の患者と職員の避難を終えていた。
普段なら人で溢れているはずのロビーも、今は不気味なほど静まり返っている。
だが――まだ全員ではない。
病室には、どれだけ呼びかけても目を覚まさない患者や職員が残されていた。
ただ眠っているだけなのか。
それとも、すでに鬼夢へ取り込まれているのか。
外から見ただけでは分からない。
笠井たちは職員と共に各病室を回り、残された人々を院外へ搬送することになった。
初めての実戦任務。
だが、思い描いていたものとは随分と違っていた。
◇◇◇
「では、こっちもお願いします!」
「はい!!」
「こっちも頼む!」
「うっす!!」
作業が始まれば、息をつく暇もなかった。
「この患者は侵食が浅い! 院外への搬送をお願いします!」
院内を駆け回る観測師たちは、患者や職員を《視》て、鬼夢への侵食度を測っていく。
侵食が深まれば、その者自身が新たな根源となり、鬼夢がさらに拡大する危険がある。
だからこそ、戦う者だけでは足りない。
現実側で被害を食い止める者たちもまた、現場には欠かせなかった。
「こっち、手伝ってくれ!」
「分かりました!」
担架を運びながら、笠井は周囲を見渡す。
開現師。
観測師。
職員。
それぞれが違う役目を担いながら、一つの鬼夢に立ち向かっている。
自分たちが、いかに現場というものを知らなかったのか。
三人は否応なく思い知らされていた。
◇◇◇
「三人とも、ありがとう。人手が足りなかったから助かったよ」
ひと通りの搬送を終えたところで、菩提府から派遣された職員が声をかけてきた。
「いえ。俺たちも……かなり勉強になりました」
笠井たちは受付前の椅子へ腰を下ろす。
「つっかれたぁ……」
七瀬が背もたれへ身体を預けた。
「普段の訓練とは、疲れ方が違うな」
小水内も額の汗を拭う。
「ああ……」
笠井も短く答えた。
悪鬼と戦うことだけが、開現師の仕事ではない。
南から言われた意味を、ようやく少し理解できた気がした。
「残りはこちらでやっておくから、君たちは少し休んでていいよ」
「いや、俺たちもまだ――」
カシャン。
「…………?」
笠井が言葉を止める。
カシャン、ガタガタガタ……。
静まり返った廊下の奥から、何かがぶつかる音が聞こえてきた。
「何だ? まだ誰か残ってるのか?」
職員が歩き出す。
「……待て」
低い声が響いた。
氷川だった。
職員の前へ出て、その進路を塞ぐ。
「何っすか、急に」
「様子がおかしい」
氷川は廊下の奥から視線を逸らさない。
「全員、そこから動くな」
「でも――」
「下がれ」
淡々とした声。
だが、有無を言わせない迫力があった。
「おい――」
笠井が言い返そうとした、その時。
ゾワッ――。
「ッ!?」
全身を針で突き刺されたような悪寒が走る。
「……なんだ、これ」
七瀬からも笑みが消えた。
「嫌な感じだ……」
小水内も廊下の奥を睨む。
重い。
息をするだけで肺の奥まで汚されるような、濃密な瘴気。
「…………」
笠井の顔から血の気が引いた。
知っている。
この感覚を。
二年前。
あの夜の校舎で――確かに感じた。
「あの野郎……来やがったのか……」
「は? 亮、お前、何か知ってんのか?」
「静かに」
氷川が遮った。
先ほどまで聞こえていた物音が――止まっている。
不自然な静寂。
氷川が僅かに腰を落とした。
「……来る」
カシャン。
カシャン……カシャン……。
何かが、こちらへ近づいてくる。
やがて、曲がり角の向こうから一人の男が現れた。
「……人?」
七瀬が呟く。
手術衣を着た医師らしき男。
だが、一目で異常だと分かる。
焦点の定まらない目。
半開きの口から垂れる涎。
右手には、銀色に光るメスが握られていた。
「止まれ」
氷川が前へ出る。
「それ以上、近づくな」
しかし、医師は足を止めない。
「……ちりょう……」
「…………?」
「……治療が……必要だ……」
次第に、その声がはっきりと聞こえてくる。
「止まれ!」
氷川が再び警告した。
その瞬間――。
「治療が必要だァァァァッ!!」
「ッ!?」
男の目が、かっと見開かれる。
メスを振り上げ、一気に笠井たちへ襲いかかった。
ダッ!!
次の瞬間、氷川が動く。
迫る医師の懐へ潜り込み、低く身を屈めた。
「なっ――」
勢いのまま踏み込んできた医師の身体が大きく前へ崩れる。
ドサッ!!
床へ倒れてなお、男はメスを振り回した。
「遅い」
氷川は一瞬で手首を捉え、腕を背中へ回す。
さらに首元を固め、暴れる身体を床へ押さえ込んだ。
「ぐ……が……」
数秒後。
カラン――。
男の手からメスが落ちる。
やがて抵抗がなくなり、身体から力が抜けた。
「こ、殺したのか?」
七瀬が思わず声を上げる。
氷川は答えるより先に、ポケットから結束バンドを取り出した。
慣れた手つきで男を拘束する。
「殺してない。ただ、少し眠ってもらっただけだ」
「すげえな……あんた、めちゃくちゃ強えじゃん」
「ああ! 映画みてえだったぜ!」
興奮する二人とは対照的に、氷川は表情一つ変えない。
「おい。感心してる場合じゃないぞ」
小水内の声で、空気が変わった。
「ああ~……まだ退院できないんですかぁ……?」
「吉田さ~ん……どうされましたかぁぁぁ……?」
一人。
また一人。
廊下の奥から人影が現れる。
患者。
看護師。
医師。
誰もがふらふらと身体を揺らし、焦点の合わない目をこちらへ向けていた。
「お、おい……あれ!」
七瀬が集団を指さす。
白衣や病衣に混じって、黒い背広を纏った者たちがいる。
「あれは……潜行部隊じゃないのか!?」
「そんなはずは……」
小水内の顔から血の気が引いた。
彼らはつい先ほど、南と共にドリームコンバータへ接続した開現師たちだ。
本来なら今も、現実の肉体は接続機器に横たわっているはずだった。
だが、黒い背広の男たちの身体には、外れた接続端子がいくつもぶら下がっている。
「……自分で、接続を外したのか?」
「違う」
氷川が低く答えた。
男たちの虚ろな目を睨む。
「操られてる」
「現実の身体まで……?」
小水内が息を呑んだ。
鬼夢の侵食が、潜行中の開現師の肉体にまで及んでいる。
それが何を意味するのか。
今の三人にも、それが尋常ではない事態だということだけは分かった。
「くそッ……南先生は!?」
笠井が一歩踏み出す。
「他人の心配をしている場合か」
氷川が三人の前へ出た。
「自分たちも危険な状況にいる。それくらい分かるだろ」
迫る集団から目を離さず、冷たく言い放つ。
「お前たちは下がってろ。仕事の邪魔だ」
「何を――」
「亮」
小水内が腕を掴んだ。
「今は従え」
「…………ちっ」
三人が下がったことを確認すると、氷川は重心を低くする。
「とっとと終わらせるか」
ダンッ!!
一気に集団の懐へ飛び込んだ。
ドンッ!!
掌底で先頭の患者を崩し、横から伸びてきた腕を取って床へ投げる。
さらに背後から迫る看護師を組み伏せた。
一人。
二人。
三人。
必要以上に傷つけず、反撃する力だけを奪っていく。
彼らは悪鬼ではない。
操られているだけの被害者だ。
――それが、《防人》の戦い方だった。
ものの数分で、廊下に立っている者はいなくなった。
氷川は倒れた人々を順番に拘束していく。
「おい」
笠井が声をかけた。
「……何だ」
「それ、手伝おうか?」
氷川の手が止まる。
「……うるさい。お前たちは黙ってろ」
「ああ?」
その瞬間。
いつも冷静な氷川の顔に、初めて明確な苛立ちが浮かんだ。
「そもそも俺は、南隊長の護衛だと聞いていたんだ。それが蓋を開けてみれば――」
三人を睨みつける。
「なんで、お前たちみたいなひよっこのお守りをしなきゃならない!!」
「……なんだと?」
若手の防人として頭角を現していた氷川にとって、南の護衛を任されることは、自分の実力が認められた証のはずだった。
だが、実際に命じられたのは――その弟子三人の護衛。
「お前たちは、とっととここから離れてろ!!」
吐き捨てた――その時。
「…………?」
氷川の視線が床へ落ちる。
拘束した患者。
看護師。
医師。
(待て……)
先ほど確かに見えていた。
彼らの中に混ざっていた、黒い背広。
(――開現師がいない!?)
シュッ!!
「ッ!?」
黒い影が死角から飛び込んだ。
「ちッ!!」
患者たちを盾に潜んでいた開現師。
氷川が油断する瞬間を狙っていたのだ。
鬼夢への耐性を持つ開現師は、一般人より侵食されにくい。
だが、操られないわけではない。
残された戦闘経験までもが、今は敵に利用されている。
ブンッ!!
「ぐッ!?」
振り下ろされた鉄パイプを、氷川が腕で受け止める。
そのまま懐へ踏み込み――。
ドッ!!
「ぐはッ!」
膝蹴りが男のみぞおちへ突き刺さった。
男が崩れ落ちる。
だが――。
「ッ!」
背後から、もう一人の開現師がメスを振り上げる。
氷川が反応した瞬間、足元の男が脚へしがみついた。
「なっ!?」
頭上で銀光が煌めく。
(――間に合わない!)
「バカ! 何やってんだよ!!」
横から笠井が飛び込んだ。
ザシュッ!!
「ぐッ……いってえええ!!」
メスが右腕を深く切り裂く。
「笠井!?」
「小水内! 七瀬!!」
痛みに顔を歪めながらも、笠井が叫んだ。
だが、二人はすでに動いていた。
「今だ!!」
「おらあああああ!!」
ドンッ!!
左右から同時に体当たりを叩き込む。
男が弾き飛ばされた瞬間、氷川も動く。
脚にしがみつく男を押さえ込み、続けざまにもう一人を組み伏せた。
ダンッ!!
僅かな間に二人を制圧する。
「いってぇぇ……」
笠井が右腕を押さえて座り込んだ。
指の間から血が滲んでいる。
「亮!」
「見せろ」
氷川もすぐに膝をつき、傷口を確認した。
「深いが……動脈までは達してない」
「そりゃ……よかったな」
「強がるな」
氷川がガーゼを押し当て、小水内が包帯を巻いていく。
「きつくないか?」
「痛えに決まってんだろ……!」
「それだけ喋れるなら大丈夫だな」
「てめえ……」
七瀬が思わず苦笑した。
応急処置を終えると、小水内が笠井へ手を差し出す。
「立てそうか?」
「ああ」
笠井がその手を掴み、ゆっくりと立ち上がった。
「しばらく右手は使い物になりそうにねえけどな」
「だったら無茶するなよ」
「うるせえ。お前に言われたくねえよ」
「たっくよ……冷や冷やさせやがって」
七瀬も軽口を叩くが、その顔には安堵の色が浮かんでいた。
「…………」
そんな三人を、氷川が黙って見つめる。
「……すまない。俺のミスだ」
三人が揃って氷川を見た。
「はっ! 何だよ。さっきの威勢はどこ行ったんすか」
笠井が笑う。
氷川は何も言い返さなかった。
「それより――」
小水内が倒れた開現師たちへ目を向ける。
「彼らまで操られたとなると……状況はかなりまずい」
「ああ」
笠井の表情から笑みが消えた。
「南先生が危ねえ」
「だったら、助けに――」
「待て、亮」
駆け出しかけた笠井を、小水内が制する。
「ああ?」
「先生から言われただろ。勝手な行動はするな、と」
「…………」
笠井の眉間に皺が寄った。
「じゃあ、ここで黙って待ってろってのかよ」
「そんなことは言ってない」
小水内は周囲を見回す。
「まず根岸さんに知らせる。潜行部隊で何が起きているのか、観測側からなら確認できるかもしれない」
「なるほどな」
七瀬も頷いた。
「それで南先生が危ねえって分かったら、今度こそ助けに行きゃいい」
「…………ちっ」
笠井は苛立たしげに舌打ちする。
今すぐにでも南のもとへ向かいたい。
だが、小水内の言うことは正しい。
「……分かったよ」
苦々しく吐き出した。
「だったら、とっとと根岸さんのところまで行こうぜ」
「それがいい」
小水内が頷く。
「氷川さん」
「何だ?」
「俺たちを根岸さんのところまで案内してくれ」
「…………」
氷川は三人を順に見た。
「現状、本来ならすぐにでも病院から離脱させるべきだ」
「でも、潜行部隊まで異常をきたしてる」
小水内が返す。
「この状況を観測班へ伝えなければ、さらに被害が広がる可能性がある」
「それに、根岸さんなら南先生たちの状況も分かるかもしれねえんだろ?」
七瀬も続いた。
「…………」
氷川は僅かに考え込む。
「……分かった」
三人の前へ出た。
「根岸さんのところまで連れていく。ただし、俺から離れるな」
「ああ」
「分かりました」
「任せろ!」
「それと――」
氷川が笠井の右腕を見る。
「特にお前だ。無茶はするな」
「分かってるよ」
「本当か?」
「しつけえな!」
「ハハッ! 信用ねえな、亮!」
「うるせえ!」
一瞬だけ、張り詰めていた空気が緩む。
だが、廊下の奥から漂ってくる瘴気は、先ほどより明らかに濃くなっていた。
氷川が表情を引き締める。
「行くぞ」
三人も頷いた。
南のもとへ、今すぐ駆けつけるわけにはいかない。
まずは状況を知る。
四人は警戒を強めながら、根岸の待つ観測班を目指して歩き始めた。
その先に、さらなる異変が待ち受けていることも知らずに――。
次回予告
現実世界へまで及び始めた、鬼夢の異変。
外部との通信は断たれ、南たち潜行部隊との接続も途絶えてしまう。
残された手段は――自ら鬼夢へ潜ること。
初めて本物の鬼夢へ足を踏み入れた笠井、小水内、七瀬。
訓練で培った連携を武器に、三人は囚われた人々を救うため奥へと進んでいく。
しかし――。
瘴気の先から笠井を誘う、二年前の記憶。
ようやく噛み合い始めた三人は、再びそれぞれの道へと分かれていく――。
次回、第102話「噛み合わない三人」




