第104話「最悪の三人」
「根岸さん! 被害者たちは、この奥にいるんですよね!」
『ああ! そっちで間違いない!』
根岸の誘導を受けながら、七瀬は薄暗い廊下を駆け抜けていく。
『だが、絶対に無茶はするなよ、七瀬君! 特に悪鬼本体との戦闘は避けるんだ! いいね!!』
「分かってますって!」
『本当に分かっているんだろうね!?』
「しつこいっすよ!」
威勢のいい返事とは裏腹に、現実側で観測機器を睨む根岸の表情は険しい。
(くそっ……こんなことになるなら、やはり潜行させるべきじゃなかったか……)
笠井は隊列を離れ、小水内もその後を追った。
三人を鬼夢へ送り込んだのは、自分だ。
もし彼らに何かあれば――。
「根岸さん」
『ん?』
「大丈夫っすよ。あの二人なら」
七瀬は足を止めない。
「勝手なことばっかしやがって腹は立ちますけど……あいつら、そう簡単にやられる奴じゃないっすから」
『……そうだね』
根岸も小さく息を吐く。
『戻ってきたら、南隊長にみっちり叱ってもらおう』
「ハハッ! そりゃいい!」
『だから今は――我々の任務を全うする!』
「うっす!」
七瀬は速度を上げた。
今は、笠井たちを追わない。
この先には、自分たちの助けを待つ者がいる。
「絶対、助けてやるからな……!」
さらに奥へと駆けていく。
やがて、廊下の先に何かが見えた。
『七瀬君! あそこだ! 被害者たちの反応がある!!』
「……あれか?」
天井から、無数の黒い糸が垂れ下がっていた。
蜘蛛の巣のように絡み合うその中に――人影がある。
「…………!」
一人ではない。
二人、三人。
さらに奥にも、何人もの人間が操り人形のように宙吊りにされていた。
「なんだよ……これ……」
糸の先端には、釣針のような鉤。
それが肩や腕、脚の皮膚へ突き刺さり、身体を吊り上げている。
「……ひでえことしやがる!」
乱武炉を顕現させる。
「根岸さん! あの糸を外せば助けられるんすよね!?」
『ああ! 被害者たちの意識はまだ残っている! 接続を断てば解放できるはずだ!』
「だったら――さっさと助ける!!」
ガキンッ!!
「なっ!?」
乱武炉が弾かれた。
「なんだこれ……かってええええ!!」
髪の毛ほどの細さにもかかわらず、簡単には断ち切れない。
「この……切れろおおおおおッ!!」
ギリギリと糸が軋み――。
ブチッ!!
「っしゃ!!」
一本を断ち切り、すぐさま次へ移る。
その時――。
ガラ……。
「ふんッ……!」
背後から、微かな音が響いた。
ガラ……ガラ……。
「くそっ、こっちも固えな……!」
七瀬は気づかない。
音だけが徐々に近づいてくる。
「もう……ちょい……!」
ブチッ!!
「っしゃ! こっちも切れたぜ!!」
ガラガラガラガラッ!!
「…………?」
七瀬が眉をひそめた。
「なんだ、この音――」
『七瀬君!! 後ろだ!!』
「ッ!?」
振り返る。
ガラガラガラガラガラッ!!
暗闇の向こうから、一人の女がストレッチャーを押して猛然と突っ込んできた。
「なっ――!?」
避ける暇はない。
ガンッ!!
だが、直撃する寸前――。
翠色の慧珠から広がった結界が、ストレッチャーを受け止めた。
「しゃあッ! 止まったな!!」
七瀬はストレッチャーを飛び越え、そのまま女へと跳びかかる。
「おらあああッ!!」
ガンッ!!
回し蹴りが顔面を捉え、その身体を廊下の奥へ吹き飛ばした。
『まだだ! 油断しちゃダメだぞ!!』
「おっす!」
七瀬は乱武炉を構える。
女は看護師の姿をしていた。
全身には血でどす黒く汚れた包帯が巻かれ、顔まですっぽり覆われている。
先ほどの一撃で、身体は見るも無惨に折れ曲がっていた。
胴体は仰向け。
それなのに顔だけが七瀬へ向き、四肢はあり得ない方向へ捻じ曲がっている。
ゴキッ。
「……は?」
ゴキ、ゴキゴキ……。
腕が戻る。
脚が捻じれ、腰が回り、背骨が不自然に持ち上がる。
最後に首が大きく傾き――再び立ち上がった。
「ギ……ギギギ……」
「気持ち悪ぃ奴だな……!」
看護師は胸元へ両手を突っ込み、二本の注射器を引き抜いた。
「――ギッ!!」
シュッ!!
「舐めんじゃねえぞ!!」
キンッ! キィンッ!!
乱武炉で二本とも弾き落とす。
「そんなもん当たるかよ!」
だが、注射器は囮だった。
「ギィィッ!!」
「ッ!?」
一気に距離を詰めた悪鬼が、新たな注射器を突き出してくる。
「くッ!!」
ガキンッ!!
二本の乱武炉で受け止める。
「ぐ……ッ!?」
七瀬の足が床を滑った。
(なんつう力だ……!)
『七瀬君! 目を閉じろ!!』
「ッ!」
即座に目を閉じる。
カッ!!
慧珠が放った強烈な閃光が、廊下を白く染めた。
「ギィッ!?」
『今だ!!』
「はああああああッ!!」
七瀬は懐へ潜り込み、その身体を持ち上げる。
「うおおおおおおッ!!」
ドガンッ!!
床へ叩きつけた。
(チャンス!!)
そのまま馬乗りになり、乱武炉を逆手に握る。
「これで――」
『待て、七瀬君!!』
「終わりだああああッ!!」
『ダメだ!!』
「――え?」
ブチッ――。
口元を覆っていた包帯が裂ける。
露わになったのは、唇のない口。
「ギィィィィッ!!」
ガブッ!!
「があああああああッ!!」
鋭い歯が右肩へ深々と食い込んだ。
「いってえええええええッ!!」
悪鬼は噛みついたまま身体を起こしていく。
「ぐ……うう……!」
振りほどこうにも、顎の力が強すぎる。
その時――。
「…………!」
廊下の奥から、人影が駆けてくる。
「悠!!」
小水内だった。
目が合った瞬間、二人は同時に動く。
小水内が慚愧彗星剣を腰だめに構え、七瀬は悪鬼の両肩へ手を置いた。
「今だああああああッ!!」
ダンッ!!
七瀬が床を蹴る。
「ふッ!!」
同時に小水内も加速した。
「ぐ……うううッ!!」
七瀬は噛みつかれたまま身体を反転させる。
ミチッ――。
「ぐあッ!!」
無理やり肩を引き抜いた。
その瞬間、悪鬼の背中が完全に晒される。
「はあああああああッ!!」
ドンッ!!
「ギ――ッ!?」
慚愧彗星剣が背中から胸部を貫通した。
「しゃあああああッ!! これで終わりだああああああ!!」
だが――。
「…………?」
小水内の表情が変わる。
(なんだ……?)
肉を貫いた感触ではない。
まるで、中身のない袋を突き刺したような――。
「七瀬!! こいつじゃない!!」
「あ?」
「悪鬼の本体は――こいつじゃない!!」
「…………!?」
小水内が慚愧彗星剣を引き抜こうとした瞬間――。
ガシッ!!
「なっ!?」
看護師の腕が小水内を掴んだ。
「くそっ、離せ!!」
その時。
ギィ……。
先ほど弾き飛ばされたストレッチャー。
そこに掛けられていた白布が、僅かに動く。
モゾッ――。
「……おい」
ゆっくりと、人影が起き上がった。
「その怪我――治してやろうか?」
「…………!」
白布が滑り落ちる。
そこにいたのは、手術着を纏った男。
だが、人間ではない。
左目には、眼球の代わりに丸い手術用の鏡。
背中からは二本の異形の腕。
右手の指は五本のメスへ置き換わり、左手首の先には――。
ギュイイイイイイイイン――。
電動ノコギリ。
「どこから――治療しようか?」
ギュイイイイイイイイン――!!
「まずは――ここからだああああああッ!!」
「なっ――ああああああああッ!?」
回転する刃が、噛み裂かれたばかりの七瀬の右肩へ押し当てられた。
ギャリギャリギャリッ!!
「があああああああああッ!!」
鮮血が飛び散る。
「動くな!! オペができないだろうが!!」
『やめろおおおおおおッ!!』
慧珠が激しく輝き、結界を展開する。
だが――。
「こら!! オペ中に勝手なことをするな!!」
シュッ――!!
指先から一本のメスが射出された。
パキィィン!!
『なっ――』
慧珠を貫き――。
パリンッ!!
粉々に砕いた。
『くッ……七瀬!!』
根岸の声が途切れる。
「七瀬!!」
小水内が駆け出そうとした瞬間――。
「ギィッ!!」
「なっ!?」
看護師の悪鬼が背後から抱きついた。
「放せ!!」
ブクッ――。
「…………?」
その腹部が膨れ上がる。
ブク、ブクブクブク――。
「まさか――」
小水内の顔から血の気が引いた。
「離れろッ!!」
バアアアアアアアアンッ!!
「ぐああああああッ!!」
看護師の身体が破裂した。
その内側から、無数の注射器が飛び散る。
シュシュシュシュシュッ!!
「ぐッ……!」
腕、肩、脚、腹部。
大量の針が小水内の身体へ突き刺さった。
「が……あ……!」
その場へ膝をつく。
「おおおおおおッ!! 素晴らしい!!」
医者が狂ったように笑った。
「彼女は命を賭して――君に予防注射をしてくれたんだぞ!!」
「……ふざ……けるな……!」
「ハハハハハハハハ!!」
哄笑が廊下へ響く。
ギイイイイイイッ!!
さらにノコギリが七瀬の肩へ食い込んだ。
「あああああああッ!!」
激痛で、視界が白く霞む。
意識が遠のく中、ふと妹の顔が浮かんだ。
花奈。
(俺が死んだら……花奈、悲しむだろうな……)
「……く、そ……」
一方、小水内も立ち上がろうともがいていた。
慚愧彗星剣を握る手が震える。
いや、全身が震えていた。
(こんな……)
訓練とは違う。
命を奪われる恐怖。
想像を遥かに超える痛み。
そして、目の前で仲間が殺されようとしているのに何もできない。
(僕たちは……甘すぎたんだ)
頬を涙が伝う。
ギュイイイイイ――。
非情にも、ノコギリの回転音だけが響き続ける。
(もう……無理だ――)
指から力が抜けた。
その瞬間――。
ブオンッ!!
ガンッ!!
「なにッ!?」
黒い塊が医者の側頭部へ直撃した。
「ぐおッ!?」
医者がよろめき、七瀬の肩からノコギリが離れる。
跳ね返った黒い塊が――。
ガランッ。
小水内の足元へ転がった。
「これは……風塵鴉鎚……!」
崩れ落ちる七瀬の身体を、一本の腕が受け止める。
「よぉ」
「…………!」
「無事か、お前たち?」
「……亮」
笠井だった。
七瀬はその顔を見つめ――。
ボコッ!!
「ぶッ!?」
左拳が顔面へ突き刺さる。
「何が『無事か』だ!! てめえ、勝手なことばっかしやがって!!」
「いってえ……」
笠井は口元の血を拭った。
「……悪かった。ちょっと頭に血ぃ昇ってた」
「もう頭は冷えたのかよ?」
「ああ」
笠井は笑う。
「もう大丈夫だ」
「……ったく」
七瀬も僅かに笑った。
「おのれえええええッ!!」
三人が振り返る。
医者がゆらりと立ち上がっていた。
「せっかく治してやっていたのにいいいいいいッ!!」
ギリギリと歯を鳴らし、懐から漆黒の果実を取り出す。
「なんだ、あれ……?」
「ハアッ!!」
そのまま一気に齧りついた。
グワッ、グワッ――。
血のような果汁を溢れさせながら飲み込み――。
「アアアアアアアアッ!!」
ストレッチャーに積まれていた医療器具が、次々と宙へ浮かび上がる。
ハサミ。
注射器。
AED。
鉗子。
それらが肉体へ食い込み、強引に融合していく。
ブチッ。
ゴキッ。
新たな腕が肉を突き破り、やがて六本の異形の腕が蠢き始めた。
「まだ強くなんのかよ……」
「ハハハハハハ!! 安心したまえ!!」
電動ノコギリが唸り、ハサミが開閉する。
「今度こそ――君たち三人を一つの肉体にしてあげよう!!」
「誰がなるかよ」
笠井が吐き捨て、背後へ手を伸ばす。
「おい、小水内! 俺たち二人じゃキツそうだ。ちょっと手ぇ貸せよ」
「…………」
小水内は足元の風塵鴉鎚を拾った。
先ほどまで震えていた手で、その柄をしっかりと握る。
「僕に指図するな」
風塵鴉鎚を放った。
「っと!」
笠井が受け取る。
小水内も慚愧彗星剣を構え、その隣へ並んだ。
「それより、お前たちこそやれるのか?」
「あ?」
「無理なら休んでいてもいいんだぞ」
「はあ!? 馬鹿言え! ボロボロなのはてめえもだろうが!」
「違いない」
笠井も笑う。
肩を抉られた七瀬。
大量の注射器を受けた小水内。
西条との戦いで全身に傷を負った笠井。
三人とも――満身創痍。
「三人仲良くボロボロか……」
七瀬が乱武炉を構える。
小水内が慚愧彗星剣を。
笠井が風塵鴉鎚を。
三人が、再び並んだ。
「だったら、とっととあいつをぶっ飛ばして――」
七瀬が笑う。
「任務完了といこうじゃねえか!!」
「上等だ!!」
「ああ!」
三人は同時に床を蹴った。
「そんなに診てほしいなら――」
狂医者が六本の腕を大きく広げる。
「三人まとめて切ってあげよう!!」
五本のメスが、一斉に三人へ襲いかかった。
「任せろ!!」
真っ先に前へ飛び出したのは七瀬。
二本の乱武炉を交差させる。
ガキンッ!!
三つ又に分かれた刃が、五本のメスをまとめて絡め取った。
「ぐッ……!」
「ハハハハ!! まだあるぞ!!」
ギュイイイイイイイイン――!!
「ちッ!」
横合いから電動ノコギリが七瀬の脇腹へ迫る。
左手の乱武炉でメスを押さえ込みながら、右手を滑り込ませた。
ガリガリガリガリッ!!
「ぐ……ううッ!!」
回転する刃と乱武炉が激しく削り合い、無数の火花が散る。
五本のメスと電動ノコギリ。
六本の腕を、七瀬一人で食い止めた。
「おらッ!! とっとと攻めろ!!」
「言われなくても!!」
その左右から、二つの影が走る。
右――笠井。
左――小水内。
「させるかああああ!!」
狂医者の鋏が大きく開き、笠井の顔面を挟み込もうと迫る。
「おっせえええんだよ!!」
ガンッ!!
風塵鴉鎚が鋏を横殴りに弾き飛ばした。
そのまま片足を踏み込み、振り抜く。
「月樹!! 合わせろ!!」
「おうさ!!」
笠井の周囲で風が渦巻く。
同時に、七瀬の乱武炉から炎が噴き上がった。
火と風。
二つの力が重なる。
「いっけええええええッ!!」
ゴオオオオオオオオッ!!
「ひいいいいいいいいいッ!?」
爆発的に膨れ上がった炎が、狂医者の身体を呑み込んだ。
「熱い!! 熱いいいいいい!!」
六本の腕を振り乱しながら後退する。
「お、おのれ……よくも――」
「よそ見するな」
「――ッ!?」
揺らめく炎の向こうから、銀色の切っ先が飛び出した。
慚愧彗星剣を構えた小水内が、一気に間合いを詰める。
「馬鹿め!!」
狂医者が嗤う。
六本の腕の一つ。
そこに取り付けられたAEDが、小水内へ向けられた。
「不用意に飛び込めば――」
バチッ!!
電極板の間に、激しい稲光が走る。
「痛い目を見るぞ!!」
バリバリバリバリッ!!
「ぐッ――!!」
電撃が小水内の全身を駆け抜ける。
「悠!!」
七瀬が叫ぶ。
だが、小水内は止まらない。
「なっ……!?」
全身が痺れ、足の感覚さえ消えかけている。
それでも――小水内には見えていた。
あと一歩。
このまま踏み込めば、届く。
「その程度――僕が退く理由にはならない!!」
ダンッ!!
最後の一歩を踏み込む。
「バカは――そっちだ!!」
慚愧彗星剣が突き出された。
シュシュシュシュシュシュッ!!
「なっ――!?」
一突き。
二突き。
三突き。
数え切れないほどの鋭い刺突が、流星のように狂医者へ降り注ぐ。
「ぐああああああああッ!!」
胸。
肩。
腹。
六本の腕。
次々と風穴が開いていく。
「さあ――」
最後の一突きで、狂医者の身体が大きく仰け反った。
「しっかり決めろよ! 笠井!!」
「ああ!!」
すでに笠井は走り出している。
小水内が身を屈めた。
その背を足場に――。
ダンッ!!
笠井が高く跳び上がる。
「決めてやるよ!!」
両手で握った風塵鴉鎚を大きく振りかぶった。
風が、黒い鉄塊へ集束していく。
「三人分――まとめて食らいやがれええええええッ!!」
ブオンッ!!
「ひッ――!?」
狂医者が顔を上げる。
だが、もう遅い。
ガンッ!!
「はぎゃああああああああああッ!?」
風塵鴉鎚が顔面のど真ん中へ叩き込まれた。
バキィィン!!
左眼に埋め込まれていた丸鏡が粉々に砕ける。
衝撃に身体が弾き飛ばされ――。
ドンッ!!
床へ叩きつけられ、そのまま廊下の奥へ転がっていく。
「ハッ……ハッ……」
息を切らしながら、七瀬が笑った。
「やったんじゃねえか……?」
「まだ分からない」
小水内は慚愧彗星剣を構えたまま、倒れた狂医者を睨みつける。
「ああ」
笠井も風塵鴉鎚を肩へ担いだ。
「おい、藪医者!!」
大声を張り上げる。
「こっちはようやくボルテージが上がってきたところだ!!」
「…………」
「まだやるってんなら――てめえも覚悟決めな!!」
ピクリ。
倒れていた狂医者の指が動いた。
「……貴様ら」
「あ?」
ゆらりと上半身を起こす。
砕けた丸鏡の破片が、顔面からぼろぼろと零れ落ちる。
鼻から。
口から。
大量の血を流しながら――。
「貴様らああああああああッ!!」
残った眼が、憎悪に染まった。
これまでの狂喜とは違う。
剥き出しの怒り。
「全員!! バラバラに刻んで――犬畜生の餌にしてやるうううううううッ!!」
「……治療はどうしたんだよ」
七瀬が呆れたように吐き捨てる。
「黙れええええええッ!!」
その瞬間――。
ズルッ。
「…………?」
笠井が眉をひそめた。
砕けた左眼。
その奥で、何かが蠢いている。
「なんだ、あれ……」
ズルズルズル――。
眼窩から、無数の細い黒糸が這い出してきた。
「…………!」
小水内の表情が変わる。
「七瀬……!」
「分かってる!」
見覚えがある。
被害者たちを吊り上げていた――あの糸。
シュルシュルシュルッ!!
無数の糸が一斉に天井へ伸びる。
「おい、まさか――!」
七瀬が振り返った。
その先には、まだ宙吊りにされたままの被害者たち。
一本。
二本。
三本――。
次々と黒い糸が、その身体へ繋がっていく。
ビクンッ!!
「…………!」
一人が大きく痙攣した。
続いて――。
ビクッ。
ビクンッ!!
吊られた者たちの身体が、一斉に不自然な動きを始める。
「ハハ……ハハハハハ……!」
狂医者がゆっくりと立ち上がった。
「てめえ……!」
笠井の表情から、先ほどまでの笑みが消える。
「ようやく――」
無数の黒糸を眼窩から伸ばしたまま、狂医者が六本の腕を広げた。
「本当の手術を始められる……!」
そして――。
吊られた被害者たちが、一斉に動いた。
次回予告
再び集った、笠井、小水内、七瀬。
傷だらけの三人は、それでも互いの役割を理解し、狂医者を追い詰めていく。
だが――敵は、救うべき患者たちを操り人形へと変えた。
攻撃すれば、傷つくのは被害者。
躊躇すれば、自分たちが削られていく。
追い詰められる三人。
そして笠井の胸の奥で、長く拒み続けてきた“黒い翼”が再び姿を現す。
怒りも。
後悔も。
父を失った痛みも。
すべてを背負う覚悟を決めた時――。
笠井亮は、初めてその名を呼ぶ。
次回、第105話「風鴉」




