第103話「開現師の本懐」
「はあああああッ!!」
笠井は風塵鴉鎚を握り締め、全力で振り抜いた。
ブオンッ!!
だが――届かない。
西条は僅かに身体を傾けただけで、その一撃をかわす。
「くそッ!!」
返す勢いでもう一撃。
しかし、それも虚しく空を切った。
「そんなに感情を爆発させては――」
西条の姿が、ふっと視界から消える。
「当たるものも、当たらなくなるよ」
斬ッ――。
「ぐッ!!」
次の瞬間、鉤爪が笠井の脇腹を切り裂いた。
「はあ……はあ……」
よろめきながらも、風塵鴉鎚を構え直す。
腕、肩、胸、脚。
全身には、すでに無数の切り傷が刻まれていた。
だが、どれも致命傷ではない。
西条がその気なら、とっくに終わっている。
それを、あえてしていないのだ。
(完全に……遊ばれてやがる……!)
「舐めんじゃねえええええッ!!」
再び踏み込み、風塵鴉鎚を振り下ろす。
ガキンッ!!
鉤爪の甲が真正面から受け止めた。
「そこッ!!」
至近距離から鎌鼬を放つ。
だが――。
フッ――。
「なっ!?」
風刃は西条へ届いた瞬間、霧のように掻き消えた。
「隙だらけだよ」
ゴッ!!
「がはッ!!」
拳が顎を跳ね上げる。
笠井の身体が後方へ吹き飛び、床へ叩きつけられた。
「が……は……」
揺れる視界の中、西条がゆっくりと近づいてくる。
「死に瀕した時、人は時として己の内に眠る真の力を引き出す」
一歩。
「恐怖」
さらに一歩。
「怒り」
巨大な鉤爪が、ぎらりと光る。
「そして――絶望」
「…………」
「極限まで追い詰められた精神は、その奥底に眠るものを曝け出す」
西条が笑った。
「二年前の君も、そうだった」
「…………!」
「さあ、笠井亮君」
鉤爪を振り上げる。
「もう一度、その境地に立ちなさい」
そして――。
「“深化”へ至るんだ!」
凶爪が振り下ろされた。
ガキンッ!!
「…………?」
鉤爪が止まる。
「まったく……」
震える刃越しに、一人の少年が立っていた。
「手間をかけさせるな――お前は!!」
「お、小水内……」
小水内悠。
慚愧彗星剣で、凶爪を真正面から受け止めていた。
「なるほど。少し遊び過ぎたか」
「くッ……!」
小水内の額から汗が滲む。
(なんて力だ……!)
西条が僅かに力を込めただけで、足が床を滑った。
「小水内!!」
バンッ!!
横から激しい風圧が叩きつけられる。
西条との距離が開いた。
「今だ!」
「分かっている!」
小水内が慚愧彗星剣を突き出す。
刀身を走る青白い稲光が、一直線に西条へ迸った。
「…………」
西条は避けようともしない。
だが――。
迫る雷光が、寸前で無数の枝へ分かれた。
「何ッ!?」
バチィィィィッ!!
稲妻が天井、壁、床を次々と穿ち、廊下いっぱいに土煙が巻き上がる。
「……目眩ましか」
煙が晴れた時には、二人の姿は消えていた。
「逃げたか……」
西条は追うことなく、静かに笑った。
◇◇◇
「はあッ……はあッ……!」
暗い廊下を、笠井は小水内に肩を支えられながら走っていた。
「黙って走れ。追いつかれたら終わりだ」
しばらく進んだところで、笠井が足を止める。
「……もういい」
小水内の肩を振りほどいた。
「おい、笠井。七瀬のところへ戻るぞ」
「…………」
笠井は答えない。
視線だけが、西条のいる方向へ向いていた。
「お前が……七瀬のところへ行ってくれ」
「……何?」
「俺は戻る」
小水内の表情が変わった。
「まだ、あいつと戦うつもりか?」
「…………」
沈黙が、その答えだった。
「笠井……てめえ!!」
胸倉を掴まれる。
「いい加減にしろ!!」
「…………!」
「奴とどんな因縁があるのか、僕は知らない。だが――」
掴む手に力がこもる。
「僕たちが何のためにここへ来たのかくらい、分かっているだろ!!」
「…………」
「囚われた人たちを助けるためだ!」
笠井は何も返せない。
「お前一人のために来たんじゃない!!」
「…………っ」
小水内はしばらく笠井を睨みつけていた。
やがて、胸倉から手を離す。
「……そこまでして戻りたいなら、勝手にしろ」
背を向けた。
「僕は七瀬のところへ戻る」
数歩進んだところで、一度だけ足を止める。
「……君には、がっかりしたよ」
「…………」
それだけを残し、小水内は走り去った。
暗い廊下に、笠井だけが残される。
(……俺は、何やってんだ)
何のために、ここへ来た?
南を助けるため。
囚われた人たちを救うため。
そのはずだった。
なのに、西条を見た瞬間――すべてを投げ捨てた。
仲間の声にも耳を貸さず、一人で飛び出した。
そして結局、小水内に助けられた。
「…………」
風塵鴉鎚を握る手に力がこもる。
その時――。
『お前を……信じてるぞ』
「――ッ」
二年前。
父が最後に残した言葉。
西条を倒す。
父の仇を討つ。
ずっと、それが父の想いに応えることだと思っていた。
「…………違う」
父が最後まで守ろうとしていたもの。
自分に託したもの。
「……俺は」
顔を上げる。
もう、西条のいた方向は見なかった。
「俺は、開現師だ」
踵を返す。
向かうのは、仲間たちのもと。
救いを待つ人々のもと。
「必ず……任務を果たす!」
笠井は走り出した。
「もう、行ってしまうのかい?」
「ッ!?」
背後からの声に、反射的に飛び退く。
振り返った先には、西条が立っていた。
「……貴様、何が目的なんだ?」
「何だい? かつての恩師に随分な言い草じゃないか」
「ふざけんな」
笠井は風塵鴉鎚を構える。
「てめえ、その気ならいつでも俺を殺せただろ」
「…………」
「なのに、なんで殺さねえ」
西条の笑みが、僅かに深くなった。
「やはり、いいねえ。君は」
「何がだ?」
「まだ分からないのかい?」
「…………?」
西条は楽しげに両腕を広げた。
「南沙織は、私の瘴気の檻に閉じ込めた」
「……何?」
「他の開現師たちにも、たっぷりと瘴気を浴びてもらったよ。随分と素直に動いてくれているようだ」
「てめえ……!」
現実で襲ってきた開現師たちの姿が、脳裏をよぎる。
だが、西条は意に介さず言葉を続けた。
「それなのに――」
その視線が、真っ直ぐ笠井を射抜く。
「どうして君たち三人だけが、何の妨害も受けずにここまで入ってこられたと思う?」
「…………!」
潜行した時に覚えた違和感。
南たちとの接続は遮断されていた。
それなのに、自分たちはあまりにも容易く鬼夢へ入り込めた。
「まさか……」
「そう」
西条の口元が歪んだ。
「私が通したんだよ」
「…………!」
「君には――ここへ来てもらわなくては困るからね」
「てめえ……最初から……!」
「もちろん」
西条は悪びれる様子すら見せない。
「二年前から、ずっと興味があった」
巨大な鉤爪をゆっくりと持ち上げる。
「あの状況で力を目覚めさせた君が、その先でどこまで辿り着くのか」
「…………」
「私は、それが見たいんだよ」
西条の声が高揚していく。
「命の危機に立たされた君が――どこまで深化できるのかをね!」
「…………」
笠井は黙ったまま、西条を睨みつける。
すべて、この男の掌の上だった。
南を封じたことも。
開現師たちを操ったことも。
自分たちを、ここへ招き入れたことさえ。
だが――。
笠井は静かに息を吐いた。
先ほどとは違う。
怒りはある。
それでも、頭の中は不思議なほど冷えていた。
(だったら――利用してやる)
風塵鴉鎚を握り直す。
(こいつが俺に執着してるなら、ここで引きつける)
小水内。
七瀬。
そして、囚われた人たち。
(あいつらが救助する時間を、俺が作る!)
「はああああッ!!」
床を蹴った。
「…………!」
西条の目が僅かに見開かれる。
(速い――!)
ガンッ!!
風塵鴉鎚を鉤爪の甲が受け止める。
「うおおおおおおッ!!」
間髪入れず、蹴りを叩き込んだ。
「ぬうッ!?」
西条の身体が僅かに揺らぐ。
「まだだ!!」
笠井の掌から、圧縮された風塊が放たれた。
ゴッ!!
西条が一歩後退する。
さらに踏み込み、風塵鴉鎚を振り抜いた。
シュッ――。
「…………!」
西条が身を引く。
だが、僅かに遅れた。
頬に一本の赤い線が走る。
「…………」
西条が指先で血を拭った。
その笑みが消える。
「……舐めるなよ、ガキが!!」
ブンッ!!
鉤爪が荒々しく振り抜かれた。
「ッ!!」
笠井は咄嗟に風を全身へ纏わせる。
ザシュッ!!
「ぐッ……!」
胴を切り裂かれ、大きくよろめいた。
防御がなければ、致命傷になっていただろう。
「なるほど……」
西条が目を細める。
「咄嗟に風を纏わせたか」
「はあ……はあ……!」
「さっきまでとは、まるで別人だね」
「…………」
「何が君をそこまで変えた?」
笠井は風塵鴉鎚を構え直す。
「てめえを倒すことしか見えてなかった時より――」
真っ直ぐ西条を見据えた。
「今の方が、戦う理由がはっきりしてるだけだ」
「…………」
西条の口元が歪む。
「面白い」
鉤爪を構え直した。
「なら、その覚悟ごと――切り裂いてあげよう!!」
全身に走る痛みで、笠井の反応が僅かに遅れる。
(しまった――!)
銀の凶爪が眼前へ迫った――その時。
カアアアアアアア――!!
「ッ!?」
二人の真下から、眩い光が迸った。
ゴォォォォッ!!
床を突き破った巨大な光柱が、そのまま天井まで貫く。
西条が大きく後退した。
やがて光が収まる。
笠井の前には、一人の人影が立っていた。
「先生……?」
銀と金。
両手に異なる色のメリケンサックを纏った女。
「南先生!!」
南は笠井を庇うように立ち、西条を見据えていた。
「まさか、あの瘴気の檻を自力で突破するとは……少し侮り過ぎたようだ」
「あら、そう?」
南が両拳を握る。
「随分と好き勝手やってくれたわね」
銀と金の光が、静かに揺らめいた。
「笠井君」
「はい!」
南は西条から目を離さない。
「あなたがどうしてここにいるのか――今は追及しないわ」
「…………」
「その代わり、自分の使命を遂行しなさい」
「――ッ」
笠井は力強く頷いた。
「はい!!」
踵を返し、走り出す。
「逃すか!!」
西条が踏み込んだ。
カッ!!
「ッ!」
一条の光線が、その進路を貫く。
「あなたの相手は――」
南が拳を構えた。
「私のはずよ」
「…………」
「笠井君」
南は背を向けたまま言う。
「後は、任せたわよ」
「はいッ!!」
もう振り返らない。
笠井は仲間たちのもとへ走っていった。
「あ~あ。行ってしまったじゃないか」
「さっきは遅れを取ったけど――」
南の両拳へ、銀と金の光が集まっていく。
「ここからは、反撃させてもらうわ」
西条もゆっくりと鉤爪を構える。
病院を覆う闇の中。
再び、南と西条が対峙した。
次回予告
復讐ではなく、開現師としての使命を選んだ笠井。
南に西条を託し、仲間たちのもとへと走る。
一方、七瀬と小水内もまた、それぞれの場所で囚われた人々を救うため戦い続けていた。
傷だらけ。
息も絶え絶え。
それでも――三人は再び同じ場所へ集う。
「三人仲良くボロボロか……」
かつて南から「三人揃うと、本当に最悪」と評された三人。
だが今、その“最悪”が――敵へと牙を剥く。
次回、第104話「最悪の三人」




