第102話「噛み合わない三人」
「ぐ……くっ、や、やめろ……!!」
根岸の首を、一人の女性開現師が締め上げていた。
細い腕からは想像もつかない力が、その太い首へ食い込んでいく。
「ぐ……ぅ……!」
突然暴れ出した開現師たちとの取っ組み合いで、根岸の身体はすでに限界だった。
力が入らない。
視界が、端から黒く染まっていく。
(――まずい……このままじゃ……)
意識が途切れかけた――その瞬間。
ゴンッ!!
女性の手から力が抜け、そのまま床へ崩れ落ちた。
「ゲホッ! カハッ……!」
一気に気道が開き、根岸は必死に空気を吸い込む。
「大丈夫ですか、根岸さん」
「……ひ、氷川君か……」
呼吸を整えながら顔を上げる。
「それに……君たちも無事だったか」
氷川の後ろには、笠井、小水内、七瀬の三人が立っていた。
「一体、何があったんすか?」
「分からん……突然、潜行していた開現師たちが暴れ出したんだ」
「やはりか……」
小水内の表情が険しくなる。
「僕たちの方でも、患者や職員だけでなく、潜行部隊の開現師に襲われました」
「何だと……?」
「いずれにせよ、外部へ連絡を――」
「それは無理っすね」
七瀬が携帯電話を見せる。
「俺たちも試したけど、一切繋がらねえ」
画面には圏外の表示。
根岸も端末を確認するが、結果は同じだった。
「それだけじゃねえ」
笠井が窓へ手をかける。
「窓も扉も、ビクともしない」
力を込めても、まるで壁と一体化したように動かない。
「……鬼夢の悪化が、“こちら側”にまで影響し始めているのか」
「それより!」
笠井が根岸へ詰め寄った。
「南先生は大丈夫なんですか!?」
「正直、分からん。突然、南隊長たちとの接続が一斉に遮断された。今は向こうの状態を観測することも、通信することもできない」
「だったら――」
笠井がドリームコンバータへ目を向ける。
「俺たちが行くしかねえだろ!!」
「だめだ!」
根岸が即座に否定した。
「君たちを鬼夢内部へ潜行させるなんて認められない!」
「でも、他に手立てがないでしょう!」
小水内も食い下がる。
「南隊長たちとの接続が切れている以上、内部の状況を確かめるには誰かが潜行するしかない」
「ああ! そのためにここまで戻ってきたんだ!」
「しかし――」
ガタンッ!!
大きな音に全員が振り返る。
氷川が扉を施錠し、机を入口へ押し込んでいた。
「何をしてる?」
「話してる場合じゃありません」
さらに椅子を重ねる。
「拘束した連中が、もうこっちへ向かってます」
「なっ……」
ドンッ!!
扉が大きく揺れた。
さらにもう一度。
ドンッ!!
「……悠長に考えてる時間はなさそうですよ」
「なら、やることは決まってるでしょ!」
笠井の言葉に、小水内と七瀬も頷いた。
「…………」
根岸は三人を見渡し、深く息を吐く。
「……分かった。ただし、悪鬼本体の討伐は狙うな。囚われた人たちの救助と、南隊長たちの状況確認だけだ。いいな!」
「ああ、分かってますよ」
「了解です」
「っしゃ! なら行こうぜ!!」
三人はすぐさまドリームコンバータへ向かった。
◇◇◇
笠井はシートへ腰を下ろし、目を閉じる。
暗闇の中。
ドクン、ドクン――。
自分の心音だけが大きく響く。
呼吸を整え、意識を集中させた。
やがて、どす黒く淀んだ揺らぎが浮かび上がる。
(……これか)
意識を伸ばし、その濁りへ触れた。
その瞬間――。
「……え?」
観測機器を見つめていた根岸が、思わず声を漏らした。
「どうしました?」
氷川が振り返る。
「いや……」
根岸は表示された数値へ目を凝らす。
南たちとの接続を完全に遮断するほど、鬼夢の内部は強く閉ざされている。
それなのに――。
「……入った」
「何?」
「三人ともだ。ほとんど抵抗を受けていない」
あまりにも、すんなりと。
まるで――最初から入口が開けられていたかのように。
「…………」
根岸の表情から、僅かに余裕が消えた。
◇◇◇
「ッ!?」
世界が反転した。
足元が消え、奈落へ引きずり落とされるような感覚が押し寄せる。
ダンッ――。
「……っ」
次に目を開いた時、笠井は病院の廊下に立っていた。
隣には小水内。
反対側には七瀬。
三人とも、無事に潜行できたようだ。
「…………」
ふと、自分の右腕へ目を落とす。
握る。
開く。
軽く腕を回す。
(……痛くねえ)
現実では、つい先ほどメスで深く切り裂かれた右腕。
だが、鬼夢内の身体には傷一つなく、痛みも感じない。
現実で負った肉体の傷は、鬼夢内の身体には反映されない。
(これなら……問題なく動ける)
『三人とも、聞こえるか?』
声と共に、翠色の珠が三人の前へ浮かび上がった。
根岸の慧珠だ。
『どうやら、君たちとの接続は保てているようだ』
「南先生たちとは繋がらねえのに?」
『……ああ』
返事が、僅かに遅れた。
『それに、君たちはあまりにも簡単に潜行できた。正直、妙だ』
「妙って……何が?」
『まだ分からん。とにかく、慎重に進んでくれ』
「……分かった」
笠井は周囲を見渡した。
薄暗い廊下。
淀んだ空気。
壁も床も天井も、黒い瘴気を滲ませている。
訓練の夢とはまるで違う。
この世界そのものが、侵入者の意識を呑み込もうとしていた。
それなのに――。
「…………」
妙だった。
これほど濃い瘴気に覆われているにもかかわらず、自分たちを押し返そうとする感覚がほとんどない。
むしろ――。
(なんだ……?)
奥へ。
もっと奥へ。
そう誘われているような、不気味な感覚さえある。
「亮?」
「……いや、何でもねえ」
小水内へそう返し、再び前を向く。
闇の奥。
そのさらに向こうから、微かな気配が伝わってくる。
(……間違いねえ)
二年前。
あの夜に感じたものと、よく似ている。
(奴がいる)
まるで、最初から自分がここへ来ることを待っていたかのような――。
そんな気味の悪い感覚が、瘴気の奥から伝わってきていた。
「このまま奥へ行けばいいんすよね?」
七瀬が根岸へ問いかける。
『ああ! 被害者も潜行部隊も、この先に囚われている可能性が高い!』
その時――。
床や壁に落ちていた黒い影が、ゆらりと蠢いた。
「……来るぞ」
影が盛り上がり、人ならざる形を成していく。
『気をつけろ!』
だが、三人はすでに迎撃態勢へ入っていた。
「「「顕現――」」」
「風塵鴉鎚!!」
「慚愧彗星剣!!」
「乱武炉!!」
「ギイイイイイイッ!!」
影鬼――亜羊の群れが一斉に襲いかかる。
「はあああああッ!!」
ドゴッ!!
笠井の風塵鴉鎚が一体の頭部を粉砕した。
左右から二体。
「遅え!!」
ブオンッ!!
横薙ぎの一撃から生まれた風圧が、二体まとめて切り裂く。
一方、小水内の前にも複数の亜羊が迫っていた。
敵の位置。
距離。
間隔。
瞬時に頭の中で図へ置き換える。
(――そこだ)
シュッ――!!
慚愧彗星剣を構え、一気に踏み込んだ。
「ギッ!?」
小水内が群れの中を一直線に駆け抜ける。
ザシュッ!!
軌道上の亜羊たちへ、一斉に裂け目が走った。
「……一体、残ったか」
斬ッ――。
振り返りざまの一閃が、最後の首を落とす。
「さすがだな……けど、俺も負けてらんねえ!!」
七瀬が両手の乱武炉を構えた。
「ギギギギッ!!」
飛びかかってきた亜羊の爪を、二本の釵で受け止める。
「舐めんなあああああ!!」
ボオッ!!
乱武炉から炎が噴き上がった。
「ギギッ!?」
怯んだ腹部へ片方を突き立て――。
「せりゃああああああッ!!」
ザンッ!!
燃え盛るもう一方の刃が、亜羊の身体を切り裂く。
「はッ! この程度じゃ敵にならねえぜ!!」
七瀬が得意げに笑った。
「ふん。所詮、雑兵だ」
小水内が剣先を払う。
「目的を忘れるなよ」
「ああ? 分かってるって。なあ、亮?」
「…………」
「亮?」
「あ、ああ……」
笠井は二人を見ていなかった。
視線の先は、廊下のさらに奥。
光すら呑み込むような闇。
「どうした?」
「…………」
その先には、何も見えない。
だが――。
笠井の脳裏に、二年前の惨劇が蘇る。
親友から向けられた殺意。
傷つき、倒れていく父。
そして、そのすべてを仕組んだ男。
偽りの“西条”。
「…………」
ぎり、と奥歯を噛み締める。
その時――。
闇の奥に、一つの人影が見えた。
「――ッ!!」
見間違えるはずがない。
胸の奥に押し込めていた怒りが、一気に噴き上がる。
「待て!!」
次の瞬間、笠井は走り出していた。
「お、おい!? 亮!!」
七瀬の声も耳に入らない。
人影を追い、本来進むべき道とは別の廊下へ駆け込む。
「亮!! 止まれ!!」
小水内が叫ぶ。
だが、笠井は止まらない。
「ちッ!」
小水内が七瀬へ振り返った。
「七瀬! お前は根岸さんの指示通り先へ行け!」
「は!? お前はどうすんだよ!」
「あの馬鹿を連れ戻す!」
「だったら俺も――」
「三人揃って任務を放棄してどうする!!」
「……っ」
「囚われた人たちを探すのが、僕たちの任務だ!」
そう言い残し、小水内も笠井を追った。
「お、おい!!」
『どうした!? 何があった!!』
慧珠から根岸の声が飛ぶ。
「くそッ……!」
七瀬は二人が消えた廊下と、本来進むべき道を交互に見た。
「ったく……勝手なことしやがって!!」
拳を握り締める。
「根岸さん! 俺はこのまま先へ行く!!」
『分かった! 絶対に無茶はするなよ!』
「ああ!」
七瀬も再び走り出した。
ようやく噛み合い始めていた三人は――再び別々の道へ分かれた。
◇◇◇
「はあッ、はあッ……!」
笠井はひたすら人影を追っていた。
「間違いねえ……あいつだ!!」
南から言われたことも。
根岸から命じられたことも。
今はもう、頭から抜け落ちている。
廊下の最奥へ辿り着いた。
「どこだ……!」
だが、人影は消えていた。
「くそッ……!」
その時。
背後に気配。
「――ッ!!」
振り返りざまに風塵鴉鎚を振り抜く。
バアアアアアアンッ!!
猛烈な風刃が廊下を駆け抜け、壁と床を抉った。
粉塵が舞い上がる。
「おおっと。危ないじゃないか」
「…………!」
聞き覚えのある声。
粉塵の向こうに、一人の男が立っていた。
「てめえ……」
笠井の顔が怒りに歪む。
「西条ォォォッ!!」
男は二年前と、何一つ変わらない姿をしていた。
「久しぶりだね、笠井亮君」
西条が穏やかに微笑む。
「私も君に会えて嬉しく――」
ダンッ!!
「死ねえええええッ!!」
最後まで聞かず、笠井が間合いを詰める。
風塵鴉鎚を振り下ろした。
ガシッ!!
「なっ――!?」
止まった。
西条は一歩も動かず、風塵鴉鎚を片手で掴んでいた。
「ふ~ん。以前よりは随分動けるようになったね」
「離せッ!!」
笠井は即座に蹴りを放つ。
「しかし――」
ゴッ!!
「がはッ!!」
それより速く、西条の拳が腹部へめり込んだ。
「ぐ……うッ……!」
身体がくの字に折れ、その場へ崩れ落ちる。
「二年経っても――」
西条が冷たい目で見下ろした。
「やはり、まだ自分の中の悪鬼とは向き合えていないようだね」
「ぐ……ッ」
「黙れ……」
「ん?」
「てめえが……俺の何を知ってる……!」
風塵鴉鎚を支えに、笠井は立ち上がった。
「ぐ……はああああああッ!!」
怒りのまま咆哮し、再び構えを取る。
「いいね」
西条が楽しげに目を細めた。
「その意気込みは嫌いじゃない」
その両手を、巨大な鉤爪が覆っていく。
「さあ――」
刃先が鈍い光を放った。
「この戦いで、君の“覚醒”は成るかな?」
「…………!」
笠井は風塵鴉鎚を強く握り締める。
二年の時を経て――。
再び、あの悪夢の夜の元凶と対峙する。
次回予告
二年ぶりに対峙した、因縁の男――西条。
父を奪った相手を前に、笠井の胸に抑え込んできた怒りが再び燃え上がる。
だが、その力は未だ西条には届かない。
「二年経っても――やはり、まだ自分の中の悪鬼とは向き合えていないようだね」
復讐のために戦うのか。
それとも――誰かを救うために戦うのか。
怒りの先で、笠井はもう一度、自分が目指すものと向き合う。
そして、それぞれの道を進む三人にも、新たな戦いが待ち受ける――。
次回、第103話「開現師の本懐」




