第105話「風鴉」
「うおおおおおッ!!」
「ッ!」
患者の一人が、七瀬へ拳を振り下ろした。
「ああ、もう! 最悪だろ、これ!!」
身体を捻って躱し、すれ違いざまに乱武炉を振るう。
ガキンッ!!
狙うのは被害者ではない。
その身体を操る――黒い糸。
「くそっ、やっぱ固え!!」
一人の身体に何本もの糸が伸び、そのすべてが狂医者へと繋がっている。
「だが、何とかするしかないだろ!!」
小水内も慚愧彗星剣を振るい、黒い糸を断ち切っていく。
だが――。
「ぐッ!?」
脇腹へ拳が入った。
さらに背後から蹴りを受ける。
「うぐッ……!」
ただでさえ満身創痍の身体へ、容赦なく攻撃が積み重なる。
それでも反撃はできない。
目の前にいるのは――救うべき被害者たちなのだから。
(厄介すぎる……!)
小水内は迫る拳を受け流し、黒い糸へ刃を滑らせる。
ブチッ!!
一本を切った直後、また別の傀儡が迫った。
「七瀬! とにかく今は耐えるぞ!!」
「ああ!」
七瀬も拳を紙一重で躱す。
「亮の野郎がくたばる前に、全員助けりゃいいんだろ!!」
「そういうことだ!!」
「だったら――やってやるよ!!」
二人は再び被害者たちの中へ飛び込んだ。
その奥では――。
「キャハハハッ! さっきは随分と痛めつけてくれたねえ!!」
狂医者の六本の腕が、一斉に笠井へ襲いかかる。
右。
左。
上――。
「くッ!!」
下から迫る鋏を飛び退いて躱し、顔面へ突き出された五本のメスを風塵鴉鎚で弾く。
「ちぃッ!!」
だが――。
ギュイイイイイイインッ!!
「ぐッ!?」
死角から迫った電動ノコギリが脇腹を掠め、鮮血が飛んだ。
三人へ分散していた攻撃を、一人で引き受けている。
すべてを捌き切れるはずもない。
「ハハハハハ!! どうした、さっきまでの威勢は!!」
「うる……せえッ!!」
笠井が風塵鴉鎚を振り上げる。
「はあああああああッ!!」
そのまま叩き込もうとした――その時。
「おおっと」
狂医者が笑う。
「少し頼むよ――君たち」
「…………!」
黒い糸が蠢き、二人の患者が狂医者の前へ引き寄せられた。
「ちッ!!」
笠井は寸前で風塵鴉鎚を止める。
「キャハハハハ!! ほら! 早く殴りたまえよ!!」
「てめえ……!」
強引に振り抜けば、被害者まで巻き込む。
だが――。
シュッ!!
「ぐッ!!」
患者の陰から飛び出したメスが、笠井の頬を切り裂いた。
「亮!!」
七瀬が叫ぶ。
だが、そちらも余裕はない。
「うおおおおッ!!」
ガキンッ!!
「くそっ!! まだ切れねえのかよ!!」
「七瀬! そっちへ三人行ったぞ!!」
「分かってる!!」
小水内も迫る患者たちを捌きながら、必死に糸を狙う。
だが、二人だけですべてを抑えることなどできない。
「ぐッ!?」
小水内の腹部へ拳が突き刺さる。
「がッ……!」
七瀬も蹴りを受け、床を滑った。
「ハアッ……ハアッ……」
三人の呼吸が荒くなる。
笠井には、西条との戦いで負った傷。
七瀬には、抉られた右肩。
小水内には、全身へ突き刺された注射器の傷。
誰一人として万全ではない。
「くそっ……!」
笠井は、被害者を盾に嗤う狂医者を睨みつけた。
三人で戦えば、こいつを追い詰められる。
それなのに――。
(殴れねえ……!)
攻撃すれば、人を傷つける。
躊躇すれば、自分たちが削られていく。
(どうすりゃいい……!)
◇◇◇
瘴気渦巻く病院の上空にて――。
南と西条が、再び激突していた。
「はああああッ!!」
南が銀の拳を振り抜く。
カッ!!
巨大な光柱が空を貫いた。
「っと……!」
西条は身を翻して躱し、そのまま一気に距離を詰める。
「甘い!!」
南が黄金の《色欲》を振り下ろした。
パッ!!
一本の光が、無数の細い光線へと枝分かれする。
シュシュシュシュシュッ!!
降り注ぐ光の雨を、西条は空中を駆けながら躱していく。
(――気配が読めない)
黄金の光に紛れ、南の姿が消えた。
「そんなに私に会いたいなら――」
「ッ!?」
光の奔流を突き破り、南が眼前へ現れる。
「プレゼントをあげる!!」
ブオンッ!!
鋭い右ストレート。
「随分と――」
ガンッ!!
西条は鉤爪の手甲で受け止める。
「強烈なプレゼント――だッ!!」
もう一方の鉤爪が南の顔面を狙う。
「遅い!!」
だが、すでに黄金の拳には光が集束していた。
「はッ!!」
カッ!!
「――ッ!」
至近距離から無数の光線が放たれる。
ドドドドドドッ!!
「ぐ……ッ!」
西条は両腕の手甲を交差させ、その身体を大きく後方へ押し流された。
光が収まる。
それでも、南は追わない。
「なるほど……やはり、そう安々とは飛び込んでこないか」
「…………」
南の視線が、西条の背後へ向く。
瘴気の中で揺れる――尾型の短刀。
迂闊に死角へ回り込めば、あの刃が襲いかかる。
「……案外、あなたも強か《したたか》なのね」
「お褒めに預かり光栄だよ」
西条も両腕の鉤爪を広げる。
南は笑みを崩さない。
(やっぱり、《色欲》じゃ決定打にはならないわね)
黄金の拳へ一瞬だけ視線を落とす。
(となると――《無色》を叩き込むしかない)
「で――まだやるのかい?」
「ええ」
南は即答した。
「あなたみたいな危険人物を放っておくほど、平和ボケしてないつもりよ」
「…………」
「それに――」
南は西条を鋭く見据えた。
「あなた、ただの悪鬼じゃないわね?」
「ほう」
西条の眉が僅かに動く。
「どうして、そう思うんだい?」
「とぼけても無駄よ」
南は拳を構えたまま、視線を逸らさない。
「力も、知識も、立ち振る舞いも――そこらの悪鬼とはまるで違う」
「…………」
「あなた……一体、何者なの?」
僅かな沈黙。
だが、西条はすぐに笑った。
「さて――何者だろうね?」
「……教える気はないってことね」
「ご想像にお任せするよ」
「そう」
南も、それ以上は追及しなかった。
「だったら――殴って聞き出すまでよ」
「はは。それは怖いな」
笑みを交わしながらも、二人の視線は絶えず相手を探っている。
間合い。
呼吸。
次の一手。
「…………」
西条は静かに南を見据えた。
(なるほど……)
先ほどまでの軽い笑みが、僅かに薄れる。
(やはり、そこらの開現師とは違う)
一撃一撃が重い。
それ以上に厄介なのは、戦いの最中にも相手の動きを見極め、次の手を組み立て続けていること。
(まともに受け続ければ、こちらとて無傷では済まないか)
だが、西条の瞳から余裕が消えることはなかった。
一方、南の脳裏には笠井たちの姿がよぎっていた。
(これ以上、時間はかけられない)
(あの子たちを、これ以上危険に晒すわけにはいかない)
「悪いけど――」
南が銀の拳を下ろした。
「いつまでも、あなたとじゃれ合ってるつもりはないの」
「…………?」
空気が変わる。
西条の笑みが僅かに薄れた。
南は静かに目を閉じ、自らの深層へ意識を沈める。
「起きて――」
目を開く。
「大井御前!!」
瞬間――。
西条の顔から、初めて笑みが消えた。
悪鬼によって生み出された精神世界。
それを淀んだ池に喩えるなら、南が呼び起こした悪鬼は、そこへ落とされた巨岩。
だが、不思議なほどその気配は静かだった。
静かであるがゆえに――底が知れない。
南の背後に、巨大な女が現れる。
着物から伸びる腕や脚は、丸太のように太い。
顔は影に隠れ、口元からは黒く塗られた歯が覗く。
そして頭上には、髪飾りのように据えられた銅鏡。
「それが、君の悪鬼というわけかい?」
「ええ」
南は笑った。
「この子も、あなたみたいな優男に会えて喜んでるわ」
「悪鬼招来――」
右手を天へ掲げる。
大井御前の巨体が揺らぎ、南の身体へと重なった。
「――鏡稜降伏!!」
瞬間、巨大な力が迸る。
深化覚醒。
南の周囲を、二枚の銅鏡が巡り始めた。
「八大天が一人――《空天》・南沙織」
南が拳を構える。
「さあ――」
銀と金の光が、眩く輝いた。
「ここからが本番よ」
「…………」
対する西条もまた、両腕の鉤爪をゆっくりと広げる。
「いいだろう」
どす黒い瘴気が、その全身から溢れ出した。
「ならば――もう少し、君の力を見せてもらおうか」
そして――。
二つの巨大な力が、真正面からぶつかろうとしていた。
◇◇◇
一方――。
笠井たちは、すでに限界へ達しようとしていた。
ゴンッ!!
「ぐッ……!」
七瀬の頬へ拳が叩き込まれる。
よろめいたところへ――。
ドンッ!!
「……かはッ!」
腹部へ蹴りが突き刺さった。
カラン……。
乱武炉が床へ落ちる。
「く……そ……」
拾おうと手を伸ばす。
だが、もう指先にすら力が入らない。
「ぐッ……!」
小水内も、残された力を振り絞って慚愧彗星剣を振るう。
(あと……一本でも……!)
黒い糸へ刃を食い込ませた。
ギリギリ――。
「切れ……!」
だが、動かない。
刀身を引き抜く力すら残っていなかった。
ゴッ!!
「うぐッ!?」
腹部へ膝蹴りが突き刺さり、小水内が崩れ落ちる。
「ハハハハハハ!! 素晴らしい!!」
狂医者が満面の笑みを浮かべた。
黒い糸が蠢く。
「これで君たちも――」
「ぐッ……!」
笠井の身体が宙へ吊り上げられた。
「私の愛しいモルモットだ!!」
「……て、めえ……」
胸や脇腹には、何本ものメス。
風塵鴉鎚も床へ落ちている。
続いて――。
「ぐ……!」
「くそ……!」
七瀬と小水内も吊り上げられた。
三人並んで、身動きすら取れない。
「イヒヒヒヒ……!」
狂医者が嬉しそうに手を擦る。
「これ以上、逆らわれても困るからねえ」
その腹部に、一本の亀裂が走った。
ズルッ――。
裂け目が左右へ開き、内部から幾本もの細い機械の腕が伸びてくる。
その先端には、メス。
ドリル。
鋏。
「まずは――」
一本が笠井の額へ。
もう一本が小水内へ。
さらに一本が七瀬へ。
「脳から綺麗に治してあげよう!!」
「……っ!」
三人の額へ、冷たいメスの刃が触れた。
◇◇◇
その瞬間――。
笠井の内で、漆黒の羽根が舞い上がった。
意識が、自らのさらに深い場所へと沈んでいく。
暗闇の奥。
そこに――いた。
あの日からずっと、自分の中に巣食い続けてきた黒鴉。
「……何だよ」
笠井が睨みつける。
「俺が死にかけてるから、わざわざ出てきたのか?」
黒鴉は答えない。
ただ、じっと笠井を見つめている。
その漆黒の瞳に映っていたのは――自分自身。
「いい加減にしろよ……!」
拳を握り締めた。
「てめえは、俺にとっての疫病神だろうが!!」
父を死へ追いやった、漆黒の翼。
あの日から自分を苦しめ続けてきた存在。
「てめえのせいでッ!!」
爪が掌へ食い込み、血が滲む。
「おやじはッ!!」
声が震える。
「父さんは――ッ!!」
だが――。
「…………」
そこで、言葉が止まった。
黒鴉は何もしていない。
ただ、こちらを見ているだけ。
その瞳に映っているのは――。
「…………俺?」
違う。
ずっと勘違いしていた。
目の前にいるこいつは、父を殺した存在じゃない。
自分を苦しめるために現れた怪物でもない。
「……そうか」
ようやく、気づいた。
「お前は……俺の怒りそのものなんだ」
父を失った悲しみ。
何もできなかった自分への憎しみ。
抱えるには、あの頃の自分は幼すぎた。
だから――押しつけた。
目の前の鬼へ。
もう一人の自分へ。
「お前は――俺だ」
その言葉に応えるように、黒鴉が翼を広げた。
「もう……お前だけに父さんの死を背負わせない」
一枚の黒羽が舞う。
続いて、二枚。
三枚。
やがて漆黒の風が、二人を包み込んでいく。
「俺はずっと……自分のせいだと思ってた」
拳を握る。
「俺が弱かったから――父さんは死んだんだって!!」
風が強くなる。
「だから、お前に全部押しつけた!」
怒りも。
悲しみも。
罪悪感も。
「でも――もう逃げねえ!!」
漆黒の風が激しく渦巻く。
「俺の怒りも! 後悔も!」
黒鴉が大きく翼を広げる。
「父さんを失った痛みも――全部、俺が背負って生きる!!」
笠井は、一歩踏み出した。
「だから――」
僅かに笑う。
「こんなところで終われねえだろ」
風が勢いを増していく。
「俺たちがくたばるのは――こんな所なんかじゃねえ!!」
黒鴉へ。
いや――もう一人の自分へ叫ぶ。
「そうだろッ!!」
ゴオオオオオオオッ!!
漆黒の風が世界を呑み込む。
「風鴉!!」
初めて――。
笠井は、自らの悪鬼の名を呼んだ。
黒鴉が翼を広げる。
その姿が無数の黒羽へ変わり――笠井の身体へ流れ込んでいった。
◇◇◇
「さあ――まずは君からだ!!」
狂医者が笠井の額へメスを当てる。
ツー――。
刃先が皮膚をなぞり、一本の赤い線を刻んだ。
「くッ!? 笠井!!」
「起きろ、亮!!」
小水内と七瀬が叫ぶ。
だが、笠井は微動だにしない。
「大丈夫。彼の脳を取り出したら、三等分して君たちにも分けてあげよう!」
「何言ってやがる……!」
ギュイイイイイイイインッ!!
電動ノコギリが高速で回転する。
「それから君たちの脳も取り出して――三人で仲良く分け合いっこだ!!」
「やめろおおおおおッ!!」
狂医者が恍惚とした笑みを浮かべ、回転する刃を笠井の頭部へ近づける。
あと僅か――。
「…………!」
笠井の目が開いた。
ガシッ!!
「なッ!?」
回転する電動ノコギリを――片手で掴み止める。
「な、なんだ突然!!」
ギュイイイイ……。
刃は回り続ける。
それでも、笠井の手はびくともしない。
「…………」
静かに狂医者を見上げる。
そして――。
バキンッ!!
「ギャアアアアアッ!!」
片腕だけで、電動ノコギリを握り砕いた。
「な……なんだ、お前……!?」
黒い羽根が、一枚。
続いて二枚。
三枚――。
漆黒の風が、笠井の身体を包み込む。
「悪鬼招来――」
静かに、その名を告げる。
「黒錆鉄爪」
次回予告
己の怒りも、後悔も、すべてを受け入れた笠井。
風鴉と向き合ったその先で、ついに新たな力が目を覚ます。
黒き風が戦場を切り裂き、追い詰められていた三人に反撃の糸口が生まれる。
そして――。
その姿を見た七瀬の胸の奥でも、長く押し殺してきた感情が燃え始めていた。
嫉妬。
劣等感。
認められたいという想い。
否定し続けてきた自分自身を受け入れた時――。
紫炎の獣が、ついに咆哮する。
次回、第106話「窮怨奇」




