↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢幻開現師―悪夢を断つ者―  作者: ks21
第零章「胡馬北風《中》」
PR
104/108

第104話「最悪の三人」

「根岸さん! 被害者たちは、この奥にいるんですよね!」


『ああ! そっちで間違いない!』


 根岸の誘導を受けながら、七瀬は薄暗い廊下を駆け抜けていく。


『だが、絶対に無茶はするなよ、七瀬君! 特に悪鬼本体との戦闘は避けるんだ! いいね!!』


「分かってますって!」


『本当に分かっているんだろうね!?』


「しつこいっすよ!」


 威勢のいい返事とは裏腹に、現実側で観測機器を睨む根岸の表情は険しい。


(くそっ……こんなことになるなら、やはり潜行させるべきじゃなかったか……)


 笠井は隊列を離れ、小水内もその後を追った。


 三人を鬼夢へ送り込んだのは、自分だ。


 もし彼らに何かあれば――。


「根岸さん」


『ん?』


「大丈夫っすよ。あの二人なら」


 七瀬は足を止めない。


「勝手なことばっかしやがって腹は立ちますけど……あいつら、そう簡単にやられる奴じゃないっすから」


『……そうだね』


 根岸も小さく息を吐く。


『戻ってきたら、南隊長にみっちり叱ってもらおう』


「ハハッ! そりゃいい!」


『だから今は――我々の任務を全うする!』


「うっす!」


 七瀬は速度を上げた。


 今は、笠井たちを追わない。


 この先には、自分たちの助けを待つ者がいる。


「絶対、助けてやるからな……!」


 さらに奥へと駆けていく。


 やがて、廊下の先に何かが見えた。


『七瀬君! あそこだ! 被害者たちの反応がある!!』


「……あれか?」


 天井から、無数の黒い糸が垂れ下がっていた。


 蜘蛛の巣のように絡み合うその中に――人影がある。


「…………!」


 一人ではない。


 二人、三人。


 さらに奥にも、何人もの人間が操り人形のように宙吊りにされていた。


「なんだよ……これ……」


 糸の先端には、釣針のような鉤。


 それが肩や腕、脚の皮膚へ突き刺さり、身体を吊り上げている。


「……ひでえことしやがる!」


 乱武炉《らんぶろ》を顕現させる。


「根岸さん! あの糸を外せば助けられるんすよね!?」


『ああ! 被害者たちの意識はまだ残っている! 接続を断てば解放できるはずだ!』


「だったら――さっさと助ける!!」


 ガキンッ!!


「なっ!?」


 乱武炉が弾かれた。


「なんだこれ……かってええええ!!」


 髪の毛ほどの細さにもかかわらず、簡単には断ち切れない。


「この……切れろおおおおおッ!!」


 ギリギリと糸が軋み――。


 ブチッ!!


「っしゃ!!」


 一本を断ち切り、すぐさま次へ移る。


 その時――。


 ガラ……。


「ふんッ……!」


 背後から、微かな音が響いた。


 ガラ……ガラ……。


「くそっ、こっちも固えな……!」


 七瀬は気づかない。


 音だけが徐々に近づいてくる。


「もう……ちょい……!」


 ブチッ!!


「っしゃ! こっちも切れたぜ!!」


 ガラガラガラガラッ!!


「…………?」


 七瀬が眉をひそめた。


「なんだ、この音――」


『七瀬君!! 後ろだ!!』


「ッ!?」


 振り返る。


 ガラガラガラガラガラッ!!


 暗闇の向こうから、一人の女がストレッチャーを押して猛然と突っ込んできた。


「なっ――!?」


 避ける暇はない。


 ガンッ!!


 だが、直撃する寸前――。


 翠色の慧珠《えじゅ》から広がった結界が、ストレッチャーを受け止めた。


「しゃあッ! 止まったな!!」


 七瀬はストレッチャーを飛び越え、そのまま女へと跳びかかる。


「おらあああッ!!」


 ガンッ!!


 回し蹴りが顔面を捉え、その身体を廊下の奥へ吹き飛ばした。


『まだだ! 油断しちゃダメだぞ!!』


「おっす!」


 七瀬は乱武炉を構える。


 女は看護師の姿をしていた。


 全身には血でどす黒く汚れた包帯が巻かれ、顔まですっぽり覆われている。


 先ほどの一撃で、身体は見るも無惨に折れ曲がっていた。


 胴体は仰向け。


 それなのに顔だけが七瀬へ向き、四肢はあり得ない方向へ捻じ曲がっている。


 ゴキッ。


「……は?」


 ゴキ、ゴキゴキ……。


 腕が戻る。


 脚が捻じれ、腰が回り、背骨が不自然に持ち上がる。


 最後に首が大きく傾き――再び立ち上がった。


「ギ……ギギギ……」


「気持ち悪ぃ奴だな……!」


 看護師は胸元へ両手を突っ込み、二本の注射器を引き抜いた。


「――ギッ!!」


 シュッ!!


「舐めんじゃねえぞ!!」


 キンッ! キィンッ!!


 乱武炉で二本とも弾き落とす。


「そんなもん当たるかよ!」


 だが、注射器は囮だった。


「ギィィッ!!」


「ッ!?」


 一気に距離を詰めた悪鬼が、新たな注射器を突き出してくる。


「くッ!!」


 ガキンッ!!


 二本の乱武炉で受け止める。


「ぐ……ッ!?」


 七瀬の足が床を滑った。


(なんつう力だ……!)


『七瀬君! 目を閉じろ!!』


「ッ!」


 即座に目を閉じる。


 カッ!!


 慧珠が放った強烈な閃光が、廊下を白く染めた。


「ギィッ!?」


『今だ!!』


「はああああああッ!!」


 七瀬は懐へ潜り込み、その身体を持ち上げる。


「うおおおおおおッ!!」


 ドガンッ!!


 床へ叩きつけた。


(チャンス!!)


 そのまま馬乗りになり、乱武炉を逆手に握る。


「これで――」


『待て、七瀬君!!』


「終わりだああああッ!!」


『ダメだ!!』


「――え?」


 ブチッ――。


 口元を覆っていた包帯が裂ける。


 露わになったのは、唇のない口。


「ギィィィィッ!!」


 ガブッ!!


「があああああああッ!!」


 鋭い歯が右肩へ深々と食い込んだ。


「いってえええええええッ!!」


 悪鬼は噛みついたまま身体を起こしていく。


「ぐ……うう……!」


 振りほどこうにも、顎の力が強すぎる。


 その時――。


「…………!」


 廊下の奥から、人影が駆けてくる。


「悠!!」


 小水内だった。


 目が合った瞬間、二人は同時に動く。


 小水内が慚愧彗星剣《ざんきすいせいけん》を腰だめに構え、七瀬は悪鬼の両肩へ手を置いた。


「今だああああああッ!!」


 ダンッ!!


 七瀬が床を蹴る。


「ふッ!!」


 同時に小水内も加速した。


「ぐ……うううッ!!」


 七瀬は噛みつかれたまま身体を反転させる。


 ミチッ――。


「ぐあッ!!」


 無理やり肩を引き抜いた。


 その瞬間、悪鬼の背中が完全に晒される。


「はあああああああッ!!」


 ドンッ!!


「ギ――ッ!?」


 慚愧彗星剣が背中から胸部を貫通した。


「しゃあああああッ!! これで終わりだああああああ!!」


 だが――。


「…………?」


 小水内の表情が変わる。


(なんだ……?)


 肉を貫いた感触ではない。


 まるで、中身のない袋を突き刺したような――。


「七瀬!! こいつじゃない!!」


「あ?」


「悪鬼の本体は――こいつじゃない!!」


「…………!?」


 小水内が慚愧彗星剣を引き抜こうとした瞬間――。


 ガシッ!!


「なっ!?」


 看護師の腕が小水内を掴んだ。


「くそっ、離せ!!」


 その時。


 ギィ……。


 先ほど弾き飛ばされたストレッチャー。


 そこに掛けられていた白布が、僅かに動く。


 モゾッ――。


「……おい」


 ゆっくりと、人影が起き上がった。


「その怪我――治してやろうか?」


「…………!」


 白布が滑り落ちる。


 そこにいたのは、手術着を纏った男。


 だが、人間ではない。


 左目には、眼球の代わりに丸い手術用の鏡。


 背中からは二本の異形の腕。


 右手の指は五本のメスへ置き換わり、左手首の先には――。


 ギュイイイイイイイイン――。


 電動ノコギリ。


「どこから――治療しようか?」


 ギュイイイイイイイイン――!!


「まずは――ここからだああああああッ!!」


「なっ――ああああああああッ!?」


 回転する刃が、噛み裂かれたばかりの七瀬の右肩へ押し当てられた。


 ギャリギャリギャリッ!!


「があああああああああッ!!」


 鮮血が飛び散る。


「動くな!! オペができないだろうが!!」


『やめろおおおおおおッ!!』


 慧珠が激しく輝き、結界を展開する。


 だが――。


「こら!! オペ中に勝手なことをするな!!」


 シュッ――!!


 指先から一本のメスが射出された。


 パキィィン!!


『なっ――』


 慧珠を貫き――。


 パリンッ!!


 粉々に砕いた。


『くッ……七瀬!!』


 根岸の声が途切れる。


「七瀬!!」


 小水内が駆け出そうとした瞬間――。


「ギィッ!!」


「なっ!?」


 看護師の悪鬼が背後から抱きついた。


「放せ!!」


 ブクッ――。


「…………?」


 その腹部が膨れ上がる。


 ブク、ブクブクブク――。


「まさか――」


 小水内の顔から血の気が引いた。


「離れろッ!!」


 バアアアアアアアアンッ!!


「ぐああああああッ!!」


 看護師の身体が破裂した。


 その内側から、無数の注射器が飛び散る。


 シュシュシュシュシュッ!!


「ぐッ……!」


 腕、肩、脚、腹部。


 大量の針が小水内の身体へ突き刺さった。


「が……あ……!」


 その場へ膝をつく。


「おおおおおおッ!! 素晴らしい!!」


 医者が狂ったように笑った。


「彼女は命を賭して――君に予防注射をしてくれたんだぞ!!」


「……ふざ……けるな……!」


「ハハハハハハハハ!!」


 哄笑が廊下へ響く。


 ギイイイイイイッ!!


 さらにノコギリが七瀬の肩へ食い込んだ。


「あああああああッ!!」


 激痛で、視界が白く霞む。


 意識が遠のく中、ふと妹の顔が浮かんだ。


 花奈。


(俺が死んだら……花奈、悲しむだろうな……)


「……く、そ……」


 一方、小水内も立ち上がろうともがいていた。


 慚愧彗星剣を握る手が震える。


 いや、全身が震えていた。


(こんな……)


 訓練とは違う。


 命を奪われる恐怖。


 想像を遥かに超える痛み。


 そして、目の前で仲間が殺されようとしているのに何もできない。


(僕たちは……甘すぎたんだ)


 頬を涙が伝う。


 ギュイイイイイ――。


 非情にも、ノコギリの回転音だけが響き続ける。


(もう……無理だ――)


 指から力が抜けた。


 その瞬間――。


 ブオンッ!!


 ガンッ!!


「なにッ!?」


 黒い塊が医者の側頭部へ直撃した。


「ぐおッ!?」


 医者がよろめき、七瀬の肩からノコギリが離れる。


 跳ね返った黒い塊が――。


 ガランッ。


 小水内の足元へ転がった。


「これは……風塵鴉鎚……!」


 崩れ落ちる七瀬の身体を、一本の腕が受け止める。


「よぉ」


「…………!」


「無事か、お前たち?」


「……亮」


 笠井だった。


 七瀬はその顔を見つめ――。


 ボコッ!!


「ぶッ!?」


 左拳が顔面へ突き刺さる。


「何が『無事か』だ!! てめえ、勝手なことばっかしやがって!!」


「いってえ……」


 笠井は口元の血を拭った。


「……悪かった。ちょっと頭に血ぃ昇ってた」


「もう頭は冷えたのかよ?」


「ああ」


 笠井は笑う。


「もう大丈夫だ」


「……ったく」


 七瀬も僅かに笑った。


「おのれえええええッ!!」


 三人が振り返る。


 医者がゆらりと立ち上がっていた。


「せっかく治してやっていたのにいいいいいいッ!!」


 ギリギリと歯を鳴らし、懐から漆黒の果実を取り出す。


「なんだ、あれ……?」


「ハアッ!!」


 そのまま一気に齧りついた。


 グワッ、グワッ――。


 血のような果汁を溢れさせながら飲み込み――。


「アアアアアアアアッ!!」


 ストレッチャーに積まれていた医療器具が、次々と宙へ浮かび上がる。


 ハサミ。


 注射器。


 AED。


 鉗子。


 それらが肉体へ食い込み、強引に融合していく。


 ブチッ。


 ゴキッ。


 新たな腕が肉を突き破り、やがて六本の異形の腕が蠢き始めた。


「まだ強くなんのかよ……」


「ハハハハハハ!! 安心したまえ!!」


 電動ノコギリが唸り、ハサミが開閉する。


「今度こそ――君たち三人を一つの肉体にしてあげよう!!」


「誰がなるかよ」


 笠井が吐き捨て、背後へ手を伸ばす。


「おい、小水内! 俺たち二人じゃキツそうだ。ちょっと手ぇ貸せよ」


「…………」


 小水内は足元の風塵鴉鎚《ふうじんがつい》を拾った。


 先ほどまで震えていた手で、その柄をしっかりと握る。


「僕に指図するな」


 風塵鴉鎚を放った。


「っと!」


 笠井が受け取る。


 小水内も慚愧彗星剣を構え、その隣へ並んだ。


「それより、お前たちこそやれるのか?」


「あ?」


「無理なら休んでいてもいいんだぞ」


「はあ!? 馬鹿言え! ボロボロなのはてめえもだろうが!」


「違いない」


 笠井も笑う。


 肩を抉られた七瀬。


 大量の注射器を受けた小水内。


 西条との戦いで全身に傷を負った笠井。


 三人とも――満身創痍。


「三人仲良くボロボロか……」


 七瀬が乱武炉を構える。


 小水内が慚愧彗星剣を。


 笠井が風塵鴉鎚を。


 三人が、再び並んだ。


「だったら、とっととあいつをぶっ飛ばして――」


 七瀬が笑う。


「任務完了といこうじゃねえか!!」


「上等だ!!」


「ああ!」


 三人は同時に床を蹴った。


「そんなに診てほしいなら――」


 狂医者が六本の腕を大きく広げる。


「三人まとめて切ってあげよう!!」


 五本のメスが、一斉に三人へ襲いかかった。


「任せろ!!」


 真っ先に前へ飛び出したのは七瀬。


 二本の乱武炉を交差させる。


 ガキンッ!!


 三つ又に分かれた刃が、五本のメスをまとめて絡め取った。


「ぐッ……!」


「ハハハハ!! まだあるぞ!!」


 ギュイイイイイイイイン――!!


「ちッ!」


 横合いから電動ノコギリが七瀬の脇腹へ迫る。


 左手の乱武炉でメスを押さえ込みながら、右手を滑り込ませた。


 ガリガリガリガリッ!!


「ぐ……ううッ!!」


 回転する刃と乱武炉が激しく削り合い、無数の火花が散る。


 五本のメスと電動ノコギリ。


 六本の腕を、七瀬一人で食い止めた。


「おらッ!! とっとと攻めろ!!」


「言われなくても!!」


 その左右から、二つの影が走る。


 右――笠井。


 左――小水内。


「させるかああああ!!」


 狂医者の鋏が大きく開き、笠井の顔面を挟み込もうと迫る。


「おっせえええんだよ!!」


 ガンッ!!


 風塵鴉鎚が鋏を横殴りに弾き飛ばした。


 そのまま片足を踏み込み、振り抜く。


「月樹!! 合わせろ!!」


「おうさ!!」


 笠井の周囲で風が渦巻く。


 同時に、七瀬の乱武炉から炎が噴き上がった。


 火と風。


 二つの力が重なる。


「いっけええええええッ!!」


 ゴオオオオオオオオッ!!


「ひいいいいいいいいいッ!?」


 爆発的に膨れ上がった炎が、狂医者の身体を呑み込んだ。


「熱い!! 熱いいいいいい!!」


 六本の腕を振り乱しながら後退する。


「お、おのれ……よくも――」


「よそ見するな」


「――ッ!?」


 揺らめく炎の向こうから、銀色の切っ先が飛び出した。


 慚愧彗星剣を構えた小水内が、一気に間合いを詰める。


「馬鹿め!!」


 狂医者が嗤う。


 六本の腕の一つ。


 そこに取り付けられたAEDが、小水内へ向けられた。


「不用意に飛び込めば――」


 バチッ!!


 電極板の間に、激しい稲光が走る。


「痛い目を見るぞ!!」


 バリバリバリバリッ!!


「ぐッ――!!」


 電撃が小水内の全身を駆け抜ける。


「悠!!」


 七瀬が叫ぶ。


 だが、小水内は止まらない。


「なっ……!?」


 全身が痺れ、足の感覚さえ消えかけている。


 それでも――小水内には見えていた。


 あと一歩。


 このまま踏み込めば、届く。


「その程度――僕が退く理由にはならない!!」


 ダンッ!!


 最後の一歩を踏み込む。


「バカは――そっちだ!!」


 慚愧彗星剣が突き出された。


 シュシュシュシュシュシュッ!!


「なっ――!?」


 一突き。


 二突き。


 三突き。


 数え切れないほどの鋭い刺突が、流星のように狂医者へ降り注ぐ。


「ぐああああああああッ!!」


 胸。


 肩。


 腹。


 六本の腕。


 次々と風穴が開いていく。


「さあ――」


 最後の一突きで、狂医者の身体が大きく仰け反った。


「しっかり決めろよ! 笠井!!」


「ああ!!」


 すでに笠井は走り出している。


 小水内が身を屈めた。


 その背を足場に――。


 ダンッ!!


 笠井が高く跳び上がる。


「決めてやるよ!!」


 両手で握った風塵鴉鎚を大きく振りかぶった。


 風が、黒い鉄塊へ集束していく。


「三人分――まとめて食らいやがれええええええッ!!」


 ブオンッ!!


「ひッ――!?」


 狂医者が顔を上げる。


 だが、もう遅い。


 ガンッ!!


「はぎゃああああああああああッ!?」


 風塵鴉鎚が顔面のど真ん中へ叩き込まれた。


 バキィィン!!


 左眼に埋め込まれていた丸鏡が粉々に砕ける。


 衝撃に身体が弾き飛ばされ――。


 ドンッ!!


 床へ叩きつけられ、そのまま廊下の奥へ転がっていく。


「ハッ……ハッ……」


 息を切らしながら、七瀬が笑った。


「やったんじゃねえか……?」


「まだ分からない」


 小水内は慚愧彗星剣を構えたまま、倒れた狂医者を睨みつける。


「ああ」


 笠井も風塵鴉鎚を肩へ担いだ。


「おい、藪医者!!」


 大声を張り上げる。


「こっちはようやくボルテージが上がってきたところだ!!」


「…………」


「まだやるってんなら――てめえも覚悟決めな!!」


 ピクリ。


 倒れていた狂医者の指が動いた。


「……貴様ら」


「あ?」


 ゆらりと上半身を起こす。


 砕けた丸鏡の破片が、顔面からぼろぼろと零れ落ちる。


 鼻から。


 口から。


 大量の血を流しながら――。


「貴様らああああああああッ!!」


 残った眼が、憎悪に染まった。


 これまでの狂喜とは違う。


 剥き出しの怒り。


「全員!! バラバラに刻んで――犬畜生の餌にしてやるうううううううッ!!」


「……治療はどうしたんだよ」


 七瀬が呆れたように吐き捨てる。


「黙れええええええッ!!」


 その瞬間――。


 ズルッ。


「…………?」


 笠井が眉をひそめた。


 砕けた左眼。


 その奥で、何かが蠢いている。


「なんだ、あれ……」


 ズルズルズル――。


 眼窩から、無数の細い黒糸が這い出してきた。


「…………!」


 小水内の表情が変わる。


「七瀬……!」


「分かってる!」


 見覚えがある。


 被害者たちを吊り上げていた――あの糸。


 シュルシュルシュルッ!!


 無数の糸が一斉に天井へ伸びる。


「おい、まさか――!」


 七瀬が振り返った。


 その先には、まだ宙吊りにされたままの被害者たち。


 一本。


 二本。


 三本――。


 次々と黒い糸が、その身体へ繋がっていく。


 ビクンッ!!


「…………!」


 一人が大きく痙攣した。


 続いて――。


 ビクッ。


 ビクンッ!!


 吊られた者たちの身体が、一斉に不自然な動きを始める。


「ハハ……ハハハハハ……!」


 狂医者がゆっくりと立ち上がった。


「てめえ……!」


 笠井の表情から、先ほどまでの笑みが消える。


「ようやく――」


 無数の黒糸を眼窩から伸ばしたまま、狂医者が六本の腕を広げた。


「本当の手術を始められる……!」


 そして――。


 吊られた被害者たちが、一斉に動いた。

次回予告


 再び集った、笠井、小水内、七瀬。


 傷だらけの三人は、それでも互いの役割を理解し、狂医者を追い詰めていく。


 だが――敵は、救うべき患者たちを操り人形へと変えた。


 攻撃すれば、傷つくのは被害者。


 躊躇すれば、自分たちが削られていく。


 追い詰められる三人。


 そして笠井の胸の奥で、長く拒み続けてきた“黒い翼”が再び姿を現す。


 怒りも。


 後悔も。


 父を失った痛みも。


 すべてを背負う覚悟を決めた時――。


 笠井亮は、初めてその名を呼ぶ。


 次回、第105話「風鴉」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。